第15章―11
ともかく、こういったユダヤ人の満州国への難民避難工作だが、それこそ日本のみならず、欧米諸国の外務省等、要するに在外公館等まで巻き込んで、それなりに行われているのが、当時と言うか、第二次世界大戦中の現実だった。
例えば、当時、リトアニアに駐在していた1940年8月末に領事館が閉鎖されるその時まで、領事を務めていた杉原千畝は、日本外務省の指示に基づいて、ユダヤ人が殆どを占める難民に対して、満州国を最終目的地とするビザの発行を続けることになり、そのビザによって満州国にたどり着けた難民は、1万人を超えたとされている等の行動を執っている。
そして、諸国の行動により、様々な伝手や援助に依ることになるが、100万人を超えるユダヤ人が満州国内にたどり着き、定住する事態が起きたのだ。
更に言えば、こういった手段でユダヤ人が満州国内にたどり着いたことから、悪い言葉で言えばになるが、それこそ人間の楯として、ユダヤ人は満州国政府として使われることになり、ソ連の満州国侵攻を躊躇わせる事態が引き起こされることになった。
この辺りについて、メタい視点も組み合わせての話にならざるを得ないが。
それこそソ連の源流と言えるロシア帝国からして、不凍港の獲得等を求める南進政策は絶対の国策と言っても過言ではないのが、現実だったのだ。
そして、ソ連もこの国策を継承していたのだ。
(更に言えば、史実を絡めて言うことになるが、ロシア帝国の国策から、クリミア戦争やバルカン戦争、日露戦争等々が起きたと言えるのが、現実、史実世界なのだ)
こうしたことからすれば、ソ連が南進政策を断行して、満州国に何れは侵攻して来るのではないか、と警戒するのが、満州国政府や日本政府にしてみれば、当然としか言いようが無い。
そして、それなり以上の数、100万人以上のユダヤ人難民が命辛々定住している満州国に対しての侵攻作戦を、ソ連や中国(国民党政府や共産党)が発動するのは、人道的に決して許されないことだ、と主張することで、満州国への本格的な侵攻作戦を阻止しようとしているのが、この当時の満州国政府や日本政府の主張だったのだ。
更に言えば、こういった主張は、欧米諸国政府と言うか、それぞれの国内の国民の間で、それなり以上に響くことでもあったのだ。
冷たい話にも程がある、と言われても当然のことだが。
ドイツの侵攻に苦しむ英仏やベネルクス三国を筆頭に、それ以外の反ドイツの諸国民にしても、ユダヤ人の窮状については同情するモノの、だからと言って、ユダヤ人難民が自国に押し寄せるのは御免被る、ユダヤ人難民は、他の国が受け入れるべきだ、というのが圧倒的多数の意見と言って過言では無かった。
(この辺り、現実社会のミャンマーやトルコにおいて、少数民族に対する迫害が起きているにも関わらず、日本国内への少数民族受け入れはお断りだ、と言う声が日本国内では高い現実を見れば。
本当によくある話としか、言いようが無い)
そんなことから、日本国内でも、ユダヤ人が満州国内を目指すのならば、極めて喜ばしい事態だ、という声が高い事態が引き起こされることになった。
更には、日本国内に一時的に定住していたユダヤ人も、満州国を目指そうとする事態さえも引き起こされることになったのだ。
そういった様々なことが合わさった末、1940年末当時に満州国内に定住できるビザを取得して、定住しているユダヤ人が100万人を超えると言う事態が、引き起こされることになった。
更にはユダヤ人外人部隊が満州国でも編制されると共に、ユダヤ人が人間の楯としてソ連等の侵攻に備えて使われる、という事態が引き起こされることになったのだ。
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