一年前の言葉
「アハ、アハハハ」
身体全身から湧き上がる喜びを抑えられないように、小さく悶えるリリィ。
悶えながらも空をゆったりと舞う。一年前に初めて彼女と出会った時に見た、氷板を下にひきその上に立つことで宙に浮くのではなく、足元には何もない状態であろうとも風を巧みに操りながら、もはや彼女は空を自由に踊ることができるようになっていた。
風を完全に掌握している。
否、自然をか。
あの頃の彼女とは、一線を画すほどの力を……たった一年で会得していた。
「凄いな」
思わず呟いてしまう。あれ程の才能があるのなら、更なる高みなど必要ないだろう。というよりも、更なる高みなどあるのかと疑問すら思う。けれど紅髪の少女は違った。僕が予想するよりも遥か高みを目指していて、一年で目に見えて成長している。僕やモモだけじゃないんだ。皆、それぞれ自分のことを考え、努力し、前に進んでいる……。負けられない。
「見てるよリリィ。派手に暴れなよ」
「もちろん。だからシルドも一緒にいこうよ」
「あぁ、僕はここから」
むんずと服を掴まれて。
「……ちょっ」
「三人全員を相手にするつもりだけど、逃げられたら面倒じゃん? 上からはイヴがいるから大丈夫だとは思うけどさ、やっぱり森の中でも相棒が必要なんだよね」
「待っ」
「大丈夫大丈夫! いるだけでいいよ。棒のように」
数日前にも同じ状況に遭遇したことがある。どこぞの覗き魔がテンション上がって空へダイブした際に道連れにされたあの件だ。今度は銀髪ではなく赤髪で、王子ではなく征服少女、似ているのは無理矢理ということぐらいであった。
悲鳴をあげる僕をがっちりと掴みながらリリィは滑るように崖を急降下していく。なんとか数秒前にいたであろう場所を見上げても、皆は笑顔で手を振るだけであった。……ひどい。ヒモなしバンジージャンプを終え、森の中へ無事着地し、若干の恐怖も混ざりながら辺りを見渡す。
樹木。
暗闇の大樹。
毎日のように見下ろしていたからわかっていたことだ。ただ、それでも、地上に降りて改めて見上げれば……自然の偉大さを堂々と魅せつけられる。太く聳え立つ圧巻の大木。木々一本いっぽんが活力に満ち溢れていて、たとえ夜であっとしても彼らの生命の輝きが衰えることはない。
「高いな」
「そうだね」
天まで届きそうな高々しさには思わず溜め息が漏れる。樹の幹を見ても細かい筋がありありと出ていて、存在感が尋常ではないのだ。どこを見ても周りはそれ。月と星の光が微かに降り注ぐ程度であった。奥へ目を向ければどこまでも続いていきそうな闇の世界が妖しく広がっている。
「リリィ。一応言っておくことがあるよ」
「ここに接近してくる奴らが敵じゃないかもしれないってことだね」
「あぁ。ピッチェスさんのおかげで僕らは極力誰も寄り付かない場所に館を構えた。だから余程のことがない限り部外者がここへ来る可能性は低い。ただ、二つ例外がある。一つがルェンさんや学園啓都の関係者が急用で僕らのところへ現在向かって来ている場合。もう一つが僕らのいる場所を抜けて別の場所に急いで行きたい一般学生がいる場合。相手三者がどちらかだったら、先に僕らが攻撃してしまうと後々面倒なことになる」
「うん。じゃあどう見極めればいいの?」
「簡単なことだよ」
古代魔法“ビブリオテカ”を発動する。
「ルェンさんがここへ到着した際に言っていただろ? 我々がこちらへ来る場合、必ずレギオンを着て現れると。それが仕事上の礼儀であり、学園啓都関係者でもある証左になるって」
「なら、相手がレギオンを着ていなかったら一つ目の例外が消えるね。でも、もう一つは?」
「今、僕らがいる場所は崖のすぐ下だよね? もし一般学生で僕らのいる場所を通過して別の場所に行きたい要件だったら、近寄るにしてもここまでは来ないよ。わざわざ盛り上がった大地を登ってまで通過するよりも、迂回するだろうさ。そんなに広い一枚岩でもないしね」
「なら相手がレギオンを着ていなくて、かつ私たちがいる場所まで速度を落とすことなく接近してきた場合は……」
「うん」
魔力を感じ取る。目を凝らしても森林の奥は真っ暗な世界がぽっかりと空いているだけである。しかし徐々に空気に混ざった、ぬめりとした泥のような感覚が全身を襲う。
色は二つ。イヴが言っていた、東からの二人。次第に魔力が濃く、強くなっていき明らかにこちらへ向かって進んでいるのがわかった。……そう、リリィに一応言っておくことがあるとは言ったものの、一応と付けたのはおおよそ答えは決まっていたからだ。体面での話。はっきり言ってしまえば──
「敵だね。“光明の守護者”」
闇から二体の異物が弾丸のように出現した。
僕らを囲むように左右に展開しつつ人ならざる速度で接近。レギオンは着ておらず、迂回しようともしていない。このまま崖を登りきり狙いの男を仕留めにいこうかという気迫。一目で相手が何なのか理解できた。
二体は一体が宙を飛びこちらへ、残りの一体が地上を走りながらこちらへ。
双方、初撃を一切の躊躇なく僕らへ叩き込んだ。砲弾が激突したのかと錯覚させる豪音ながらも、相手の攻撃はリリィが作り出した氷の壁で阻まれる。軋むような音がして、瞬時に後方へ敵が飛ぶ。初撃だけでは倒せない獲物だと判断したのか、忙しなく動いていた状態から飛んだ後は僕とリリィを値踏みするように睨み付けた。
中級・自然魔法“光明の守護者”によって、発動した僕の周りを五つの球体が巡回する。壊してもすぐに修復し、夜のお供として重宝されている魔法である。光のおかげで、敵の姿は容易に捉えることができた。
男。
一体は、腰から上が大鷲の容姿をしている。両腕から大きな羽が生えていて、胸や腹は灰色の羽毛が覆う。尖った嘴に鷲のような顔をしており、おそらくではあるが獣叉魔術の使い手ではなかろうか。
もう一体は、意外にも只の人間であった。しかし、両膝から足にかけて雄々しくも禍々しい魔力が見て取れる。こちらの敵は、剛身魔術によって足を強化させた魔術師であろう。鳥人間が視線を僕らに固定させたまま、大きな嘴をぱっくりと開く。
「ジン・フォン・ティック・アズールだな」
「……リリィ」
「……何?」
「わかっちゃいたけど結構ヘコむね。あいつと間違えられるの」
「元気だしなよ」
「いいなぁリリィは女の子だから。あいつ女にならないかなー」
「えー、気持ち悪くない?」
僕とリリィの会話から、敵は僕らがジンではないとわかっても、迷ったり考えたりする素振りを見せる間もなく、すぐさま次の行動へ。
僕らを仕留める行動へ。
まるで、事前に“邪魔者は即刻殺せ”と打ち合わせしていたように。
“ビブリオテカ”を光らせ迎撃しようとするがリリィからジィッと睨まれる。彼女の瞳には、ジンが言っていた『たった一人の魔法師に叩き潰される』ことを実行したいという意志が含まれていて。多少、躊躇したものの“光明の守護者”を維持するだけに留める。
そんな、征服少女が僕へ視線を向け敵の二人をどうでもいいような扱いにしていた間。
大鷲の体躯が樹木を高速で蹴りながら瞬く間に彼女の真上へ移動して、雷霆の如く急降下し両腕の羽を刃のように振り下ろした……! ギロチンのような羽だった。
「“紅大蛇”」
リリィの全身より炎が舞い上がる。
炎は彼女の身体を昇りながら一瞬で巨大な炎蛇となり、真上から降下してきた鳥男を難なく丸呑みにしながら……勢い殺すことなく天までいく。花火のように上へ上へと昇りゆき、樹木を越え、魔法の館がある盛り上がった大地の高さをも越え、更に上昇し、グングンと飛翔し、『僕らを監視しているかもしれない敵』にありありと魅せつられる高さまで上昇して──
「“夜桜”」
派手な爆発音を深夜の学園啓都に木霊させ、真夜中の星空に咲く大輪の花を咲き乱らせた。
敵がリリィと接触し、今の間まで時間にして三十秒もかかっていない。されど敵のうち一体は既に敗れた。敗北した。文字通り、燃え尽きた。見るからに戦闘慣れし実力もあるであろう猛者を、穏やかに冷静に、派手に煌びやかに、燃える髪色の少女は実行する。
己が力を惜し気もなく使い。
秒殺した。
そして剛身魔術によって足に強力な魔術を施していた男は……動けないでいる。つい先ほど起こったリリィと鳥男の戦闘を見て慄いてるわけではない。彼の足元が、強制的に凍らされているからである。
僕とリリィを除き、辺り一帯の地面は、氷河期に突入した大地のように凍結していた。そして敵の足と地面が一体化させられ、さらに徐々に凍結が上へと浸食。見る見る間に男は下半身が凍りついていた……。驚きと、恐怖と、混乱と、焦燥が入り混じった混沌とした目を一人の少女へ向けて。
「っらあ!」
だが、相手も意地があろう。
このままいけば確実に次の獲物は自分である。そうなる前に、己の本気を出さねば終わると悟ったのだ。ピキピキと軋み砕ける氷。ひび割れ崩れ、五秒もたたないうちに足から魔力を迸らせて男は跳んだ。恐ろしいことに男が脱出するまでの時間は──
五秒もかからなかった。
されど四秒はかかった。
唯一悲しきことは、眼前の男が凍結した地面から脱出するまで要した時間に対する僕とリリィの受け取り方が、天と地ほど違うものであったこと。男の動作を見て、溜め息を吐くリリィ。彼女が求めていた一ないし二秒の時間を彼は超えられなかったのだ。ただ、当の本人はそんな歴代二位の称号を持つ少女の考えなどわかるわけもなく、着地したと同時に魔術の全てを解放する。
超高速による瞬歩。
先ほどの鳥人間もかなり速度であったが比ではない。
速度のみに特化した肉体を手に入れるため、会得した魔術なのだろうか。下は氷漬けの大地であるのに魔力を足に纏わせているため問題ないようだった。氷の大地ごと踏み砕き、残像を何体も見せながら男はリリィを攪乱して……消えた。
直後、リリィからけたたましい打撃音が鳴った。
消えたと思ったほぼ同時に彼女の懐へ入り込み、俊足にして瞬速の脚撃をぶち込んだのだ。通常の者ならば蹴られた箇所が弾け飛び、絶命していただろう。それほどの威力であったと思う。しかし、それでも僕は……リリィが負ける姿など、微塵も想像できなかった。
「満足した?」
蹴りは、たった一枚の氷板に、阻まれる。
リリィが自身を守る盾として、最もイメージしやすいものに氷を選ぶ。想像による創造を実現する彼女にとって、イメージが強ければ強いほど実現性に直結する。つまり、いかなる攻撃にも耐えうる盾として氷の板が最適だと固く信じ創造すれば……形となるのだ。
誰も壊せない最強の氷盾となって。
目を見開き、自分の足をゆっくりと下ろして、数歩後ずさり。次第に震えが始まって、顔を左右に振る。信じられない、ありえない、ふざけるなと何度も何度も口にして、リリィが審判を下す直前、剛身魔術の使い手は……発狂しながら叫んだ。
「化け物めぇえ!」
「“嘶きの断罪”」
一年前に僕と戦った際に見た、風圧による拳の一撃“嘶きの風掌”。
その強化版といったところか。桁違いにも程がある風の圧撃。反動で周囲に広がっていた氷の大地は全て吹き飛び、すり潰した相手はかろうじて息をしているものの、指一本動かせない。あるのは、敗北した男の姿と見下ろしている赤髪の少女。
──化け物。
今まで彼女はどれだけその言葉を口にされ、ぶつけられてきたのだろう。
魔法師に許された領域を越えている絶対的な力。自然魔法の化身とまで恐れられた天才。彼女が気にしないことをいいことに、周りはありとあらゆる憎しみや皮肉、恨みや妬みの言葉を吐き出してきたことだろう。気にしない性格であっても……何も感じないわけがないだろうに。
「リリィ」
「うん?」
キミの過去は、いったいどれだけの重みがあるんだい。
心からキミの支えになってくれる人は、現れたのかい。
僕たちがキミにできることは……本当にできることは、あるのかい。
一年前、僕はリリィに言ったよね。殺し合いをして、最後に言った言葉があったよ。
これからの三年間は、征服以外で興味のあるものを探すのも、わるくないんじゃないかなって。
あれから一年が経過した。答えは……
「リリィには僕らがいるよ」
「アハハ、何それ。当たり前じゃん」
「うん。そうだね。ごめん」
「……わかってるよ。シルドが言いたいことはさ。私は程度の差はあれいろいろ言われてきた。でもね、今はとても幸せなんだ。まだまだ知らないことがあって、面白いことも経験して、友達もできた。毎週懲りずにやってくる騎士科の男の子もいるし、イヴとも仲良くなれた。わるくないよ、こういうのも。あの時の答えはまだ出ていないけれど、私は毎日が充実してる」
「そっか」
「だからね、私はさ──」
手をそっと前に差し出して。
ちょっと照れながらも、リリィ・サランティスはにっこり笑った。
「“皆の力になる”。私のできる範囲でね。まぁ、その、今はこういう感じってことで。終わりっ!」
「うん」
リリィ。
キミはもう、答えを出しているのかもしれない。




