表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/74

第四十八話


帝都アルテミスの街は昼間でも、路地裏に一歩踏み入れば別の世界だった。陽光が届かぬ石畳は湿り気を帯び、壁には苔や汚れがこびりつき、空気には酒と汗、そして何か得体の知れない匂いが混じる。魔王軍の戦術家クロノス――その名を追う勇者たちの調査は難航していた。クロノスはまるで影のように姿をくらまし、手がかりはいつも霧の中に消える。そんな中、リリィは再び単独で路地裏へと足を踏み入れていた。


リリィの白いタイツと簡素なチュニックは、この場所ではひどく浮いていた。

彼女の青い瞳は鋭く周囲を観察し、小さな体はいつでも動けるよう緊張していた。

以前、路地裏で得たクロノスの情報は不確かだった。

あのときの屈辱と、偽情報を掴まされた悔しさは、リリィの心にまだ燻っていた。

だからこそ、彼女は今、ミリアや他の仲間に内緒でこの場所に戻ってきたのだ。


「クロノスの本当の手がかりを、絶対に見つける」

リリィは心の中で呟き、細い路地を進んだ。


---



路地裏の奥に進むにつれ、人の気配が濃くなった。

壁にもたれる柄の悪い男たちが、リリィを睨みつけるように見つめてくる。

露出の多い服を着た女が、煙草をくゆらせながら好色の目でリリィを値踏みした。

彼女たちの笑い声は低く、どこか嘲るようだった。

リリィは視線を無視し、ただ前を見据えた。彼女の心は揺れなかった――クロノスを追うためなら、どんな場所でも進む覚悟があった。


だが、路地のさらに奥、ほとんど光の届かない暗がりに差し掛かったとき、突然の出来事がリリィを襲った。

廃屋の壊れた扉の隙間から、骨ばった腕が伸び、リリィの細い腕をがっちりと掴んだ。


「っ!?」

リリィが声を上げる間もなく、彼女は廃屋の中に引きずり込まれた。

廃屋の中は湿った木材の匂いと埃が充満し、薄暗い光が床に落ちたガラス片を鈍く照らしていた。

リリィが体を捻って逃れようとした瞬間、男の腕が彼女を強く抱き寄せた。


「クロノスについて嗅ぎ回ってるんだってな?」

男の声は低く、いやらしく笑う響きを帯びていた。リリィは男の顔を見上げた。

瘦せた頬に無精ひげ、目はまるで蛇のように冷たく光っている。男の手はリリィの背中を這い、まるで品定めするように彼女の体をまさぐった。


「離して」

リリィは男の腕を振り払おうとしたが、その瞬間、奇妙な感覚が彼女を襲った。

力を込めたはずなのに、まるで足元がふわっと浮くような――バランスが崩れるような不思議な錯覚。男の拘束は緩いはずなのに、なぜか抜け出せなかった。


---



男はリリィの抵抗を楽しみながら、彼女の体をさらに近くに引き寄せた。

「お嬢ちゃん、なかなか可愛いじゃねぇか。こんな華奢な体で、クロノスなんかを追うなんて、度胸あるよな」

男の手がリリィの控えめな胸を撫で、白タイツ越しに彼女の華奢な太ももをなぞった。

リリィの顔が嫌悪感で歪んだ。彼女は歯を食いしばり、男の目を睨みつけた。


「触らないで。クロノスのこと…知ってるなら教えて」

リリィは淡々と用件を伝えると男は鼻で笑い、リリィの顎を指で持ち上げた。

「情報はタダじゃねぇよ。このままお嬢ちゃんの体を楽しませてもらえれば、クロノスのことを教えてやってもいいぜ。どうだ?」


リリィの心に、以前の路地裏での記憶が蘇った。

あのとき、偽の情報を掴まされ、仲間たちに迷惑をかけた。

あの失敗を繰り返すわけにはいかない。だが、男の手はすでに彼女のチュニックの裾をまくり、冷たい指先が肌に触れていた。

リリィは一瞬迷ったが、すぐに決断した。


「嫌…嘘の情報はいらない」

リリィの声は鋭く、男の提案をはっきりと拒絶した。

男の目が一瞬驚きに揺れ、次の瞬間、険悪な光を帯びた。


「生意気な小娘だな」

男は突然リリィを壁に押し付け、彼女の唇を強引に奪った。

リリィの目が見開かれ、反射的に男を突き飛ばそうとしたが、男の舌が彼女の口内に侵入し、ねっとりと絡みついてきた。リリィの体が震え、嫌悪と恐怖が胸を締め付けた。

彼女は必死に抵抗したが、男の不思議な体術――まるで彼女の動きを予測し、力を奪うような技術――に阻まれ、拘束を解くことはできなかった。


男はリリィの反応を楽しみながら、彼女の唇を味わった。リリィの小さな喘ぎや、抵抗するたびに震える体が、男の欲望をさらに煽った。だが、リリィは心の中でミリアの顔を思い浮かべ、自分を奮い立たせた。


---



男はリリィの体をひとしきり楽しむと、突然動きを止めた。彼はリリィの耳元で囁くように呟いた。

「まぁ、いいさ。お嬢ちゃん、嫌がる姿も悪くねぇけど、俺も忙しい身なんでな」

男は一歩下がり、リリィの目をじっと見つめた。リリィは息を整えながら、男の次の行動を警戒した。すると、男は低く、まるで歌うような声で呟き始めた。


「サルム・ネクタリス……ヴィタエ・フラクス……」

それは呪文だった。リリィの体が突然重くなり、まるで全身の力が抜けていくような感覚に襲われた。

彼女の膝が折れ、その場にへたり込んでしまった。リリィは慌てて立ち上がろうとしたが、手足が思うように動かない。


「何……これ……?」

リリィがかすれた声で呟くと、男は満足げに笑った。

「安心しろよ、殺しやしねぇ。ただ、少し大人しくしてもらっただけだ」

男はリリィの前にしゃがみ込み、彼女の頬を軽く叩いた。

「クロノスのこと、教えてやるよ。聞いて驚くなよ――あいつはな、魔王軍の戦術家じゃねぇ。本当の目的はもっとデカい。奴は『星の門』ってのを探してる。それがどこにあるかは、誰も知らねぇがな。ただ、毎月、月が欠ける夜に、港の古い灯台に現れるって話だ。そこに行けば、クロノスの尻尾くらいは掴めるぜ」


リリィは男の言葉を必死に頭に刻んだ。

星の門、月が欠ける夜、港の灯台――これが本当の情報かどうかは分からない。

だが、男の目は、以前の偽情報をくれた連中とは違う、奇妙な確信に満ちていた。


男は立ち上がり、リリィを見下ろした。

「まぁ、楽しかったぜ、お嬢ちゃん。また会えたら、今度はもっとゆっくり遊ぼうな」

男はそう言い残し、廃屋の闇に消えた。

リリィはしばらくその場にへたり込んだまま、動けなかった。体はまだ重く、心は嫌悪と恐怖で乱れていた。

だが、彼女は歯を食いしばり、ゆっくりと立ち上がった。


---



リリィが宿屋に戻ったとき、すでに夜が深まっていた。ミリアはリリィの姿を見るなり、駆け寄って彼女を抱きしめた。

「リリィちゃん! また一人でどこ行ってたの!? 心配したんだから!」

ミリアの声には怒りと安堵が混じっていた。リリィはミリアの腕の中で小さく震え、だがすぐにいつもの笑顔を取り戻した。


「ごめんなさい…ミリア。でも、クロノスの手がかり、掴んだ。」

リリィはミリアと仲間たち――ミリア、レオン、ガルド――に、廃屋で得た情報を話した。

星の門、月が欠ける夜、港の灯台。

彼女は男とのやり取りについては一切触れず、ただ事実だけを伝えた。廃屋での屈辱や恐怖は、リリィの心にしまわれた。


「リリィ、よくやった! これでやっとクロノスに近づけるぞ!」

ガルドが拳を握り、興奮気味に言った。レオンは地図を広げ、港の灯台の位置を確認し始めた。ミリアはリリィの肩に手を置き、穏やかに微笑んだ。

「でも、無茶はするなよ。俺たちで一緒に戦おう」


ミリアはリリィをじっと見つめ、何かを感じ取ったように眉を寄せた。

「リリィ……何かあったよね? 顔、ちょっと青いよ」

リリィは一瞬目を伏せたが、すぐにミリアの手を握り返した。

「大丈夫、ミリア。ミリアがそばにいてくれるから、平気。」


その夜、リリィはベッドの中で廃屋の男の声を思い出した。

あの冷たい手、ねっとりとした唇、呪文の響き――彼女の体はまだ震えた。

だが、ミリアの寝息を聞きながら、リリィは心を決めた。「クロノスを捕まえて、ミリアたちを守る。それが私の戦いだ」


---




数日後、勇者たちは港の灯台でのクロノス追跡の準備を始めた。リリィはミリアと並んで歩きながら、路地裏での出来事を心の奥に封じた。あの男の情報が本物かどうかは、まだ分からない。だが、リリィは信じていた――どんな闇にも、必ず光があることを。

そして、ミリアがそばにいる限り、彼女は決して折れないことを。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ