第13章―1 遠すぎた街
新章の始まりになります。
そして、この世界のオランダ軍を始めとする様々な説明を、冒頭の数話で行います。
その理由ですが、それこそ読者の多くが知らないことが多い気がして、説明話を描いた上で本編(?)を描かないと、読者から様々な疑問点等の指摘が寄せられる、と危惧した次第です。
そういった背景について、活動報告(割烹)でこの後で弁明、説明する予定ですので、よろしくお願いいたします。
そういった様々な積み重ねの末に、(この世界でも)1940年5月10日を期して、ドイツ軍のフランス、オランダ、ベルギーへの大侵攻作戦は発動されることになった。
だが、オランダ戦線では想わぬ事態が多発することになった。
さて、1940年5月10日当時、オランダ軍は1939年9月のドイツ軍のポーランド侵攻に対応して動員令を発動する事態が(史実でも)起きており、こうしたことから陸軍等の部隊は完結していた。
だが、これまでの歴史的経緯等から、動員されたオランダ軍の内実は酷いモノとしか、言いようが無いのが(史実でも同様だったが)現実だったのだ。
実際のところ、オランダ軍の内実だが、1940年5月10日のドイツ軍侵攻時点では。
9個歩兵師団を基幹とする約28万人の陸軍に加え、予備役士官を指揮官とし、更に志願兵から成る約10万人の志願国土防衛軍が地上部隊として存在していた。
兵員数だけ見れば、それなり以上の規模を誇ると言えるが。
まずは、その装備の内容等を見るならば。
戦車は完全に旧式化しているルノーFT戦車1両しか無く、装甲車にしても様々な英国製やスウェーデン製等をかき集めても29両(更に要らないことを言えば、その内5両は重砲の牽引車と言っても過言ではないガーデンロイド豆戦車)しか無かった。
そして、歩兵の火力にも問題があった。
当時の日本陸軍(及び海兵隊)は1個歩兵小隊の指揮下にある4個歩兵分隊について、2個軽機関銃分隊、2個擲弾筒分隊で構成されていたが、これでも独英仏米等の陸軍からすれば、軽機関銃が充分に装備されておらず、歩兵分隊の火力が不足しているとされていた。
例えば、この当時のドイツ軍歩兵師団の場合、約560丁の軽機関銃を1個師団で装備していた。
だが、この当時のオランダ軍は、軽機関銃を歩兵分隊では保有していないことが多かった。
そんな感じで、様々な歩兵火力は不足しており、その実情を把握していたことから、オランダ政府、軍上層部は、第二次世界大戦勃発後、急きょ、様々な装備の充実を図ることにしたが、英仏日は自国の部隊の兵器、装備の充実に狂奔していて、オランダ軍に手が回る余裕は無く。
米国政府は、自国民の強い要望から中立政策を採らねばならず、そうしたことからこの時点ではオランダ軍に兵器を売る等、トンデモナイと言うのが本音だった。
独ソ両国が、オランダにそういった兵器を売る等、アリエナイ話だった。
(そうは言っても、イタリア等もいるではないか、という更なるツッコミが起きそうだが。
イタリア等にしても、事実上は独ソ両国によって行われたポーランド分割の現実から、形勢を完全に観望するしか無かったのが、この当時の現実だったのだ)
そして、更にオランダ海空軍の現実となると。
オランダ海軍は、軽巡洋艦5隻等を保有する1万人余りの部隊(尚、内1500人が海兵隊)だったが、その殆どが本国におらず、蘭印に展開しているのが現実だった。
(更なる余談をすれば、この当時の蘭印には約12万人のオランダ王国東インド陸軍が別途、展開していたが、その内の約半数が現地人で占められていた関係から、オランダ政府及び軍部から忠誠心を不安視されていて、本国防衛に一部を割こう等、不可能に近いのが現実だった)
オランダ空軍(というより陸軍航空隊)は、ある意味では最も悲惨だった。
この当時のオランダでは、明確に空軍独立が果たされておらず、陸軍傘下の航空隊に過ぎないという現実がまずはあった。
保有機数にしても、帳簿上は155機を数えていたが、その内の半数近くが複葉機であり、訓練用にも機体が必要な現実から、どうにも戦力不足が否めないのが現実だった。
ご感想等をお待ちしています。




