喧嘩
誰一人笑うことはなく、誰一人泣くこともなく、こちらに視線を合わせたまま四人は歩を進める。
全身より迸る魔力の蒸気は……もはやそれだけで鬼を具現化できそうなレベルであった。ゆっくりとこちらに歩いて来る女人方を見ながら、とにかく落ち着けと自分を戒め、深呼吸して意を決す。
彼女たちの頭の中はもはや一つのことしか考えていないだろう。そして、残念ながらそれ以外のことを考えられる余裕を、今は持ち合わせていない状態にあるのだろう。顔を見ればわかる。全員が全員、これから人殺しでもしそうな目をしていた。ユミ姉もイヴもリリィも……モモでさえも。
「止まって」
そんな彼女たちに声をかける。反応して、四人はその場で足を止めて、僕を見た。
表情は、変わらないまま。
「僕は大丈夫だよ。大丈夫だ」
この時、変に言葉を並べて相手側に必要以上の情報を発信しては駄目だ。そんな余裕は彼女らにない。一切ない。シンプルでかつ、心にすぐ溶けて奥底まで浸透していくような……優しい言葉だけでいい。まずは冷静になってもらう。一人でもなってくれれば、充分この場を好転できる。
「今から魔法の館に帰るよ。皆で帰ろう」
正直な話、目の前の四人に勝てる確率は……一万回やり直したとしてもゼロだ。勝てるわけがない。ヤカンの形ごと変形しそうなぐらい煮えたぎっている状態の彼女らを少しでも冷ますため、わかりやすく、ゆったりとした口調で語りかける。喉が渇いて仕方ないが、大丈夫。できる。ウチの姉妹は手遅れなれど、モモとリリィなら冷めるのも早いはず。
冷静になって考えればすぐ気付くはずだ。
もし敵が僕を本当に誘拐するつもりなら、誰にも探知できない距離にまで移動する。また、逃げないよう拘束もするだろう。しかしそんなことは起こっておらず、比較的館から近いだろう場所に身を隠しただけ。そして現在、僕は怪我もしていない元気な姿を見せている。
無事だったと思うはずだ。
そして何があったんだと聞き、僕からの話を聞く。その時には冷静さも取り戻し、聞き入れる状態になっていることだろう。皆も子供じゃない。話せばきっと気持ちが届いてくれるはず。
「とりあえず、この魔法を解いてくれる?」
「駄目よ」
「……何故かな、ユミ姉」
「貴方がその男に脅迫されて、私たちを油断させようとしている可能性があるから」
「彼は理由があって僕を連れ去った。ちゃんとそれについても館で話すよ」
「なら、大人しく縛に伏しなさい」
「伏すだけじゃ済まないだろう?」
「当然。四肢の全てを機能できないようにし、ありとあらゆる呪いの魔法をかけてから連れて行くわ」
「却下だ。激高している皆に彼を渡すわけにはいかない」
「そう」
「あぁ」
「ならシルドにも容赦しない」
ゾッとする声色で、無表情のままユミリアーナ・アシュランは告げた。
……彼女らの気持ちもわかる。もしモモが何者かに連れ去られ、見つけたと思い駆けつけたら誘拐犯をかばうような発言をしたなら……。とてもじゃないが信用できない。とりあえず身動きができないよう拘束したいと考えるだろう。
そう思えば、ユミ姉の発言も納得できる。が、今の皆に渡せば拘束だけでは済まない。鏡の彼もある程度の暴行は覚悟の上だろうが、度を越している。何も呪いをかける必要まではないはずだ。そこには、『僕を奪われた』ことに対するユミ姉の個人的な怒りが含まれているからに他ならない。
やはり、今の彼女は危険だ。イヴも同じだろう。
だとすれば、やはりこの状況で鍵を握っているのは、モモとリリィにある。
「モモ、リリィ」
「ごめんなさい、シルドくん」
「そうそう。諦めなよシルド」
「どうして……」
「シルドくんの気持ちを尊重したいのはあるけれど、やっぱり私には、今のシルドくんが絶対に信頼できる立ち位置にはいない」
「消えていた数分に『何か』があったのは事実だよねー。その数分が、こっちとしてはとても怖いんだよ」
「……そうか」
平行線。双方の言い分を上手に組み合わせて答えを導き出すことは困難に近い。
いや、第三者的に考えれば、ここは僕が身を引くべき事案だ。二人で大人しく拘束されて館に戻ることが一番ではなかろうか。僕のエゴかもしれない。
……でも、それでも。
身の危険を重々承知で、ここまでの行動に出てくれた彼を、易々と渡すことはできない。ましてや、姉の私情で呪いフルコースをダプダプにかけられる非情としか思えない所業を科せられる必要性など皆無であろう……!
馬鹿で結構。自分勝手も承知の上だ。
されど、僕だって我を通したいと思う時があるんだ。
常に最善手を選ぶ優等生よりも──未熟者でありたいんだよ!
「僕とユミ姉たちの目的は一つだ」
「そうね。どちらも館に連行するということで一致しているわ」
「しかし手段が違う」
「ならどうするのかしら?」
「言うまでもないだろう?」
にっこりと笑う姉。どこまでも悍ましく、正直このまま殺されそうな気分だ。
僕らの目的は一緒。どちらにしても館に向かう。共通見解。
違うのは手段である。無傷で向かう考えと、重傷で向かわせる考え。相違見解。
見解の違いは平行線で、答えは出ず。一呼吸おいて、横にいる彼を見た。当事者の美男子は、なんとも奇妙な表情をしていて。申し訳なさそうな、でも楽しそうな、この状況をどこまでも見ていたいと言っている気がした。もしかしたらこの人は、どんな状況でも楽しめる才能があるのかもしれない。
そうしてもう一度前を見る。
……四人。
戦う相手としては非常に苦しいけど、方法が無いわけではない。できるかどうかは……僕次第ってことさ。
「館に向かうまでの間は、ユミ姉たちは彼を捕まえ好きにできる。しかし館に到着したのなら、目的は達成されたのでそこから先は何もできない」
「いいでしょう」
「僕は彼を警護する。その際、ユミ姉たちを敵とみなし館に向かうまで迎撃する」
「いいでしょう」
「他に何か、言いたいことは?」
「ないわ」
喧嘩だ。
喧嘩だよ。
喧嘩は悪いことだ。馬鹿なことだ。さっさと館に向かえばいいのに何が楽しくてこんなことをしているんだ。本当に馬鹿だ。大馬鹿だ。
……はん。でもさ、馬鹿でいいじゃないか。結構なことだ。
大業も大発明も大発見も馬鹿なことをやって始まることが多々あった。つまり人間という生き物は馬鹿なんだ。馬鹿だから多くの偉業を成し遂げることができたんだ。そうだろう? だったら僕だって馬鹿になっていい。我儘を言ったっていい。自分に素直に……なっていい。
人生いろいろ。波乱万丈だ。
「“病魔の軍勢”」
ユミ姉の足元より、横幅二メートルほどの黒い池が出現。その池から、にゅっと骨の手が出てくる。ぺちゃり、ぬちゃりと這い出るようにぞろぞろと、それはもうぞろぞろと半透明な異形が湧き出て……腹を空かせた獣の如く、こちらに向かって突進してきた。
上級・癒呪魔法“病魔の軍勢”。
魔法自体に、相手へ物理的ダメージを与える力はない。
ただ、病魔に触れた瞬間、高熱・頭痛・嘔吐とランダムで何かしらの病気を強制的にかけられる。命の危険にまで陥ることはないが、戦闘中に病気にかかれば集中力・体力ともに激減するのは必至。
さらに僕らの周囲には上級・陣形及び癒呪の複合魔法“赤子の渇き”が発動されている。相手を捕捉した後に、その場へ強制的に留めるユミ姉とイヴの合わせ技だ。あまりに見た目がグロいので母さんから禁止された魔法。禁止令が出たのはかなり昔のことだったので、どんな魔法かすっかり忘れていた。
病魔はグングンとこちらに突っ込んでくる。
骨と人間もどきな異形の姿をしており、生理的に受け付けない……。しかしこのままでは奴らに呑み込まれ、何かしらの病気が発動するだろう。
ユミ姉が、勝利の笑みを浮かべていた。
よし。
全て、計算通りだ。
「“呪詛返し”」
特級・癒呪魔法“呪詛返し”。
読んで字の如く、呪い系統の魔法を相手側に返す魔法である。
目と髪と服がなく、哀れ狂うように笑っていた人形が……パッと消えた。同時にそれらは、僕の前にいた四人の周囲をグルリと囲む。咄嗟の出来事に人形を凝視せざるをえない相手側へ、更なる追撃がくる。一度でも触れれば強制的に病気にする、病魔の群れだ。
特級でなら、反旗を翻した二つの魔法にも対応できるだろうが、さすがにユミ姉でも詠唱が必要だろう? だが、そんな時間はないはずだ……!
「“風遊び”、“雨の愛子”」
彼女らがどういう対応をするか、のんびり鑑賞するのもいいだろう。けれど残念ながら一刻も早く僕は彼を連れて館に向かうべきだ。惜しいが、すぐさま次の行動に出た。
以前、リリィが風を使い空を自由に飛んでいた。いつか使うかもしれないということで、夕食のデザートと引き換えに教えてもらった魔法“風遊び”。僕と鏡の彼はふわりと宙に浮き、空へ飛翔する。雨を一時的に逸らすことができる中級・自然魔法“雨の愛子”により、濡れることもない。
天に向かって森を抜け、館を見れば、結構な距離にまでいることに気付いた。
ここから向かっても二、三分はかかるだろう。
考えている余裕はない。
急ぐしかない。
勢いよく空を駆け、館に向かう。
「アハハハハハハハハハハハハハ!」
後方の下より、甲高い笑い声が聞こえる。
笑い声と呼応するように、特大の炎蛇が森から龍のように抜け出して……一人の少女を乗せていた。燃えるような赤髪に、焼けるような紅蓮の瞳。鏡の彼が感服の眼差しでリリィを見る。
「アッハハァ! 一年ぶりかなぁ? シルドと戦うのはさぁあああ!」
「おや? シルディッドくんは彼女と戦ったことがあるんですか?」
「まぁ、一応」
「凄いですね。私が見るに、彼女、相当強いですよ。相当というより、無茶苦茶強いですよ」
「えぇ。アズールでも指折りの猛者です。将来は国の代表になるかもしれませんね」
「“三傑”ですか。素晴らしいですね。ただ、そうなると一つ疑問が生じます」
「何でしょう?」
「負けるんじゃないしょうか、これ」
「ですよねぇ」
おそらく、“赤子の渇き”も“病魔の軍勢”も『気合』で壊したのだろう。
理屈じゃないのは昔からだけど、ここまでくればもはや玄人の域である。晩年は仙人とか呼ばれてそうだ。リリィの将来についてのんびりと考えにふけるのもいいけれど、そうも言ってられないのが現状で。
燃える蛇は僕らを呑み込むように口を開け、灼熱の塊となってやってくる。
リリィ・サランティス。
歴代二位にして征服少女。圧倒的な強さは今も昔も変わらず、天才の名を欲しいままにしている。
だけど。
天才が、最強というわけでは、ない。
「ほらぁ! 次はどうするの!? このままだと美味しくいただくよぉ!」
「そうだね。なら、悪いけどリリィには──ここで退場してもらうよ」
計算通りといえばそうかもしれない。
リリィは強い。正直、勝てる魔法師をアズールで探すだけで途方もない時間を要するだろう。だが、それはガチンコバトルを想定しての話だ。戦いとは接近・中距離・遠距離だけのものではない。物理的なダメージで勝負することだけが、戦いではない。先ほどユミ姉が出した魔法のように……。
「言うじゃん。なら、アハ、やってみなよ……!」
精神的な攻撃も、戦いである。
そして。
ことリリィは、メンタルでの素直すぎる欠点がある。それは彼女の長所であり……短所でもあるのだ。
「“廻廊の砂上”」
ユミ姉とイヴが王都に来て、三人で一緒に王都を観光した。その際に、ピュアーラさんのお店に行くものの生憎彼女は留守だった。諦めて他の店に行こうとした際、店内に一人の初老が座っていた。
あの時は大変だった。ユミ姉とイヴがぶちギレて必死で止めたものだ。そういえば今もキレてるね。皮肉なもんだ。
あの爺さんが発動した世にも奇妙な幻惑の魔法。相手を妄想の世界へ誘う末恐ろしい魔法。メンタルが弱い者や素直な子なら、問答無用で夢現な気分に旅立てることだろう。
そう。
リリィには、これほど効く魔法もないものだ。
「ふわぁ」
子供が眠いようと親に言うかのように、素っ頓狂な声をあげて、リリィ・サランティスは体勢を崩した。蛇の上に乗っていた彼女は、そのまま森の中へ落ちていく。主人がいきなり空へ落っこちる様を見た炎蛇は慌ててリリィを追い、パクリと口に含みながら降下していく。雨にさらされていることと、主人が幻想の泉に惹かれたことで、自身の姿を保てなくなる中、しっかりと彼女を守りながら森の奥に消えていった。
「大変見事な手腕です。驚きました」
「何を言っているんですか」
「ん?」
「ここまでは計算通りです。……ここまでは」
「ハハ。ならば、ここから先は?」
「えぇ。素晴らしいことに」
「「出たとこ勝負」」
二人でその無計画さに笑ったとほぼ同時、森の中から一つの影が飛び出した。
そうだ、ここまでは四人と対峙した時に描けたビジョンだった。逆に言えば、ここまでが限界だった。ユミ姉の魔法を“呪詛返し”し、単身で攻め込んでくるだろうリリィを“廻廊の砂上”で戦闘不能にするまでは何とか想定できた。
だれど、時間の問題もあって、ここから先については計算など到底できぬ領域で。
時間があったとしても、想定できるか不安な領域で。
何故なら。
「キミと魔法で戦うのは、初めてになるかな」
現れるは、紺色の絨毯。
絨毯の上には三人の女性がいて、真っ直ぐこちらへ向かってくるようだ。
“赤子の渇き”と“病魔の軍勢”をあの短時間で打破し、態勢を立て直して、継承・陣形・癒呪の使い手たちがやって来る。ただまぁ、僕からすればウチの姉妹はどうでもいい。家族ということもあり、二人の戦闘手段には慣れている。だからどう対処すればいいのか見当もついてる。
問題は。
この豪雨の中でも美しく光る。
世界で一番戦いたくない。
桃髪の貴女であろう。
「“絨布の紺”・“矢郷の黄”・“困窮の緑”・“粘油の茶”」
館まで残り一分半。短期戦。
今までは動揺することもなく、冷静に対応できていたがこれからは違う。おっかなびっくりな出たとこ勝負の──
「腹はくくった。何でも来い……!」
本番である。




