第二十二話
魔王討伐の旅を続ける勇者一行は、船旅を経て港町「サレント」に到着した。
海風が潮の香りを運び、波止場には漁船が並び、市場では新鮮な魚や貝が賑やかに売られている。
長旅の疲れを癒すため、レオンは「今日は自由行動だ。
各自、街を楽しんでくれ」と提案した。
ガルドは「酒場を探すぜ」と早々に市場の方へ歩き出し、レオンは港の様子を見に船着き場へ向かった。
ミリアは「少し散歩でもしようかしら」と穏やかに微笑み、リリィは何も言わず、街へと足を踏み入れた。
サレントは活気ある港町だった。
石畳の道には商人や漁師が行き交い、子どもたちが笑いながら走り回っている。
リリィは無表情で街を歩き、初めて見る港町の風景をじっと観察していた。
魚の干物が吊るされた露店、船から降ろされる荷物を運ぶ人々、海鳥の鳴き声――それらは彼女にとって新鮮で、どこか不思議な感覚を呼び起こした。
だが、彼女の瞳には感情が宿らず、ただ静かに周囲を眺めるだけだった。
しばらく歩いていると、広場に差し掛かった。そこでは、数人の子どもたちが楽しそうに遊んでいた。
色とりどりの服を着た子たちが輪になって歌を歌い、時には追いかけっこをして笑い合う。その中心に、ミリアが立っていた。彼女は穏やかな笑顔を浮かべ、子どもたちに囲まれている。
一人の男の子がミリアの手を引っ張り、「お姉ちゃん、一緒に遊ぼう!」とせがむと、ミリアは「いいわよ」と優しく答え、女の子が持っていた花を髪に挿してあげていた。
子どもたちはミリアに懐き、彼女の周りで跳ね回り、笑い声が絶えない。
リリィはその光景を、少し離れた場所からじっと見つめていた。
スコップを握る手がわずかに強まり、彼女の視線はミリアと子どもたちに固定されている。
ミリアの笑顔は柔らかく、自然で、まるで陽光のように温かかった。
子どもたちが彼女に寄り添い、信頼しきった様子でじゃれ合う姿は、リリィにとって異質なものだった。
彼女はこれまで「正しいこと」を模倣し、戦いの中で無感情に刃を振るってきた。だが、ミリアが子どもたちと交わす穏やかな時間は、彼女の理解を超えていた。
「どうして…あんな笑顔になれるんだろう」とリリィは心の中で呟いた。
彼女自身、その思いが言葉として意識に浮かんだことに気づかなかった。
ミリアの笑顔は、優しい老夫婦に愛された記憶を呼び起こす一方で、リリィ自身の冷たい本質との違いを突きつけるようだった。彼女は感情が薄く、かつて殺人に呵責を感じなかった異常者だ。ミリアのように自然に笑い、子どもたちに愛されることは、自分にはできない――その確信が胸に重くのしかかった。
すると、子どもたちの一人がミリアに抱きつき、「お姉ちゃん、大好き!」と叫んだ。
ミリアが「ありがとう、私も大好きよ」と返し、その子を抱きしめる。
リリィの胸に、微かな疼きが生まれた。それは熱くも冷たくもない、ただ何かざわつく感覚だった。
彼女はそれが何なのかわからず、ただスコップを握る手に力を込めた。無意識のうちに、彼女は子どもたちにヤキモチを焼いていた。
ミリアが子どもたちに注ぐ優しさや、彼らがミリアに寄せる信頼が、自分には向けられていないことに、ほんの少しだけ苛立ちのようなものを感じていたのだ。
リリィはその場に立ち尽くし、じっとミリアを見つめ続ける。
子どもたちがミリアの手を引いて広場を走り回り、彼女が笑いながらついて行く。
その姿は、リリィにとって遠い世界の出来事のようだった。彼女は自分の心に芽生えた小さな波紋に気づかず、ただ静かに観察を続けた。だが、その時、一人の女の子がリリィに気づき、近づいてきた。
「ねえ、お姉ちゃん、なんでそんな変なスコップ持ってるの?」と女の子が無邪気に尋ねる。
リリィは一瞬目を瞬かせ、無表情で答えた。
「これは武器、魔物を斬る」その声には感情がなく、ただ事実を述べる響きしかなかった。
女の子は「へえ、すごいね! お姉ちゃん、強いんだ!」と目を輝かせ、他の子どもたちも興味津々に集まってきた。
「ほんと?」「魔物ってどんなの?」「見せてよ!」と口々に言う。
リリィは囲まれることに戸惑い、スコップを握る手にさらに力を込めた。
ミリアがその様子に気づき、子どもたちと一緒に近づいてきた。
「リリィちゃん、子どもたちに人気ね」
と穏やかに笑う。
リリィは「わからない」とだけ答え、視線を子どもたちに移す。
女の子が「ねえ、お姉ちゃんも一緒に遊ぼうよ!」と手を引っ張ろうとしたが、リリィは無意識に一歩下がった。
「遊ぶ…?」と呟く声に、微かな困惑が混じる。
ミリアが「大丈夫よ、リリィ。子どもたちはただ一緒にいたいだけだから」と優しく言う。リリィはスコップを握ったまま、じっと子どもたちを見つめた。
彼らの無邪気な笑顔と好奇心に満ちた瞳が、彼女の胸に再び小さな波紋を広げる。
だが、その波紋が何なのか、彼女にはまだわからない。
「私…笑えない」とリリィがぽつりと言った。
ミリアは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに穏やかな笑顔に戻り、「笑えなくてもいいよ。
リリィはリリィのままでいい。子どもたちだって、そうやって近づいてきてるんだから」と答えた。リリィはミリアの言葉を聞き、少し考えてから「そう…」と呟く。
その声には感情がほとんどなかったが、どこか納得したような響きがあった。
子どもたちに促され、リリィは仕方なく広場に座った。女の子が花を手に持って近づき、「お姉ちゃんに似合うかな?」とリリィの髪に挿そうとする。
リリィは動かず、ただじっとそれを受け入れた。子どもたちが「かわいい!」「似合うよ!」と騒ぐ中、ミリアが「ほら、リリィも素敵よ」と笑う。
リリィは自分の髪に触れ、花の感触を確認するように指でなぞった。
その時、彼女の口角がわずかに上がった。微笑みと呼ぶには小さすぎる、ほんの一瞬の変化だった。
子どもたちにヤキモチを焼いたことも、ミリアの笑顔に憧れたことも、リリィ自身気づかないまま心の奥に沈んでいる。
だが、子どもたちの笑い声とミリアの優しさが、彼女の冷たい内面に微かな温もりを残した。
夕暮れが近づき、レオンとガルドが広場に戻ってきた。
ガルドが「何だ、リリィが子どもに囲まれてるぞ」と笑い、レオンが「珍しい光景だな」と感心する。
ミリアは「リリィ、楽しかった?」と尋ね、リリィは少し考えてから「わからない。でも…嫌いじゃない」と答えた。
ミリアは満足げに頷き、子どもたちに「またね」と手を振る。
一行が宿に戻る道すがら、リリィはスコップを手に持ったまま、広場での出来事を思い返していた。
ミリアの笑顔、子どもたちの無邪気さ、そして自分の胸に芽生えた小さな疼き。
それが何なのかはまだわからない。
だが、魔王を倒す旅の中で、彼女は少しずつ自分自身を知っていくのかもしれない。
港町の風が、彼女の髪に挿された花をそっと揺らした。




