第三十話
魔王討伐の旅は、勇者一行を新たな試練へと導いていた。
迷いの森を抜け、エルド村で休息を取ったレオン、ガルド、ミリア、そしてリリィは、村長から得た情報――「魔王の仲間が北の山岳地帯に潜んでいる」という手がかりを頼りに、山脈へと向かっていた。
冷たい風が吹き抜ける岩だらけの道を、一行は黙々と進んでいた。空は灰色に覆われ、遠くで雷鳴が響き、険しい山々が一行を見下ろしていた。
レオンは剣を手に先頭を歩き、地図を確認しながら「頂上付近に魔王の手下がいるらしい。気をつけろ」と仲間たちに警告した。ガルドは長剣を肩に担ぎ、「魔物だろうが何だろうが、まとめてぶっ潰してやるぜ」と豪快に笑った。ミリアは杖を握り、「山岳地帯は魔力が乱れやすいから、魔法の準備をしっかりしておくね」と呟いた。
リリィは一行の最後尾を歩き、スコップを手に無表情で周囲を見回していた。
彼女の紫の瞳は感情を映さず、ただ静かに山の頂を見つめていた。
山道を登り切ると、頂上に広がる岩場に巨大な影が立っていた。
大柄な魔物だった。身長は3メートルを超え、筋肉質な体に灰色の毛が覆い、両手に巨大な棍棒を握っていた。
その目は赤く輝き、口から唸り声が漏れていた。
レオンが剣を構え、「あれが魔王の手下だ。気を抜くな!」と叫んだ瞬間、魔物が棍棒を振り上げ、一行に向かって突進してきた。
魔物は驚くほどの速さで動き、レオンとガルドを飛び越え、一直線にリリィへと襲いかかった。「リリィちゃん!」とミリアが叫んだが、魔物の棍棒がリリィに向かって振り下ろされた。
轟音とともに地面が揺れ、岩が砕け、土煙が舞い上がった。レオンが「リリィ!」と叫び、ガルドが「くそっ!」と長剣を握り直した。
だが、土煙が晴れると、リリィは無傷でその場に立っていた。彼女の白いワンピースは少し汚れたが、傷一つなく、紫の瞳で魔物を見つめていた。
魔物は唸り声を上げ、再び棍棒を振り上げた。巨大な武器がリリィの頭上を掠め、地面を叩き割った。
だが、またしてもリリィに傷はつかなかった。
彼女は無表情のまま、スコップを手に持つだけで、動く気配さえ見せなかった。
魔物が何度も棍棒を振り下ろし、そのたびに直撃したように見えたが、リリィの体には何の影響もなかった。レオンが「何!?」と驚き、ガルドが「当たってねえのか!?」と目を丸くした。
ミリアは魔物の背後からその光景を間近で見ていた。
彼女の視線がリリィに集中し、驚愕が胸を満たした。リリィは体を僅かにずらし、棍棒の軌道を完璧に避けていたのだ。魔物の巨大な棍棒が振り下ろされる瞬間、リリィの小さな体がわずかに傾き、髪が風に揺れるだけで、攻撃は空を切っていた。
まるで間合いや軌道を完全に把握しているかのように、彼女の動きは無駄がなく、自然だった。
「リリィちゃん…どうやって…?」とミリアが呟いたが、リリィは無言で魔物を見つめるだけだった。
魔物はリリィに執拗に攻撃を続けていた。棍棒が地面を叩き、岩を砕き、風圧が周囲を揺らした。だが、リリィはまるで幽霊のように、攻撃をすり抜けていた。
彼女の足元は動かず、ただ上半身を微妙に動かすだけで、魔物の猛攻を避け続けていた。
ミリアは目を凝らし、リリィの動きを観察した。
棍棒が振り下ろされる瞬間、リリィの肩がわずかに下がり、頭が傾き、攻撃が彼女の体をかすめる。
次の攻撃では、体を少し捻り、棍棒が地面に叩きつけられる前に元の位置に戻る。
その動作は機械的で、訓練された戦士の技術を超えた何かを感じさせた。
「訓練を受けてないはずなのに…あんな回避ができるなんて…」とミリアが呟いた。彼女の心に、リリィの過去が浮かんだ。
村で老夫婦に育てられ、盗賊団を壊滅させた時も、訓練ではなく本能で戦ったと聞いていた。
だが、この回避能力は本能だけでは説明がつかなかった。
まるで魔物の動きを予見し、空間そのものを把握しているかのようだった。
ミリアは杖を握り直し、リリィを守るために魔法を準備したが、彼女の無傷の姿に手を止めた。
魔物はリリィに気を取られ、吼えながら棍棒を振り回していた。その隙を、レオンとガルドが見逃さなかった。
レオンが「今だ、ガルド!」と叫び、剣を手に魔物の背後に回り込んだ。ガルドが「まとめてぶっ潰すぜ!」と吼え、長剣を振り上げて魔物の側面に飛びかかった。レオンの剣が魔物の脚を切り裂き、血が噴き出した。ガルドの戦斧が魔物の肩に深く食い込み、骨が砕ける音が響いた。魔物は「グオオオ!」と咆哮を上げ、リリィから目を離して二人に向き直った。
リリィは無表情でスコップを握り、魔物が二人に気を取られているのを見ていた。
彼女の紫の瞳に、戦場の動きが映っていた。
レオンが「リリィ、援護を頼む!」と叫ぶと、リリィは小さく頷き、スコップを手に前に出た。
魔物がレオンに棍棒を振り下ろす瞬間、リリィがスコップを振り、刃に変形させて魔物の腕を切りつけた。
血が飛び散り、魔物が動きを止めた隙に、ガルドが長剣を振り下ろし、魔物の背中に深手を負わせた。
ミリアは杖を掲げ、「光よ、敵を貫け!」と詠唱し、光の矢を放った。矢が魔物の胸に突き刺さり、黒い血が流れ出した。
魔物は膝をつき、棍棒を地面に落とした。
レオンが「トドメだ!」と叫び、剣を魔物の首に突き立てた。刃が深く刺さり、魔物は最後の咆哮を上げて倒れ込んだ。岩場に静寂が戻り、一行は息を整えた。
レオンが剣を収め、「やったぞ…魔王の手下が減った」と呟いた。ガルドが戦斧を肩に担ぎ、「楽勝だったな! リリィのおかげで隙ができたぜ」
と笑った。
ミリアはリリィに駆け寄り、「リリィちゃん、無傷でよかった…でも、どうやってあんな回避を?」と尋ねた。
リリィは無表情でスコップを握り、「わからない。棍棒が来るのが見えたから、避けた」と淡々と答えた。
一行は魔物の死体を背に、頂上の岩場で一息ついた。
レオンがリリィを見ながら、「お前、あの回避能力は何だ? 訓練なしであんな動きができるなんて信じられない」と呟いた。
ガルドが「だな。俺でもあんなデカい棍棒を完璧に避けきれねえよ。まるで魔物の動きを全部読んでるみたいだったぜ」と付け加えた。
ミリアが「私も驚いたよ。リリィちゃん、まるで間合いを完璧に把握してるみたいだった」と目を丸くした。
リリィはスコップを膝に置き、「わからない。でも、斬る前に避けないと死ぬから、避けた」と呟いた。その言葉に感情はなく、ただ事実を述べるだけだった。
レオンが「本能か…それとも何か別の力か。お前の強さは訓練を超えてる」と呟くと、ガルドが「まぁ、強いのは確かだ。魔王を倒すのにゃ、あの冷たさが役立つぜ」と笑った。
ミリアはリリィの手を握り、「リリィちゃんの強さは、私たちを守るためでもあるよね。正しいことをしたいって気持ちが、あんな力になってるのかも」と優しく言った。
リリィは無表情で頷き、「魔王を倒す。それが正しいことなら」と呟いた。
彼女の紫の瞳に、山脈の風景が映っていた。
戦いの後、一行は山岳地帯を後にし、次の目的地へ向かう準備を始めた。
リリィの回避能力の謎は解けないままだったが、彼女の存在が一行を支えていることは確かだった。
風が吹き抜け、魔王討伐の旅は新たな一歩を踏み出していた。




