第15章―10
尚、こういった満州国がユダヤ人難民を最終的に引き受ける事態が起きる前に、日本政府がユダヤ人難民を、ある程度は引き受けるべきではないか、と言う声が、日本政府内で全く起きなかった訳ではない。
更に言えば、英仏等の同盟国、そして、中立国である米国等でさえ、日本政府に対して、(第二次)上海事変の際に起きた(この世界の)「上海事件」の行きがかりから、ユダヤ人難民を日本本土で受け入れられたいと言うのを、流石に公式には言えなかったので、非公式で申入れしているのが現実だった。
(この際、様々な裏事情も絡めて説明するならば。
第二次上海事変の結果、欧米諸国を中心とする世界では、日本はユダヤ人に同情的である、という世論、見方が強まっていた。
更には、そういった世界の世論、見方を、ある意味では悪用して、日本政府は様々に英仏や米国等に働きかけることで、日本の産業基盤の拡大等を図っているのが現実だった。
そして、実際にこのことは、日本や満州国の産業基盤拡大に、多大な効果を上げていた)
だが、その一方で、こうしたことを日本政府が公然と行っているということは、ドイツを中心とする欧州諸国のユダヤ人が、迫害から逃れる為に、日本を大量に目指す事態を引き起こすことになったのだ。
そうしたことが、「横須賀ゲットー」を成立、拡大させる等の事態を日本国内に引き起こすことになった。
だが、言うまでもないことだが、ユダヤ人には、それこそ様々なユダヤ教の戒律があり、食事等はそれに則って行う必要がある以上、どうしても以前から住んでいる日本人との間でトラブルが起きがちになるのは、ある程度は避けがたいことになる。
それを避けるために、それこそ「ゲットー」のような一角を作って、そこにユダヤ人が集団で住もうとすれば、それはそれで、そういった一角では少数派になりかねない日本人が更に反発を引き起こすという、厄介な問題が起きるのだ。
(更に言えば、日本人の間では、そういった戒律を信徒が厳格に守ると言う宗教に馴染みが無い、というのも問題を拡大することになった。
これが、欧米諸国のように、イスラム教やユダヤ教のような戒律を信徒が厳格に守る宗教に、それなりに馴染んでいれば、ユダヤ人に対する日本の住民の反感も、急激に拡大することは無かっただろうが。
日本国内には、そういった宗教の信徒は、この当時は極少数派なのが現実である。
だからこそ、その為にユダヤ人は様々な戒律を守って生活をせざるを得ない以上、ユダヤ人と従前から住んでいた日本人とが共に妥協して生活するということに問題が生じがちになり、それが反ユダヤ人の想いを、日本人の間に更に広めるという悪循環が引き起こされたのだ)
ともかく、こういった当時の日本の国内世論を、日本政府としても無視できなかった。
そうしたことから、1939年に入った頃から、日本政府は様々な裏工作に奔らざるを得なかった。
欧州で緊張が高まっている現状から、英国が女性補助部隊の編制、拡大を図ろうとしているのを聞きつけて、それに乗じて、世界のユダヤ人を集めることを提言したりとか。
又、属国と言える満州国に対して、ユダヤ人の移民を受け入れるように、硬軟様々な圧力を掛けて、日本の国内から満州国へと、ユダヤ人が移民するように仕向けて、という裏工作を行うようなことをしたのだ。
そうしたことを主にやったのが、吉田茂外相だった。
欧米諸国等に対しては、ユダヤ人に好意的な日本政府という態度を執り、その一方で、ユダヤ人を満州国に事実上は押し付ける。
吉田外相のこの工作は、それなりに当時は上手く行っていて、国内外でそれなりの好感を得ることに成功していたのだ。
どうのこうの言っても、現在でも同じかもしれませんが、様々なタブーがある宗教を重んじて、その宗教タブーに従う以上、日本の慣習を拒絶するというのを、この当時の日本人がどれだけ受け入れられるのか、というと、どうにも疑問があり、この話の描写になりました。
(それこそ昭和末期でも、輸血はタブーという宗教に対して、マスコミ総動員と言っても過言ではない批判が、宗教タブーに対して浴びせられた覚えが)
色々と荒れかねませんが、どうか緩いご感想等を平にお願いする次第です。




