第15章―16
ルーマニアの現状は、そのようなモノだったが。
ハンガリーの現状は、どうだったのかというと。
これはこれで、拗らせていたとしか言いようが無かった。
ハンガリー(政府)にしてみれば、北部トランシルヴァニアが自国領になったのは喜ぶべきだったが、これでさえ、本来のハンガリーの要求からすれば、ドイツ政府によって抑えつけられた代物だった。
更に言えば、これ以上のルーマニアへの侵略は許されない、という主張からドイツ軍がルーマニアに進駐する事態が起きたのだ。
こうしたことは、ドイツ政府がハンガリーを捨てて、ルーマニアに加担を決めたことだ、と言う主張をハンガリーの愛国者達が叫ぶ事態を引き起こすことになった。
そうしたことから、ハンガリー政府は、ドイツ政府に対して冷たい態度を執るようになったのだ。
次にブルガリアだが、これ又、酷い状態としか、言いようが無かった。
ブルガリアは、第一次世界大戦においてドイツ側に立って参戦して敗北したことから、国内が酷く混乱することになり、1918年に時の国王フェルディナントが退位し、王太子のボリス3世が即位した。
だが、それで国内の混乱が収まったか、というと、全くそんなことはなく、共産党や共和派の農民人民同盟による王制攻撃が続くことになり、それを憂えた王党派が軍部を動かしたことから、クーデターが何度か起きることになり、ようやく1935年に軍部を背景にした国王親政による独裁体制で、ブルガリア国内が落ち着くことになった、といっても過言では無かった。
だが、こういった独裁体制が不安定な代物になるのは、ある程度は当然のことだった。
こうしたことから、ブルガリア政府は、表面上は親独を唱えていたが、独に味方して参戦するどころではない、というのが現実だった。
続けてギリシャである。
ギリシャは第一次世界大戦において勝者になったが、その後は国内の左右両派、更には王党派と共和派の対立によって、酷い国内混乱が続くことになった。
最終的には、1936年に国王の暗黙の承認の下で、時の首相兼陸相のメタクサスが憲法を停止し、独裁体制を確立する事態が引き起こされた。
このことは、それこそ共産主義者を中心とする議会主義者の反発をギリシャ国内に引き起こしたが、この反発の動きは、これまでのような国内混乱が続くならば、まだ独裁体制の方が遥かにマシだ、と考えたギリシャ国民の多くの支持を得られず、結果的に軍部の後援も受けたメタクサス独裁体制が、低位安定といっても過言では無かったが、この1940年当時まで続く事態を引き起こしていた。
そして、メタクサス独裁体制だが、ファシズムと言えばファシズムなのだが、これまでのギリシャの伝統的外交から、親英外交をメタクサスは展開しており、アルバニアを征服した隣国のイタリアとの外交関係は微妙極まりないモノになっていたのだ。
次にユーゴスラヴィア王国について述べる。
ユーゴスラヴィア王国が成立したのは、それこそ第一次世界大戦の結果としか、言いようが無い。
第一次世界大戦の結果、オーストリア=ハンガリー二重帝国やオスマン帝国が崩壊する事態が起きた。
そして、それまでオーストリア=ハンガリー二重帝国やオスマン帝国の圧力等に、長年に亘って苦しんできた南スラブ民族は、独立国としてユーゴスラヴィア王国を建国したのだ。
だが、強大な敵に対しては共闘できた仲間が、敵が消えたら、仲間割れが起きるのはよくあることで。
建国直後から長年に亘って、ユーゴスラヴィア王国内部で複数の民族、宗教対立が絶えない事態が引き起こされることになったのだ。
そして、紆余曲折の末にクロアチア自治州が成立する事態が起きていた。
この辺りですが、描けば描く程に、悩みが深まり、何処に真実、正義があるのか、という想い、考えが作者の私としては走らざるを得ない事態になります。
そんなことは、所詮は小説である以上、悩む必要は無い、と嘲笑されたことがありますが。
その一方で、所詮は小説である以上、真実、正義をキチンと示せ、と歴史警察官に叱られたことが。
本当に仮想史は悩ましい事態を引き起こします。
ご感想等をお待ちしています。




