第18章―1 大日本帝国陸軍航空隊の欧州派遣問題とその余波
新章の第18章の始まりになります。
さて、少なからず場面が変わる。
1939年9月に、(この世界の)日本は第二次世界大戦に参戦することになったが。
そして、大本営も設置されることになったのだが。
その際に、欧州に派兵される兵力については、基本的に海軍のみとすることが、陸海軍間で協定される事態が起きた。
これはある意味では当然のことで、そもそも論になりかねないが、日本の軍事力では、それこそ対ソ戦に備えるのが手一杯でアリ、更に満蒙の奪還を叫んでいる中国(国民党)政府軍の満蒙への侵攻を警戒せざるを得ない現実がある。
(最も細かいことを言えば、ソ連は「大粛清」の傷を癒すのに懸命になっており、又、中国本土では国共内戦が隠微な形で再開している現実があった。
こうしたことから、日本政府及び軍部は、一息吐ける状況になっていたのだが。
そうは言っても、日本政府等にしてみれば、油断できる状況には程遠い現実で、満州を始めとする様々な大陸利権を死守する為に、陸軍は基本的に動かせないのが現実だったのだ)
そうしたことから、英仏に派遣される兵力については、海軍から派遣される事態が、日本では起きた。
更に言えば、常設の海兵隊建設に日本海軍が勤しんだことが、欧州派遣の為の兵力を海軍が担う事への問題点を低くする事態が起きていたのだ)
そして、半年余りは順調に回っている事態が、日本では起きていた。
欧州に派遣された様々な日本海軍の面々、それこそ海兵隊から艦隊戦力、又、艦上機部隊等の奮戦は、英仏両国の好感を得られるモノであり、日中戦争の敗北で失墜していた日本の面子等を大いに回復させることになっていたのだ。
だが、その一方で、対ソ戦に本格的に備えるならば、それこそ関東軍、満州を中心に展開している日本陸軍の質の充実が必要不可欠なのを、第二次世界大戦で日本海軍が得た戦訓等は教える事態が起きた。
そういった背景等が絡み合った結果、米国政府が提起したレンドリースについて、日本政府、軍は基本的に積極的に受け入れることで、日本陸海軍が装備している様々な兵器について、質を中心とする改善を図ろうとする事態が起きたのだが。
米国政府にしても、さるものと言うか、それなりに旧式だったり、半分失敗作呼ばわりされたりしている兵器を、日本に対しては提供しようとするのが現実だったのだ。
この辺り、白人優位、黄色人種差別から来る米国政府からの日本に対するイジメだ、という主張がそれなり以上に(この世界の日本政府、軍上層部内の一部では)強いのだが。
米内光政首相や吉田茂外相、堀悌吉海相他の日本政府、軍上層部の主流派に言わせれば、
「これまで散々に海軍を中心として、日本は米国政府、軍を敵視してきた以上、急に仲良くしましょう、と日本政府が言っても、不信感等から、旧式兵器等を米国政府が売るのは当然だ」
ということだった。
ともかく、そういった裏事情があり、更に日本海軍としては手に入れたいと希望していた重爆撃機について、B-18等が米国から提供される事態が起きたことから、日本陸軍としても、単純に米国政府から兵器等を入手するのを躊躇うようになりだした。
こうしたことから、欧州に日本陸軍の一部を派遣して、そこで、米国が提供する兵器の内容を把握した上で、日本陸軍にその兵器を導入しよう、とする事態が起きることになった。
そして、他にも様々な兵器について、確認した上で日本陸軍は導入する事態が起きるのだが。
まずは軍用機、特に戦闘機について、日本陸軍は欧州で性能等を確認した上で、本格的に航空隊に導入して、前線で運用しようと考えるようになった。
そして、加藤建夫少佐率いる飛行第64戦隊が欧州に派遣されることになった。
少し補足説明をすれば、米国製の兵器について欧州で導入するかの試験を行って、不適と判断すれば、それこそ欧州諸国にその兵器を叩き売れば良い、と陸軍は考えたのです。
そうしたことから、飛行第64戦隊が試験任務を行なうことになりました。
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