第11章―1 1940年4月初めの米内洋六家の家族等の想い
第11章の始まりになります。
1940年4月初め、米内藤子は小学6年生になっていた。
更に言えば、すぐ下の(異母)妹の早苗は小学3年生になり、その下の(異母)弟の正は来年春には小学校に入学する予定等、順調に(異母)弟妹も育ってはいた。
だが、その一方で、藤子は(異母)弟妹の早苗や正が、自分の考え過ぎならば良いのだが、微妙に昏い顔をすることが増えた気がしてならなかった。
(細かいことを言えば、更にその下に(異母)妹の松江もいるのだが、松江はまだ2歳にもなっていない身で、自分の実の両親がいないことが分かっていない現実があった)
自分の考え過ぎならば良いのだが、と考えつつ、そうは言っても、という考えが過ぎったことから、藤子は早苗と密やかに二人きりで、膝を突き合わせて話し合いをすることにした。
「早苗、色々と想うところがあるのね。正直に言いなさい」
「特にない」
「嘘を言うのは止めなさい。半分とはいえ、血を分けた姉を誤魔化さないで」
「そうは言っても」
誰にも聞かれないように、更に少しでも話しやすいように、と藤子が考えたことから。
藤子と早苗は、それこそ見晴らしの良い横須賀の海岸沿いの一角で、周囲に誰も見えない中、文字通りに面と向かい、膝を突き合わせて話をしていた。
「何か不満があるのでしょう。正直に言いなさい」
「でも、どうでも良いことだし」
「それなら、何で昏い顔をしていることが増えているの」
「そんなことはない」
「いい加減にして、正直に話せ」
早苗は出来る限り誤魔化そうとしたが、そのことは藤子の逆鱗に触れ、藤子は怒鳴り声を上げた。
早苗にしても、現状(藤子の実の母方祖父母の家に自分達は寄宿している)を承知している。
だから、藤子が本当に激怒しては、それこそ家から追い出されかねない、と考えて、言葉に詰まりながら、正直に話そうとすることになった。
「口に合わない訳では無いの。唯、小林のお祖母ちゃん(藤子の実の母方祖母)の料理の味だけど、塩が余りにも効いていない気がして」
早苗は何とか其処まで言った。
藤子は、早苗の言葉を聞いて、少なからず脱力した。
そんなことで、昏い顔をしているとは想わなかった。
だが、少し考えてみると、早苗の言葉も最もだ、と藤子自身も思え出した。
これが自分の実母が食べて来た味なのか、とそう想えていたから、自分も不満が無かったのかも。
(少なからずメタい話になるが)藤子や早苗が食べて育ったのは、藤子にしてみれば養母で、早苗の実母になる米内久子の料理である。
更に言えば、久子の料理だが、それこそ最近になって気付いた藤子に言わせれば、完全に東北地方の塩辛い料理だった。
(これはある意味では必然的な話だった。
久子は(現在で言えば)盛岡市近郊で生まれ育ち、嫁いだ米内家の料理、食事もほぼ同様だった。
だから、そういった料理しか作れなかったのだ)
だが、藤子の実の母方祖母になる小林はるの作る料理は違った。
はるは横須賀で生まれ育ち、更に(芸妓の)置屋に嫁いだこと等から、料亭風の上品な薄味に何時か慣れ親しむことになった。
その結果として、はるの(藤子への)口癖だが、
「この料理で、自分は子どもを育てたの。末娘の千代が、自分の思い通りになっていたら、貴方もこの味に馴染んで育ったでしょうね」
という現実があり、はるが作る料理は、料亭風の上品な薄味料理が基本になっている。
藤子は自分の実の母方祖母が作る料理と言うこともあり、特に文句を言う気に成れず、逆に早く馴染みたい、と考える程なのだが。
早苗や正にしてみれば、はるが作る料理は塩味が足りない、余り美味しくない料理だ、ということになっていたのだ。
藤子は、その現実に改めて頭を痛めることになった。
ご感想等をお待ちしています。




