他国の世界
「なんたることだ。ここはクロネアが誇りし学園啓都であるぞ!」
「そうですよね。まったく、アズールの輩はこれだから信用ならんのです!」
「あぁ、断固たる抗議をしてやろう。よし、あの扉の奥だな。やいっ! アズールの民ども、ここがクロネアの……学園……」
「申し訳ありません。魔法を発動した者には、ご覧の通り相応の制裁をしましたので、今回の件はひとつお許しをいただきたく」
「あ、そ、そうだな、うむ。ところで、だが」
「はい、何でございましょう」
「その者は、あー……生きているのか?」
「えぇ、ギリギリ。ご要望とあらば、さらにキツくしますが」
「いや! いい。大丈夫だ。わ、わかっているならよいのだ、うむ。今後は注意するように」
「はい。肝に銘じておきます」
ピッチェスさんが深くお辞儀する。彼の冷静な対応が余計に恐怖を植え付けたのか、二人の男はすぐさま顔を逸らし、慌ただしく出ていった……と思う。
これで三回目だ。一言文句を言ってやろうといきり立って部屋に入ってくるものの、ジンの姿を見た途端、全員が顔を青ざめさせてそそくさと退散していく。ある者は同情で涙まで流していた。そんな三十秒の入退室を繰り返すクロネアの民を、何とも言えぬ表情で見ているルェンさん。そしてお仕事スマイルをして淡々と業務をこなしていくピッチェスさん。
ジン・フォン・ティック・アズールは、虫の息であった。
いや、もう四分の三ほど死んでいると思われる。魂は三途の川を渡るか泳ぐか迷っている時であろう。強靭なる精神が必死で自分の魂をあちら側へと旅立つのを阻止しているものの、このままいけば死神様とワルツを踊りながら逝ってしまわれる。
何せ、ミイラのように干からびているのだから。
築嬢、ミュウ・コルケットが独自に作り出した創造魔法“凶叫恐”。
数分前、魔法名を唱えた彼女のすぐ横の地面より、血で染まった手跡が何十もついている棺桶が出現した。棺桶が出た瞬間、ジンは今年ダントツのスピードで逃亡を図ったが、あえなく捕獲。死ぬ気で逃げようとする彼を笑顔でぶち込むミュウ。そして一分後、ミイラ・ジンが誕生した。
人の60%は水でできている。水を全くとらないと三日ないし四日で死んでしまう。生物にとって、水は必要不可欠なものだ。それを生死ギリギリのところまで抜き取り、一切合切の恵みを与えず放置されることが、どれだけ辛いことか……想像に難くない。「みす、みすぅ」と枯れ木が話しているように一生懸命懇願する王子。……うぅ、ごめんよジン。怒られるのは当然だと思ってたけど、まさかここまでひどくなるとは思わなかった。
顔・両手・腹・両足が地面にめり込み続けている状態の中で、ジンに謝る。
ずずず、と徐々に地面へ沈下する身体。そろそろ息をするのが難しくなってきた。待ってろジン、もうすぐ逝くからな。ユミリアーナ・アシュランの“愛しき髏頸・極”を身体の六ヶ所に発動された僕と、ミイラとなったジンによる二人の謝罪は、それから十五分ほど続いた。最終的に、部屋への来訪者は合計十七名となった。
* * *
「幸い、騒ぎを目撃したほとんどが魔物でした。魔物はそこまで人間の素性や容姿を覚えるということはしませんので、興奮した勢いでやってしまった旅行客という処理でなんとかなると思います。というより、なんとかしてみせます」
「ご迷惑をおかけしました」
「いえ、私の方こそ。まさか到着早々あんなことをやってしまうとは、配慮が足りませんでした。不徳の極みです。もっと先まで読んでいれば……」
「そんな、ルェンさんが謝ることなんて何一つありませんよ。ご要望であれば、もっと強い」
「結構です」
ピシャリと言い放ち、この話は終わった。ピッチェスさんはルェンさんの性格をわかっているのだろう。あのような言い方をすればすぐに終わると予測しての発言だ。
現在、僕らは朝日が昇る晴れ模様の中、港の外にようやく出た頃であった。身体のあちこちがまだ痛い。おそらく今日一日はこんなだろう。あまり考えないようにしたい。モモ・ユミ姉・イヴの三人からこってり絞られたし、ルェンさんにも五十回ほど頭を下げた。ジンはリリィが作った水風船の中へポイッと投げ込まれて数分後に復活した。こいつだけ完全にギャグ漫画並みの回復力である。ミュウ曰く、ジンの継承魔法がやや関係しているという。
そんな、朝の騒動も無事に終わって、次の目的地は。
出発当時からおおよそ『穿人』より話を聞いていた。到着一日は軽く学園啓都を観光し、僕らがおよそ一ヶ月滞在する屋敷へと向かう。長い船旅を癒すため今日は大雑把な啓都巡りになるという。確かに朝早くから起きて驚きの連続であった数時間は精神・肉体的に疲労が感じられた。それでも、興奮が疲労を凌駕しており、今日一日はフルで動いても問題ないだろう。
「では、まずは飛行乗り場まで移動しましょう。ここから十分程度の距離ですので、歩きながら町並みをお楽しみいただければ幸いの極みです」
凛とした趣きの中にどこか嬉しさが垣間見れる。数日、彼女と触れ合う中でシェリナ王女に対する忠誠心の他にもう一つ思うことがあった。彼女は、相手を接待することが純粋に好きなのだろう。ルェンさんの言動からほんのりとおもてなし好きの雰囲気が出ている。単にクロネアの使者ではなく、別の面でも彼女が選ばれた理由がわかった気がした。
僕らは、第六極長と彼女の部下数人と一緒に移動を開始する。
雲の上を歩いているはずなれど、もはや感触は大地と同じ。……というよりも、土がある。歩きながらも周囲の風景に皆、目を奪われていた。
「自然と一体化している感じですね」
「左様です。豊かなる大自然は古来より我々と共にありました。生活の一部になることも、また必然かと」
空船の港町であろう。後ろを振り返れば悠然と聳える我らが空船。僕らが乗って来た大型空船と中型の二つ、計三隻が横に並んでいる。船員たちが交代でせっせと点検や修理に励んでいた。
学園啓都を支えている陸雲の構造は至ってシンプルであり、土層と雲層の二層に分かれている。船に乗って浮上する時、下はもふもふの雲であったのが上からでは大地が広がっていた。ただ、上空から見ても所々雲の白い塊がポコンと出ていたり、うねうね動きながら学園啓都の地面を移動している雲もあった。
「全体の八割は自然で作られており、二割が今私たちがいるような人が住まう場所となっております。魔物の方々も学校がない時は学園啓都内にある豊かな自然へ遊びに行くことが多いですね」
「あの、質問していいですか」
「もちろんです、アシュラン様。なんなりと」
「自然と謳う以上、森や川、湖に荒地があるということですよね」
「左様です」
「地理学において大地の中……えと、陸雲の中はどうなっているのかなって。同じ土を使っていても、いつかは栄養がなくなり枯渇してしまうはずでは」
「大変素晴らしい質問ですっ!」
待ってましたとポニーテールをくるんと回転させ、笑顔で答える第六極長。
「一時間ほど前にもお話しましたが、この学園啓都は今から一千年前、当時のクロネア王と親友であらせられた神然魔術の使い手バクダクト統帥によって作られました。まるで二人の王がいるかのような国であったことから、『双王』とまで呼ばれておりました。しかし、いざ陸雲を作ってみたところ、アシュラン様が仰られた通り同じ大地を使い続けるため栄養がなくなり、枯渇化があちこちで生まれました」
当時、クロネア王から学園啓都を任されたバクダクト統帥は悩みに悩んだという。
せっかく天空に浮かぶ学園都市を作ったというのに、肝心の自然が死んでしまっては意味がないからだ。そこで彼は自分が知る限りの神然魔術の使い手をクロネア中から呼び集め、後に『魔族会談』と呼ばれる会を結成した。大地・川・樹木・雲など、神然魔術と言われる所以であろう大自然の力を掌握した魔物が総動員して十年の歳月の末、ようやく完成したという。
今では毎年一回、彼らの祖先や弟子たちが点検に訪れるそうだ。特に大地の神然魔術師らは、四ヶ月に一回の頻度で啓都内を支える大地の栄養補給、並びに土そのものの入れ替えも行っている。初めは不都合や失敗の連続で暗礁に乗り上げることも多々あり、王国内からも批判が出ることが少なくなかった。しかしそれをクロネア王が一手に引き受け、彼らの負担を大きく軽減させた。
「学園啓都は、魔物の方々が歴史的な意味で多大な功績を残された傑作でもあります」
「私からもひとつ、いいかしら」
「もちろんです、シャルロッティア様」
「樹木の種類は五百を超える……と以前仰いましたが」
「はい」
「これら全てが、そうなのですか?」
「えぇ。樹家と呼ばれています」
これら、とは。
歩道を進む僕らの左右に展開している、家々のことであろう。ここは空船の着船場であると同時に住宅街でもある。ルェンさんに連れられて移動乗り場まで、クロネア文明の一つである樹家をせわしなく見ながら歩いている僕たち。
五百を超える樹木といわれても想像できないものだ。何をどのような基準で分類しているのかまずわからないし、わかったとしてもどれがどれなのか見当もつかない。
たとえば右の家は、全体が赤々とした紅の屋敷である。もちろん全て樹で作らている。ここまでは赤色の樹木なので別段驚きはしないのだが、家の中が燃えていた……。燃えているのに煙ひとつなく、橙色の炎が中で荒々しく吠えているだけである。
左の家は、家というより大樹であった。大樹の野太い枝がグニャグニャと動き回り、荷物を持っては向かいの道へ運んでいる。かと思うと、左へ九十度回転して大樹の下部分がぽっかりとトンネルのように穴が開いて道となった。そんな目を丸くする光景を余所に、港町の方々は当たり前のように通っていく。
「住宅には必ず燃壇と冷壇と呼ばれる土で作られた暖炉があります。燃壇は松明を入れると丸一日松明と同じ温度を保ち、反対に冷壇は何もしなければ氷点下5度まで下がる機能を有しています。クロネアには土の種類も二百種類ほどあり、用途によって様々な使い分けがされているのです」
「……ちなみに、雲は?」
「雲もまた、全部で七種類あります。先ほど私が空船より降りた際、着地できた雲がありましたでしょう? あれは硬雲と呼ばれ一定の重さに耐えられる雲なのです。他にも水を大量に含み特殊な針で刺すと一気にあふれ出る泉雲、生き物のように動き回り成長している蛇雲と呼ばれる雲もあります。どれも、大自然の恵みから生まれた新種雲です」
いや、雲の構造上ありえないだろ。
「……などと仰られる方も多いですが、現実にある以上、我々は受け入れるだけですね」
照れ笑いをしながら頬っぺたを触るポニーテールの女の子。……確かに、僕らがおかしいと言っても目の前にはそれがある。樹木や土までもがこちらの想像をはるかに超える進化をしている。ならば、雲も同じ道を辿ろうと驚きはしないだろう。学術的な疑問は置いといて。置きまくりで。
「さぁそろそろ見えてきましたよ。あちらですっ!」
少しだけスキップをしながら、早く早くと僕らを急かす。やや坂道となって、建物も上の方に並んでいく。坂道の向こう側は今の場所では見えず、登りきった先から見ることができるのだろう。個人的な予想としては、おそらく下り坂であるため自分に気合を入れる。あまり運動神経はよいほうではないから。
ただ、この時。
僕は後ろでこっそりニヤついているミュウ、ユミ姉、イヴの三人に気付かなかった。
この三人は、ジンと僕を拷問した後ずっと黙っていた。それは明らかにこの先に何があるのかを知っているからに違いなく、同時に『何も言わずにアレを見せる』という結論に達した意地悪い三女の考えであった。
坂道をひいこらと登る。モモがリュネさんにそっと助けてもらいながら歩いていた。何と美しい主従愛だろうか。レノンはどこだ、……何でお前ジンと一緒に一番先に行ってるんだハリ倒すぞ。
大きな看板が見えてきて、ルェンさんがクロネア語で乗り場と書かれていると教えてくれた。肩で息をしていると周りに知られるのは嫌だったので、無理して浅く呼吸しながら頂上へ。そしてようやく下り坂からの景色を見た。
「ふぅ。やっと着いた」
頂上へ登り、そこから先は下り坂だろうと思っていた。着いたと同時、思わず足を止めてしまう。ほんの少しだけ道が続いているものの、その先は……何もなかったからだ。
崖。
陸雲といっても、標高差は場所によって様々である。僕らが降り立った港は学園啓都内で『高い』場所に位置していた。そのため、少し歩けば広大な大自然を一望できる高台へ移動可能となっていて。高さはどれくらいなのか、まったく予想できない。そもそも空中に浮いている陸雲なのだから標高も何もないのだが……。
山の頂上より見下ろしたような、息を呑むほどの壮大な景観。しかし、本来なら酔いしれるはずの景観も、すぐに見えなくなってしまう。
家が、目の前に現れたからだ。
いったいお前は何を言っているんだと怒られるかもしれない。
けれど、本当に家が目の前に現れたのだ。
数秒前僕は崖の麓にいた。数歩歩けば目眩を起こすほどの高所から落っこちる場所だ。
雄大な景色を堪能する時間すらなく、突如として、三角の屋根で壁の色が全体的に茶色で装飾された家が下からゆっくりと現れた。びっくり仰天で、モモが僕の腕をギュッと握ってくれたことすらも気付かない衝撃だった。想像できるだろうか、前世の富士山の頂上に登り日の出を見ていたら視界の下から家がのっそりと現れる光景を……!
「皆様、落ち着いてくださいませ。崖から落ちない程度にお進みいただき、真下をご覧ください」
ルェンさんに言われ、恐る恐る歩を進めて下を見る。
最初、枯れ果てた地面かと思った。ゴツゴツした地肌で水気もなく寂しい印象を受ける。しかしよくよく見ると、硬く重量感のある──『甲羅』だとわかる。
そう。目の前の家は、ある魔物の甲羅の最上部に作られた……建物であったのだ。四角い窓が正面に二つ、中を見るとソファにテーブル、お菓子や飲み物など喫茶店のような雰囲気。もはや九分九厘答えが出ている中で、答え合わせのようにルェンさんを見る。
こっくりと頷きながら、ポニーテールを左右にゆらゆら揺らして、楽しくて嬉しくて仕方ないように、元気いっぱい第六極長はほほ笑む。
「クロネア名物、空中巨亀『ラメガ』です。さぁ、参りましょう皆さん!」
今日はあと何回、驚くことになるのだろう。




