第18章―17
そんなことを色々と行っている内に、1940年は終わろうとすることになった。
実際問題として、この数か月に亘って行われたバトルオブブリテン本格化から、その事実上の終わり、更には、英仏軍を主力とする対ドイツ反攻作戦準備等が行われてもいる。
そう言った現実を考えれば、1940年後半は、英仏等の連合軍やドイツ軍にしてみれば、色々と1941年春に行われると、双方が覚悟を決めている連合軍の反攻準備と、それへの対策等に双方が共に追われていたとしか、言いようが無かったのが現実だった。
そういったことが相まった末に、飛行第64戦隊が、この欧州に派遣された当初の任務は終わり、日本に帰国命令が出てもおかしくなかった筈が、想わぬ事態が引き起こされることになっていた。
「今暫く、欧州で奮闘しろですか」
「陸軍参謀本部から、そのような命令が下った。頑張るしかないな」
檜與平少尉を始めとする部下の抗議の声に対して、加藤建夫少佐は韜晦するように答えていた。
加藤少佐は、陸軍参謀本部の本音が、何となく推測できてはいた。
陸軍参謀本部としては、陸軍航空隊に最新の戦訓を導入していくのが必須である、と判断したのだ。
更に言えば、その為には、陸軍航空隊を欧州で戦わせる必要があるとも判断した。
「しかし、我々の本来の任務は、英米の軍用機を評価して、日本陸軍が採用するか否か、を判断する為では、そうしたことからすれば、我々の本来の任務は終わったことでは」
そう言った声が、加藤少佐の部下から挙がった。
実際問題として、加藤少佐の部下の、この声はその通りとしか言いようが無かった。
そういった事情から、飛行第64戦隊は、この地に派遣されることになったのだ。
だが、加藤少佐は、それなりに反論を準備していた。
「確かにその通りだが、日本の最新鋭戦闘機である百式戦闘機は、英米の戦闘機に劣っているという評判を、この地に残したままで、日本にお前達は帰りたいのか」
加藤少佐のこの言葉を聞いた面々の殆どが、即座に首を横に振る事態が起きた。
加藤少佐自身が分かってはいたが。
完全に屁理屈になっている気がするが、日本陸海軍としては、日本の戦闘機を始めとする様々な軍用機は、世界で超一流だ、ということを示したい現実があるのだ。
そして、実際問題として、日本の百式戦闘機は、欧州に派遣された当初は、世界で超一流と評価される事態が起きていたのだ。
だが、その後、百式戦闘機の特性が暴かれて、更にそれに対応した一撃離脱等の戦術が磨かれたことから、百式戦闘機の評価が下落する事態が起きているのだ。
勿論、それも又、現実なのだ、として、日本陸海軍の最上層部が受け入れれば済むのだろうが。
下手に世界で超一流と評価されてしまったので、いわゆる引くに引けない想いが、日本陸海軍の最上層部に広まっているのだろう(と、加藤少佐は考えざるを得なかった)
(更に、そう言った背景から)飛行第64戦隊を欧州に残置して、日本海軍等の実戦行動に積極的に協力させることで、日本陸軍の百式戦闘機は、世界でも超一流の存在なのだ、ということを示そうと策しているのだろう(とまで、加藤少佐は考えていた)
そして、自分の部下達も、邪な考えと言われて当然なのだが、百式戦闘機は、世界最高峰の戦闘機だ、ということを世界に示したい、と考えている。
それこそ、ユダヤ人の女性戦闘機乗りに、鼻っ柱をへし折られる事態が起きたのだ。
この際、欧州の空で戦果を挙げることで、汚名(?)をすすぎたい、という想いまでもしている。
実際、加藤少佐の推測、想いは正しかったようだ。
「分かりました。やれる限りのことをやりましょう」
部下達は同意の声を挙げた。
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