承諾書
「どういうことだ……」
「こういうことだよユンゲルちゃん」
橙色の夕日を背に、愕然とする右大臣と終始笑顔の王子。帽子を被っている痩せ型の男は茫然自失と僕らを見る。順番に一人ひとり見て、最後はアズール十二師団の隊長、副隊長を凝視した。今回の勝負がどのような結末を迎えたのか悟ったようで、みるみる顔が真っ赤となり、激昂する。
「あああ、ありえん! 密偵ならまだしも、カリエィとボルまでもが負けるなど!」
「申し訳ありません。我々では一歩及ばず」
「嘘だ嘘だ嘘だ! きっと何か裏があるのだな、そうに違いない! 認めんぞ、断じて!」
「おいおい、お前から言ってきたことだろうよ。嘘はよくねーな」
「私が駄目だと言ったら駄目です! 今回の勝負は引き分けに……」
「この状態ではもはや言い逃れは出来ませんよ。負けを認めましょう。ユンゲル右大臣」
「あ、お兄ちゃん」
認めてなるものかと雑言を重ねる大臣の後方より、一人の男性が現れた。髪色はミュウと同じエメラルド、すらっとしていて体格は細く学者のような印象を受ける。肌は白く女性のような顔立ちで、左手には大量の書類を持っている。白衣に黒線を入れた服を着こなし、右腕には右大臣補佐の紋章を付けていた。
ピッチェス・コルケット。ミュウの兄にしてアズール中枢を担う重要役職の一人だ。何故お前がここに、と顔に書いている上司の視線を受け、にっこりとほほ笑んだ。
「勝負の結果がどうなるかはわかりませんでしたが、最終的な結果は目に見えていたので。これ以上騒ぎが大きくなる前に解決した方が賢明と考え参上しました」
「わけのわからんことを申すな。今は私とジン王子の問題が最優先事項だぞ」
「だから俺が勝ったじゃん」
「いいえ、引き分けです」
「ユンゲル右大臣。そもそも今回、貴方がジン王子に『密偵四十人を夕方までに捕まえる勝負』としたはずです。なのに蓋を開けてみれば二人違う人物が紛れ込んでいた。しかもアズール十二師団の隊長、副隊長ですよ。明らかに違反があります」
「密偵集団を構成しているのは十二師団だ。構成員の長が出て何が悪い。何も問題はない!」
「百歩譲って問題はないにしても、ジン王子は夕方までに見事四十人を捕まえられました。勝敗は自明の理です」
「ならん。そもそもこれは私とジン王子の問題。なのにジン王子は仲間を使い一人ではなさらなかった。となればこれは明らかな違反事項に該当するではないか!」
「……はぁ。子供じゃないんですから駄々をこねないでください。いつものように淡々と無表情で事務処理を下す貴方は結構人気があるんですよ。男に」
「嬉しくないわ! とにかく、私は絶対認めないからな」
やれやれとしているピッチェスさんの横にミュウがトコトコと近づく。そして兄の持つ大量の書類を横取りし、ご満悦の表情を浮かべた。「もういいよね?」と目で合図を送り、残念そうに頷いた兄を確認して、爛々としながら前へ出た。僕の横でジンがぶるっと身体を震わせた。どうしたのだろう。
「ミュウ殿、何ですかなそれは」
「うん? 承諾書だよ」
両手いっぱいに持った紙の山を卓上に広げ、承諾書の中身を開示した……瞬間、右大臣の言葉にならない悲鳴を聞く。もちろん声は出ていないけど、顔が見事に体現していた。見たこっちが驚くほどの表情で、死神に魅入られたような顔だった。口をあんぐり開けて、目が水槽で泳ぐ金魚のように動き回る。ざっと見ただけでも、壮観な書類であった。
アズール王及び后様の王印。
長老会全員の受理印。
アズール騎士団隊長十四人の承諾印。
外交官上層部各役職全員からの申請書及び申請印、ホルガナード左大臣の承諾印、コルケット家による申請書及び申請印、クロネア王国との確認書と受理印、並びに滞在期間中の責任事項関係の確認書と受理印、連携国益条項の公文書、機密王家永続機関の確認印、魔法研究機関第九代局長の承諾印……他多数。僕のような身分の者が見ていいのかと疑うレベルの紙が無造作に散乱する。振り絞るような声で右大臣が言った。
「……ミュウ、殿。これ、いつの間に」
「ユンゲルは昨日ジンがクロネアに行くって知ったみたいだけど、私は一か月前から知ってたからさ。いろいろねー」
今日の朝、ジンがロギリアにやって来て僕に『軽く四十人ほど、殺さない?』と言ってきた。まだ事情が呑み込めない僕は、彼に昨晩何があったのか説明を求めた。その際、ジンと右大臣が夜に論争していた時に、ミュウは何をしていたのとも聞いた。
彼女は『久しぶりに会った上級役職の方々と世間話』と言った。
既に、答えは出ていたのだ。初めから、この勝負は無意味なものだった。昨日の時点で、ジンのクロネア行きは確定していたのだ。
「さぁユンゲル。皆がこれに印を押しているのに、貴方だけが押さないとなると職務放棄とみなされるね。いや、放棄どころじゃないよ。アズールのあらゆる組織に対しての造反だ。皆が皆の幸せのために動いてるのに、ユンゲルだけが和を乱す。うーん、これはよくないねぇ」
「ミュウ殿、貴方だけは味方だと思っていたのに! わからないのですか、ジン王子がクロネアで何かを起こせば、アズール国民が不利益を被るのですぞ!」
「それはないよー」
「何故!?」
「私がいるから」
……真っ直ぐな目で射貫く。
十年前の話。
当時ジンの部屋は后様の趣向で開放的な作りになっていた。大きな窓が至る所にあり、夜は親子そろって星空を眺める。警護は師団の者に任せているので安心だとしていた。しかし、賊が侵入した。警護が緩くなる時間帯を狙ったことと、警護していた師団員自身が賊だったのだ。身内に敵がいるなどと思いもしなかったアズールは、ここ最近の平和も手伝って油断しきっていた。
賊は、翌朝瀕死状態で発見される。
身体のあちこちに痣があり、打撲は六十七、骨折十四本、内出血二十ヶ所にも及ぶ悲惨なものだった。すぐさま誰がこんなことをしたのか調査が進められたが、結果はわからずじまい。唯一の手がかりが賊が思い出すたびに繰り返す「道が、道が……」の不可解極まりない文言のみであった。
調査が難航し、王と后様も誰がやったのか疑問に思っていた時のこと。
目の前で、ジンと戯れる一人の碧髪なる女の子がいて、ジンを拷問して遊んでいた。そんな様子を微笑ましく見守りながら、二人はあることに気が付く。まだ六才程度の女の子が、拷問魔法をポンポン出していることにだ。まさかと思いながらも、昔から仲がいいコルケット家の奥方を呼び、聞いてもらった。
『ねぇミュウ』
『なにー?』
『先日捕まった悪い人なんだけど、何か知ってる?』
『しってるよ。わたしがやっつけたもん。これで』
それが、六才にして特級・創造魔法“迷宮獄暗道”を生み出したミュウの逸話であった。
魔法名からして恐ろしいこれは、自身が建築した建物の中に組み込ませる魔法で、一定条件が成立した時だけ発動する珍しい魔法であった。ジンの部屋を作ったのはもちろんコルケット家。作っている時に幼いながらもミュウも見学していた。そして、ちゃっかり自分で作った床を、ジンの寝具の下に設置したのだ。
あとは、ミュウが怪しいと思っている人間の特徴をこと細かく“迷宮獄暗道”に組み込ませ、餌にかかるのを待つのみ。あまり効率的ではないし、魔法の対象が一人に制限されるということもあって、実用性は低い。しかし、いざ発動されれば……脱出不可能な迷宮に閉じ込められ、暗黒の道が幾重にも重なった内部を道自体が加速することで強制的に走らされ、しかも複雑に入り組んだ道は行き止まりが山のようにあり、何百回も激突しながらまた走らされ、上下左右の方向感覚も失い、転んでも倒れ込んだ先に何故か道が続くという歩く生き物にとっては常識を根元からかき回される魔法であった。
歳を重ねる毎に、ミュウの才能は開花していく。コルケット家に貯蔵されている建築魔法書は全て読破、自身オリジナルの魔法も生み出す。相性もあろう、本来なら一つの魔法に三年も要するそれを、より短時間で、しかもいくつか同時進行でやってのける我流を生み出す。
そして、一番恐ろしいことが……。
生み出された魔法の大部分が、対ジン用のものであったことだ。
建築魔法のほとんどは地より出現する。それは並みの者では回避不可能であり、熟練の者であっても難しい。つまりは、迎撃・奇襲に特化した魔法に関して、彼女の右に出るものはいない。
「僕の妹が傍にいること自体が、ジン王子の安全を証明しているようなものですよ」
「……おいちょっと待てピッチェス」
「はい、何でございましょうジン王子」
「それだと、まるでクロネアに滞在中、ずっっっと俺の横にミュウがいるみたいだぞ」
「さすがジン王子! ご名答です」
銀髪が走る。捕まる。
「ユンゲルゥゥゥ、俺クロネア行かない!」
「仕方ありませんな。そこまでの署名を集められている以上、私も認めるしか」
「ぉいいいいいい何諦めてんだ! もっと頑張れよ、まだ手はあるって!」
「それでは、皆様お忙しいでしょうからここらでお開きにしましょう。後は僕らがなんとかしますので、今日はゆっくりお休みください」
「ありがとうございます、ピッチェスさん」
「いえいえ、当然のことですよ」
気品があるなぁ。やっぱり人の上に立つ方々は見た目からして違う。
いつの間にかミュウの拷問器具に拘束され、ユンゲル右大臣から馬鹿にされているジン。左を見ると、すっかり回復したイヴと十二師団隊長のカリエィさんが楽しそうに雑談していた。カリエィさんは縦長の顔に眉と目が大きく、身長は百八十を超える。奥さんと子供が四人いるそうで、二年後には現役を引退し指導者としての道を歩く予定だという。しきりに陣形魔法について聞くイヴに、通じるものがあったのか饒舌に語る隊長。さらにリリィも加わり、上級者同士の魔法師による話に花が咲いていた。
副隊長のボルさんはユミ姉とモモの三人で大人の会話をしていた。どちらも懇切丁寧な言い回しで聞いてるこちらがむず痒くなってしまうほどだ。最近のアズール情勢から始まって他国の近況を互いに情報交換している。もちろん聞ける範囲のことで、踏み込んだりはしない。笑い話も入れながら、話を続ける三人に恐縮してしまう。
実に濃い内容だったこの騒動は、こうして幕を閉じた。
それからいろいろな準備や手続きも無事すまし、着々と身支度を始める。リュネさんの病気も無事完治し、ジンのあれこれも問題なく解消、荷物の整理も終わりしばし遠出をすると近隣の方々に言って軽い挨拶まわりもした。
本もどれを持って行くか丸一日吟味し、なんとか八十冊まで絞り込む。苦渋の決断なれど、胸に刃を刺し込む心境だったけど、目の前で八十冊を入れパンパンに膨れ上がったリュックを“灼撃の赤”でモモから弾き飛ばされたりもしながら……ほどなく一週間が経過して。
いよいよ。
出航の日を迎える。




