第17章―14
そんな結末に、ドイツ空軍による英本土に対する航空撃滅戦、いわゆるバトルオブブリテンは、この世界では終わることになった。
そして、ドイツ空軍が被った余りの大損害の結果として、1940年10月以降は、
「バトルオブブリテンの結果、ドイツ空軍は北海と北フランスの制空権をほぼ失った、と言っても過言では無い状況に陥った。
それだけの大損害を、ドイツ空軍は被ってしまい、バトルオブブリテン開始前に目論まれていた、バトルオブブリテンで大勝利を収めて、ノルマンディー、ブルターニュ半島橋頭堡への攻撃前にドイツ空軍による制空権を確立しよう。
更には、その制空権下でのドイツ陸軍の大攻勢によって、ノルマンディー、ブルターニュ半島橋頭堡を制圧することで、第二次世界大戦が長期化することを図り、それで、短期の英仏日等との講和条約締結を図るという、(ある意味では、ドイツ政府にとって都合の良い)大計画は崩壊したのだ」
と後世の歴史家の多くが評する事態が引き起こされたのだ。
そして、それが真実と言って良いのを、この当時西欧にいた多くの航空関係者が、感覚的に感じざるを得なかった。
その中には、それこそ軍人になったばかり、といえる米内久子までいた。
久子が居るのはブレスト(近郊)であり、やや最前線からは外れた場所だった。
それもあって、却って整理された情報が届く現実があり、その為に久子にも現状が見えていた。
久子自身は、懸命に米国から供与されたB-18ボロの整備を学び、問題無く飛行できるようにしようとすることに奮闘する日々を送っていたのだが。
その一方、夫に叱り飛ばされたこともあって、懸命に戦争ということについて、聞き耳を立てて、色々と自分自身でも考えるようになっていた。
久子自身でも考える限り、バトルオブブリテンの流れ、結末は必然に近かった。
ドイツ空軍が行った英本土に対する航空撃滅戦は、戦力的にはムリなことだったのだ。
確かに表面上は勝利の可能性があったのだろうが。
だが、後知恵と言われるだろうが、様々な悪条件が重なっていたのだ。
ドイツ空軍が、英本土に大攻勢を執ろうとすれば、必然的に側面への対処が疎かになる。
その隙を衝いて、ノルマンディー、ブルターニュ半島橋頭堡からのそれなりの航空作戦が展開された。
そして、運悪く北フランスで撃墜された場合、ドイツ空軍の搭乗員は文字通りにほぼ死亡する事態が引き起こされたのだ。
そうなった背景だが、私からしてみれば自業自得だ。
これまでドイツ政府は、散々に自国民でさえユダヤ人の迫害を繰り返してきた。
そうしたことから、ユダヤ人のドイツに対する恨みつらみは、骨髄に徹していると言っても過言ではない状況にある。
そうしたことが、北フランスに潜入作戦を展開したユダヤ人コマンド部隊が、落下傘降下してきたドイツ空軍の搭乗員に対し、容赦のない攻撃を行なう事態を引き起こしていたのだ。
更には、ドイツ空軍の搭乗員の救出に赴いたドイツ陸軍の偵察部隊(といっても分隊規模らしいが)にまで攻撃をユダヤ人コマンド部隊は行い、文字通りに全員戦死させた事例が複数あるとか。
そうしたことから、9月以降になると、ドイツ陸軍の一部に至っては、ドイツ空軍の搭乗員の救出任務に消極的に成る事態まで引き起こされたらしい。
ぶっちゃけていえば、二重遭難は御免被る、ということだったとか。
確かにそんなことがあっては、ドイツ陸軍の一部が、ドイツ空軍の搭乗員の救出任務に消極的に成るのも当然の気が、私もする。
それにしても、そんな風に憎悪をお互いに煽り合って良いのだろうか。
勿論、ドイツ政府が悪いのだが、そうは言っても。
そう久子は考えざるを得なかった。
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