閑話―4 1940年3月下旬のカテリーナの想い
「中々の腕だな。本当に戦闘機乗りになったら、撃墜王になるかもな」
「ありがとうございます」
カテリーナ・メンデスは、1940年3月下旬現在、順調にパイロットとしての教育を受けつつあり、そのような評価を、教官から受けるまでに至っていた。
「そういえば、促成士官養成試験にも受かったそうだな」
「偶々です」
「謙虚すぎるぞ。本当に士官になれば、分隊長(この世界の分隊長は、2機編隊の長機になる)に、すぐになれる存在だ。それを積極的に目指すべきだ」
カテリーナと教官は、更なるやり取りをした。
そして、表面上、そういった教官の評価に対して、胸を張るような態度をカテリーナは示したが。
その一方で、色々と複雑な想いが内心で湧いてならなかった。
止むを得ない事態なのは、自分でも重々分かってはいる。
だが、本来からすれば、人を殺すな、というのは十戒の一つとして掲げられることであり、ユダヤ人として殺人は決して許されないことの筈だ。
だが、自分は、皮肉にも人を殺すことが本当に上手くなりつつある現実がある。
本当に自らの手を血に染めるようなことをするのは、良いことなのだろうか。
かつて、マサダ砦に籠った人々は、人を殺すな、という十戒を護ろうとしたことから、全員が自殺するという非情な決断を下さざるを得なかったとか。
それからすれば、黙って殺されるのが、神の意思だと考えるべきではないのか。
其処まで突き詰めて考え出すと、カテリーナは悩まざるを得ない。
実際、自分の下に届いた情報を信じるならばだが、上海に止まった自分の父は、ドイツから派遣された軍事顧問団の指導の下で、中国国民党軍に惨殺されたらしいのだ。
もしも、自分達、自分や母や弟妹が上海に止まっていれば、父と同じ運命が待っていただろうが。
自分達は、日本軍(の上海海軍特別陸戦隊)の支援の下で、上海から脱出したことから、生き延びることが出来たのだ。
そういったことからすれば、自分達、ユダヤ人が生き延びることを考えるならば、非道な攻撃を掛けて来る異教徒に対しては、武器を取って、ユダヤ人は抗戦するのが当然だ、という主張にも、それなり以上の正しい主張だ、と考えざるを得ないのではないか。
そんな考えが浮かぶ一方で、個人的な想いも浮かんでならなかった。
彼、米内洋六少佐は、ノルウェーで戦っていたらしい。
もし、ユダヤ人部隊が、ノルウェーに派遣されることになっていたら、共闘していたのだろうか。
勿論、私は訓練中の身だから、ノルウェーに赴けはしなかったけれど。
何れは、彼と事実上は共闘することがあるかもしれない。
最も所属部隊が完全に違う以上、お互いに気付かない、すれ違いのことになるだろうが。
そして、彼がそのことを知ったなら、自分のことをどう見るだろうか。
幾ら敵兵とはいえ、人を殺めた自分を、普通の女性として見てくれるだろうか。
ユダヤ人部隊に志願した際、自分は補助部隊勤務になるから、直に敵兵を殺すことは無い、と考えていて、それもあって志願したのに。
結果的にだが、自分は戦闘機乗りの路を歩みつつある。
このまま行けば、直に敵兵を殺すことになるだろう。
そんな想いを、カテリーナがしていることに気付くことなく、教官は更に言った。
「そう言えば、我々に与えられる戦闘機がほぼ決まったようだ」
「何に乗るのでしょうか」
「ハリケーン(戦闘機)らしい。スピットファイアは、本来の英空軍優先とのことで、仕方ない話だ」
「でも、噂ではハリケーンも中々の戦闘機と聞いていますから、そう悪くも無いのでは」
「確かにな。旧式の複葉機が渡されると言う噂まであったからな。確かにマシなことか」
カテリーナと教官は、そんな会話を交わした。
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