第13章―7
だが、そうした苦戦を強いられているドイツ空挺部隊にとって、希望となっていたのが、ドイツ装甲師団による救援作戦だった。
実際、事前の作戦計画では3日も耐えれば、第9装甲師団によるベルギー国境を越えた救援作戦が成功して、ハーグ等への攻撃が協働で行われる筈だったのだ。
だが、その救援部隊にしても大苦戦中であり、予定通りに駆けつけるどころでは無かった。
第9装甲師団は、日本海兵師団(この当時の実際の戦力は旅団というよりも、日本陸軍等で言えば増強連隊規模)の前に苦戦を強いられるどころでは無く、更なる増援を求める始末というのが現実だった。
何故にこうなったか、というと、第9装甲師団がそもそも論になるが、装甲師団の中でも相対的に弱体な師団であったことが大きかった。
第9装甲師団は、1940年1月に第4軽師団を改編することで装甲師団となった師団であり、装甲師団としての練度は、第二次世界大戦開戦時までに編制されていた第1から第5装甲師団に比して、どうしても低いと言わざるを得ないのが現実だった。
そして、第9装甲師団が装備している戦車にも問題があった。
第9装甲師団が装備している戦車の総数は、定数の上では141両だった。
だが、資料によって細部の数字に差異がある(これは開戦直前までに新型戦車が届けられたり、戦闘どころか行軍中に戦車が故障して代わりの戦車が届いたり、という事態が起きる為)が、2号戦車が主力となっていて、更には1号戦車もそれなりにあるというのが現実だった。
要するに、当時のドイツ軍にとって有力戦車と言える三号戦車や四号戦車は、第9装甲師団においては併せても20両もないのが現実だったのだ。
それでも事前計画では、このような戦車でも十分だと考えられていた。
既述のように、オランダ軍に戦車は無いと言っても過言では無かったし、イスラエル師団も戦車を保有してはいなかった。
(尚、装甲車程度ならば、イスラエル師団にしても偵察用等に保有しているが、最良の装甲車にしても、戦車砲は搭載しておらず、銃塔を装備している程度では、とても戦車戦を挑めるような代物ではない)
後は、日本海兵隊だが、海兵隊が戦車を保有している訳が無い、という先入観がドイツ軍側にはあった。
(更には日本人やユダヤ人に対する偏見までもがあった。
ドイツ軍の戦車が集団で砲撃を浴びせれば、すぐに日本人やユダヤ人は泣いて逃げ散るという予断が、ドイツ陸軍内では、既述だが第二次上海事変等の戦訓から横行していたのだ)
こうした事情から、第9装甲師団を投入すれば、オランダの枢要部を空挺部隊と連携して、容易に占領できると事前計画では考えられていたのだ。
だが、オランダの大地で起きたのは、ドイツ戦車部隊にしてみれば悪夢の事態だった。
「こちらの戦車は一撃で破壊されるのに、相手の戦車は破壊できない」
「何とかして側面に回り込め、側面を撃って破壊するのだ」
「相手の戦車砲は50ミリ級です。空軍の支援等が無いと、敵軍の日本の戦車を破壊できません」
そんな会話が、ドイツ軍の戦車部隊の面々の間で交わされる一方で。
「ドイツ軍の戦車は玩具ばかりか。機関銃しかない戦車(一号戦車)やどう見ても20ミリ級の戦車砲を搭載した戦車(二号戦車)で、我々に挑もうとするとは。(第二次)上海(事変)ではソ連製戦車の為に負けた、というのは本当だったようだな」
「どう見ても、そのようですな」
そんな会話を、日本海兵隊の戦車大隊長の池田末男少佐は、部下と交わすことになった。
実際、戦場で破壊されているのはドイツの戦車ばかりと言える。
日本軍の戦車の47ミリ砲は、ドイツ戦車を一撃で屠る威力を発揮していた。
御都合主義と言われそうですが、第9装甲師団の戦車は、ほぼ史実準拠です。
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