第18章―7
細かいことを言えば、1940年10月初め、英本国空軍の戦闘機部隊も、ブレスト(近郊)の飛行場に急きょ展開する事態が引き起こされていた。
これは日本陸海軍が新採用した戦闘機の性能が如何程の代物なのか、英空軍が自らの目で確かめたいという事情から生じた事態だった。
そして、更に(この世界の)「上海事件」によって生じたユダヤ人と日本の因縁から、表向きは英領パレスチナ部隊である、ユダヤ人の外人航空隊までもが、日本陸軍に協力することになったのだ。
さて、日本陸軍が採用した百式戦闘機(海軍で言えば、零式艦上戦闘機)は、そもそも艦上機として長時間に亘って、艦隊上空の防空任務に就けることを目的として、長時間の航続時間を要求されたのだが。
(これは艦上戦闘機の目的からすれば、ある程度は当然の要求だった。
それこそレーダー(電探)が未発達と言って良い時代なのだ。
そうしたことからすれば、発着艦を少しでも減らせて、長時間に亘って艦隊上空の防空任務が遂行できるように、長時間の航続時間が艦上戦闘機に要求されるのは当然のことで、この辺りは米海軍の艦上戦闘機でも似たような事態が起きている)
その結果として、この当時の英空軍(どころか、独空軍を始めとする欧州諸国の空軍全て)が驚愕するだけの航続距離、ロンドン近郊の飛行場から出撃すれば、悠々とベルリン上空まで往復できる航続距離を、百式戦闘機は保有することが出来たのだ。
更に日本陸海軍は、百式戦闘機は、それ以外の点、速力や格闘性能についても、決して英米の戦闘機に引けを取らない、独本土上空の制空権奪取にも力添えできるという主張、喧伝を行なった。
(この辺り、独空軍に対するハッタリという側面もアリ、又、日本陸海軍なりに、日本の航空技術の精華を、欧米に対して訴えたい、という事情も絡んでいた)
ともかく、そういった事態が絡まり合ったことから、英本国空軍と、ユダヤ人部隊が、百式戦闘機を装備して欧州に派遣された日本陸軍の航空隊、飛行第64戦隊が行う様々な試験等に、積極的に協力しようとする事態が起きたのだ。
英本国空軍にしてみれば、百式戦闘機の本当の実力が、日本が喧伝する通りなのか確かめたかった。
ユダヤ人部隊にしてみれば、日本陸軍にも協力することで、更なる日本政府、陸海軍の支援を自分達が得たかった。
日本陸軍(更に海軍の一部)にしてみても、英本国空軍等の協力を得られることで、バトルオブブリテン等によって得られた欧州の最新の戦訓を、ある程度は入手できるのではないか。
そして、それによって得られたコネで、もし不適切な軍用機が米国から提供されたら、欧州諸国に叩き売れるのではないか、と考えることになったのだ。
(この辺り、旧式機だったり、不適切な機体だったりしたら、それこそ受け取って保管するだけでも、それなりの手間や費用が掛かると言う現実がある。
かといって、折角、受け取ったモノを、そう言った現実から叩き壊す訳にも行かず、それならば欧州諸国に特価で叩き売った方がマシという論理が、日本陸軍上層部から挙がる事態が起きたのだ。
尚、この辺りは史実でも似たようなことが起きている。
例えば、英国にレンドリースで提供されたP-39戦闘機が、英国空軍にとっては性能に不満が出る代物だったので、右から左に、と言っては言い過ぎになるが、ソ連に引き渡される事態が起きており、他にも幾つか事例がある)
そういった様々な思惑、日本陸海軍、英本国空軍、ユダヤ人部隊のそれぞれの上層部の思惑が絡み合った末に、ここブレスト(近郊)の飛行場にそれなりの規模の雑多な機種の航空隊が、様々なマーク入りで集う事態が起きていたのだ。
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