第13章―8
そんな感じで、日本海兵師団とドイツ装甲師団との戦いは、どちらが本職の装甲師団なのか、という有様の戦車戦を繰り広げることになり、速やかにハーグ等を急襲して、オランダ全土の占領をドイツ軍が果たすのは困難になる一方だった。
そして、このような状況に陥っていては、オランダの早期占領は困難であるとして、更にドイツ空軍はオランダの主要都市、ハーグやロッテルダム、アムステルダム等への無差別大量恐怖爆撃を断行することで、オランダ政府の降伏を促そうとする事態が起きたが。
ハウステンボス宮殿を全焼させ、王族を負傷させ、更に市街地に対して無差別大量恐怖爆撃を行って、民間人を殺戮するような凶暴な侵略者ドイツを許すな、というオランダ政府内外の声は却って高まる事態が引き起こされることになった。
その結果として、例えば、米国政府はルーズベルト大統領の談話で、
「小国のオランダに対する不当な侵略を行ったドイツに抗戦する為に行われる軍事支援は正義である」
と主張することになり、対独戦の為にレンドリース法を1940年夏に制定する事態が起きた。
そして、このレンドリース法は、英仏日等の連合国がドイツと戦う際に大いなる力となり、更には日本はこっそりと対ソ戦の戦備にレンドリース法で提供された兵器等を回すようなことまですることになった。
(もっとも、更なる余談をすれば、このレンドリース法で提供された兵器だが、当初は無償提供だった筈なのに、割安とは言え、第二次世界大戦終結後に有償提供だったということになり、英仏日等の政府と米国政府の間で、
「話が違う」
「無償という約束はしていない」
と支払額や方法について数年に亘る激論が交わされる事態が起きることになった)
話がズレ過ぎたので、オランダ国内に話を戻す。
ともかく王宮が爆撃される事態が起きたことから、、万が一をおもんばかって、女性の身ということもあり、ヴィルヘルミナ女王とユリアナ王太女(及びその夫や娘)は速やかにロンドンに避難することになったが、オランダ政府は出来る限り、オランダ本土内に止まって抗戦を試みる事態が引き起こされていた。
とはいえ、戦局は徐々にオランダにとって不利になるのは避けられないことだった。
開戦以来、ベルギー方面の英仏白軍は、徐々に独軍の猛攻の前に退却を強いられつつあり、オランダが孤立無援になるのも、遠くないと考えられているのが、この5月半ば頃の戦況だったのだ。
(尚、オランダ国内に英仏軍が全く向かわなかった訳では無く、仏の第1軽機甲師団がオランダ本国内に到達している)
こうしたことから、ユダヤ人を始めとする多くのオランダ人が、ドイツ軍の占領下におかれる故郷から離れよう、亡命しようとする事態が起きつつあった。
その中にオットー・フランクの一家もいた。
上海でユダヤ人の身に何が起きたかを知っていたオットー・フランクは、取り敢えず、命だけでも助かろう、亡命先で何とかしよう、と考えて、妻子と共にオランダから脱出することにしたのだ。
とはいえ、マトモなビザを取得するのも戦禍の中に遭っては困難であり、それこそ不法難民としてオランダから脱出することになるのは止むを得ないことだった。
そして、その亡命の過程から第二次世界大戦中、オットー・フランクの一家は不法難民として苦難の日々を送ることになった。
その日々の中でオットーの次女、アンネはその日にあったこと等を日記に書き記すことになり、後にその日記は、第二次世界大戦中に不法難民として過ごしたユダヤ人生活を描いた貴重な一次資料の一つとして後世で高く評価され、日本等でも商業出版される事態が起きるのだが、それは遥か先のことだった。
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