第10章―15
そうした状況から、この時期の日本の第一海兵師団は、ある意味では間抜けと言われても仕方ないが、ベルゲン周辺において防衛陣地等を築く事態が起きていた。
とはいえ、それはそれで妥当な方策だ、と言う評価が、既述の事情から、英国政府上層部等、一部から出ているのも現実だったのだ。
(既存の)ノルウェー政府が、完全に旗幟を宣明にしていない段階で、積極的に日本の第一海兵師団が、オスロ等への進撃を図っては、それこそノルウェーの国民から、英仏日の連合軍が侵略者だ、と見られる事態が起きかねないからだ。
一部の日本海兵隊の兵からは、
「我々はドイツの侵略からノルウェーの国民を守る為に赴いたのに、何故に侵略者と見られるのですか?本当におかしなことでは」
という声が、この事態において起きたが。
第一海兵師団長を務める大川内傳七少将を始めとする面々(その中には米内洋六少佐も加わっている)からすれば、このような事態が起きるのは、ある程度は覚悟すると言うか、当然の事態だった。
所詮はノルウェーの国民から見れば、第一海兵師団も、ドイツ軍も同じ穴のムジナなのだ。
お互いにノルウェーを不当な侵略から守るために進駐、保障占領しようとしていると主張している。
こうした状況で、積極的に相手の政府の承諾なくして、積極的に占領地の拡大を図っては、それこそ侵略者と多くのノルウェーの国民から見られても当然なのだ。
その為に暫く、日本の第一海兵師団の行動は低調と言うしかない事態が起きた。
だが、その一方で、日英仏側は、ベルゲン周辺に野戦飛行場の建設等を急きょ試みることになり、それによって、ノルウェー上空の制空権を確保しよう、とその間を活用する事態も起きることになった。
そうしたことからすれば、必ずしもこの時間全てが悪かったとは言い難い。
そして、クヴィスリングが臨時政府の樹立を宣言し、その情報がノルウェー国内に広まるにつれて、逆説的にドイツこそがノルウェーへの侵略者だ、敵の敵は味方の論理から、日英仏に加担すべきだ、と考えるノルウェー国民が徐々に増える事態が起きた。
更に言えば、(この世界では)日本海軍の勇戦敢闘の結果、ナルヴィクやトロンハイムへのドイツ軍の侵攻作戦は完全に失敗に終わった、と言ってもよく、ノルウェーの中北部、ベルゲン以北は完全に旧来のノルウェー政府が統治する体制を整え、更にはノルウェー軍の動員等が中北部では進むことになったことから、2月末にはノルウェーの中北部を管区とする、ノルウェー陸軍3個師団の動員が完結したと言える事態が引き起こされることもになった。
(最も既述だが、3個師団の動員が完結したとはいえ、その師団の内実は極めて微妙な代物だった。
日本の第一海兵師団司令部からすれば、ノルウェー陸軍2個師団と、自分達の戦力は同等と評価する有様であり、プライドからノルウェー陸軍も明言しなかったが、暗にそれを肯定せざるを得ないのが現実としか、言いようが無かったのだ)
その一方で、この時間は、ドイツ陸空軍にとってみれば、ノルウェー南部に増援部隊を送り込む貴重な時間にもなった。
それこそ中小型の船舶(その中には漁船まで含まれる有様で、複数の戦車がノルウェーに輸送されたのは、当時のドイツ陸軍内で、奇跡ではないか、とささやかれる程だった)まで動員することで、カテガット海峡等を経由して、3個師団相当の人員が、ノルウェーに送り込まれた。
だが、その実態はというと。
カテガット海峡等を押し渡るのは、ドイツ陸軍にしてみれば、三途の川を押し渡るのに等しい事態だった。
本来は5個師団が到着する筈が、3個師団相当しかノルウェーにたどり着けなかったのだ。
尚、この世界のノルウェー軍の動員ですが、細かいことを言えば、順調に行かなかった、ドイツ軍占領地域及びその近郊の3個師団の動員は上手く行かず、師団編制が為されないままで崩壊しました。
そして、生き残った将兵の多くが、ノルウェー正統政府の統治下に逃げ込んだり、地下抵抗組織、レジスタンス活動に身を投じたりすることになります。
更には、こういったことから、ノルウェーのドイツ軍占領地域の統治は混乱を引き起こすのですが、それは先のことで、この章では描かれない話になります。
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