第15章―17
だが、これは仮初めの代物としか、言いようが無かった。
ユーゴスラヴィア王国内部の宗教、民族対立は複雑で、そう容易に妥協できる代物では無かったのだ。
(それこそ、史実の話をすることになるが、第二次世界大戦後に成立したチトー体制下のユーゴスラヴィア国家について、
「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」
と謳われ続けたのが現実だったことを考えれば。
ユーゴスラヴィアが一つにまとまり続けるのが、民族や宗教問題等から、歴史を踏まえる程に、如何に困難な国だったのかは、言わずもがなと言って良かったのだ。
そして、建国の英雄と言えるチトーが没して10年程が経った後、ユーゴスラヴィア国内の民族、宗教対立は収まりがつかなくなってしまい、凄惨極まりないユーゴ内戦が勃発したのだ。
更に言えば、様々な内戦の局面、クロアチア紛争やボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、コソボ紛争等が展開された末に、2006年にセルビアとモンテネグロの連合が分裂して、モンテネグロが独立を宣言することによって、ユーゴスラヴィアという国家は、史実では完全に崩壊する事態にまで至ったのだ)
話が先走り過ぎた(?)ので、この世界の1940年7月末時点の話をするならば、ユーゴスラヴィア王国は、クロアチア自治州を設立することで、国内のクロアチア人の分離独立主義者を、ある程度は宥めることに成功していたが、これはこれで、クロアチア人以外の不満を高めたし、多くのクロアチア人も完全に満足していないのが現実だった。
その一方で、オスマン帝国やオーストリア=ハンガリー二重帝国等といった大国の圧力に翻弄されてきた歴史的経緯から、ユーゴスラヴィアの国民の殆どが、大国からの侵略となると、途端に一致団結しかねないのも現実だったのだ。
こうしたことが、ドイツがユーゴスラヴィア王国に対し、不干渉政策を採る事態を引き起こした。
(尚、これにはカナリス提督も奔走する事態が起きた。
転生者であるカナリス提督にとって、バルカン半島に下手に手を出すことは、史実を考える程に、余りにも危険が大きすぎるとしか考えられなかったのだ)
そうしたことが、ユーゴスラヴィア王国の低位安定をもたらしていた。
さて、続けてイベリア半島である。
(この世界では)スペインの人民戦線政府は健在で、更に言えば、共産党一党独裁国家になりつつあるのが、この当時の現実だった。
そして、そのことは反共産党の人民戦線支持者を、反政府側に奔らせる事態を引き起こしていた。
更には、こうした背景が、現時点ではイタリア政府に庇護されている国民派のフランコ将軍らが、スペイン人民戦線政府打倒を何としても断行しよう、と暗躍する事態を引き起こしてもいた。
英仏政府等にしても、人民戦線政府ならまだしも、ソ連のような共産党一党独裁国家に、スペインが変貌してしまっては、ジブラルタルやモロッコへの脅威等を痛感せざるを得ない。
その為に、国民派を徐々に支持する態度を、この頃から示しつつあった。
次にポルトガルだが。
1933年以降はサラザール首相の下で、「エスタド・ノヴォ」といわれる独裁体制が敷かれているのが、(この世界でも)現実だった。
サラザール首相は、極めて現実的な独裁政治家であり、スペイン内戦に際して当初は国民派を支援したものの、国民派の敗北が間近いとみるや、速やかに人民戦線政府と妥協する等の施策を採る有様だったのだ。
そして、サラザール首相の政治的嗅覚は、この当時も極めて優秀なままだった。
その為にポルトガルは表面上は中立ながら、密やかに英仏に味方しつつあり、後で莫大な配当を得ることになった。
イベリア半島については、第二次世界大戦後に大きな動きがある、とだけ、今は申し上げます。
この後、ソ連、中国本土、米国の話を一話ずつ、投稿して第15章を終えます。
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