表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
97/291

混乱

 トラックは慌てた様子でギルドを飛び出し、一瞬の逡巡の後、右方向にハンドルを切った。今朝は左方向だったから、今度は右。と見せかけてやっぱり左、という可能性もあるので、これははっきり言って賭け、ただの直感だろう。トラックの後を追うセテスを気遣う余裕もなく、トラックはできる限りの速さで通りを走った。時刻は昼を過ぎ、人の往来は多い。焦燥と安全運転の狭間で、トラックは強くクラクションを鳴らした。

 ギルドの建物に入るまではミラとルーグの姿は確認しているし、ジュイチが外に出て行ったモーと教えてくれたので、少なくともミラたちが出て行ったのはトラックがセテスと話している間のどこかのタイミングということになる。だとすれば、時間的にそこまで遠い場所に行っているとは思えないのだが、もしトラックが見当違いの方向を探しているとすると、その間にミラがどんどん離れていってしまう。ルーグがいればある程度の危険からミラを守ってくれるだろうが、トランジ商会の奴らが現れたらルーグでは対処できない。いや、そもそもルーグがミラと一緒にいるかどうかも分からないのだが。

 行き交う人の安全に配慮しながら、トラックは道なりに進む。そろそろ西部街区に入るところまで来た。進むか、戻るか。迷うようにトラックは停車する。セテスが息を乱してトラックに追いついた。すると、


「トラックじゃねぇか。どうした?」


 不意に声を掛けてきたのはイヌカだった。トラックのただならぬ雰囲気に表情を曇らせている。トラックがプァンとクラクションを鳴らすと、イヌカはやや肩透かしを食らったようなあきれ顔を作った。


「ミラ王女がいなくなるのはいつものことだろうが」

「待て。ミラ王女、と言ったか?」


 おお、セテスがミラの名前に喰いついてきた。セテスもハイエルフだからミラの名前は知っているようだ。険しい表情でセテスはイヌカに詰め寄った。


「ミラ王女とは我らハイエルフの王女、ミラ様のことか? なぜミラ様はここにおられる? 答えろ。返答次第ではタダではすまぬぞ」


 セテスはイヌカをにらみつけ、剣呑な気配が広がる。一方的な物言いにイヌカはちょっとカチンときたようだ。薄笑いを浮かべ、挑発するような口調でイヌカは言い返した。


「そいつは、そちらの女王陛下に聞いた方がいい」

「……どういう意味だ?」


 セテスが怪訝そうにイヌカを見つめる。イヌカは薄笑いを浮かべたまま、何も答えない。再びセテスの表情が怒りに染まり――


――プァン!


 トラックが一喝するようなクラクションを鳴らした。イヌカとセテスはハッとトラックを振り返る。トラックはプァンプォンと急くようにクラクションを連打した。


「怪しい男がミラ様を見ていた!?」

「ルーグが一緒かもしれねぇだと!?」


 トラックのクラクションに対して、それぞれがそれぞれの興味に従ったリアクションを返した。驚きの顔が徐々に怒りに変わり、二人は同時にトラックに怒鳴る。


『それを早く言えっ!』


 台詞とタイミングが見事に重なり、トラックは気圧されたように小さくプォンとクラクションを返した。なんだ、息ぴったりだなお前ら。意外と仲良しさんか。


「トランジ商会の灰マントはそれなりの手練れだ。ルーグひとりじゃ王女を守るどころか自分のことも守れねぇ。早く保護しないと取り返しがつかなくなるぞ」

「手分けをして捜そう。我々の内のひとりでも合流できれば、王女もリスギツネも少年も、守ることは容易い」


 思案げにうつむいていたイヌカが顔を上げ、セテスを疑わしげに見る。


「あんたは、戦えるのか?」


 セテスは不敵な笑みを浮かべてそれに応えた。


「ハイエルフを侮ることの意味を、今ここで教えて差し上げても構わないが?」


 イヌカは一瞬だけ驚きを表すと、にやりと口の端を上げ、セテスに手を差し出した。


「いいぜ。信じよう。王女たちを保護するまで、俺たちは仲間だ」


 ふんっ、と鼻を鳴らし、セテスは差し出されたイヌカの手をパチンと払った。苦笑いを浮かべ、イヌカはトラックを振り返る。


「西部街区に来たのは間違いねぇか?」


 トラックは自信なさげにクラクションを返した。イヌカは鼻にシワを寄せる。


「今はお前の勘を信じるしかねぇか。一時間だ。見つかろうが見つかるまいが一時間後にこの場所で落ち合おう。それで手掛かりなしなら別の街区を調べる」


 セテスがうなずき、トラックが了承のクラクションを返す。そして三人は放たれた矢のように、それぞれ別の方向に走り出した。


 お、おお。みんな別々の方向に行ってしまった。どうしよ、誰についていこう――って、よく考えたら別に誰について行かなくてもいいんだよね。俺も捜せばいいんだよ、ミラたちを。ついていった奴が空振りだったら意味ないしね。よし、俺も捜すぞ! こうね、空から捜したら意外とあっさり見つかるかもしれないしね。




 ……めっかったーーーっ!!

 あっさりめっかったーーーっ!!

 空から見るとまるで違うわー。神の視点、まさに神。

 ミラとルーグは西部街区の裏路地をテクテクと歩いている。ミラがリスギツネを抱えて先導し、それを後ろからルーグがついて行くスタイルのようだ。位置関係としたら――トラックが一番近いか。次にイヌカで、セテスは見当違いの方向を探している。トラックがいる場所とイヌカがいる場所の間をイヌカ方向にミラたちが向かっている格好だから、ほどなく二人とは合流できそうだ。


「なぁ」


 両手を頭の後ろで組んで歩きながら、ルーグがミラの背に声を掛けた。ミラは振り返ることもなく歩みを進める。それを気にするふうもなく、ルーグは話を続けた。


「お前さ、何やってんの?」


 ミラは振り向くことも足を止めることもない。聞いているかも怪しいのだが、ルーグは聞いていると確信しているようだ。ルーグはさらに言葉を続ける。


「毎日毎日、こんなことしてんだって? ギルドでも噂になってるぜ。『トラックは子守に転職した』ってさ。アニキは全然気にしてないみたいだけど」


 薄暗く狭い裏路地を、ミラは迷いなく進んでいく。分かれ道を右に曲がり、水路を飛び越え、十字路を左へ。辿り着く先はどこでもよいのだ。トラックが見つけられない場所であれば、どこでも。そして、見つけられない場所にいるミラを見つけてくれることを期待する。不可能なことをせよと、ミラはトラックに要求している。


「……トラックのアニキが、信じられないか?」


 ミラの身体がわずかに震えた。胸に抱いたリスギツネが心配そうに「クルル」と鳴く。


「アニキはさ。お前がどこの誰だろうが、何を抱えてようが、そんなの関係なく、お前を見捨てないよ。あのひとの頭にゃそもそもないんだ。誰かを見捨てるって発想がさ」


 ミラの歩く速さが少し遅くなった。リスギツネがミラの頬を舐める。


「底抜けのお人好しだよあのひとは。そうじゃなきゃ、裏切り者のガキなんざとっくの昔に死んでるんだ。裏切りも、過去も、あのひとは平気な顔して丸ごと抱えてくれるんだよ。『今から幸せになればいい』って、そう言ってくれるんだ」


 ミラの足が、止まった。ルーグはミラを追い越して正面に回ると、しゃがんで視線の高さを合わせ、その目をのぞきこんだ。


「帰ろうぜ、アニキのところに。あのひとはお前の『帰る場所』に、もうなってるんだからさ」


 ミラがじっとルーグの目を見つめ返している。その瞳は迷い、不安、そして期待が混ざり合った複雑な光を宿している。それは確かに、ミラの感情の光だった。そしてミラが、何か言おうと口を開いたとき――


「ようやく見つけたぜぇ、お嬢ちゃん」


 不快な湿度をまとった下卑た声が、ミラの正面から聞こえてきた。




 ルーグは素早く立ち上がってミラをその背にかばう。リスギツネが牙を剥き出しにして「ぐるる」とうなった。ルーグたちの前に姿を現したのは、どこか軽薄な雰囲気のガラの悪そうな若い男――ありていに言えばちんぴらだった。青空教室の片付けの時に様子を窺っていた奴と印象が被るな。当人かどうかは分からないが。


「お嬢ちゃん。その動物は、オレたちが苦労して苦労してやっと捕まえた大事な商品なの。つまり、それはオレたちのものなわけ。だから、返してくれるかな?」


 妙に気持ち悪い猫なで声で男はミラにそう話しかけた。おう、こいつらの狙いはリスギツネかい。ということは、こいつらはトランジ商会の奴らじゃなくて、密猟者の仲間だってことか。確かに灰マントたちと違って隙だらけというか、あんまり訓練された感じはない。本当にその辺のちんぴらみたいだ。ミラはリスギツネを抱える腕に少し力を込め、ふるふると首を横に振る。ちんびらの顔が露骨に引きつった。


「嫌っつわれてもねぇ。それじゃあ、こっちも困るんだ。なぁっ!!」


 ちんぴらは突然大声を上げ、腰に吊るしていた棒切れで路地の壁を叩いた。バシッと意外に派手な音が響く。しかし男の意図に反して、ルーグもミラも怯えた様子ひとつ見せることはなかった。ルーグが皮肉げに冷笑を浮かべる。


「その程度じゃ脅しにならないよ、お・じ・さ・ん」

「……舐めた口きくじゃねぇか。死にてぇのかクソガキ!!」


 見事にルーグの挑発に乗り、額に青筋を浮かべたちんぴらは大きく棒切れを振りかぶると、躊躇なくルーグに向かって振り下ろした! しかしルーグは冷静で、わずかに身体を横にずらしてそれをかわす。バシンッ、と棒切れが地面を叩いた。強く打ちすえた反動が手に来たのだろう、ちんぴらが痛そうに顔をゆがめた。ルーグが右足を上げ、思いっきり棒切れの先端近くを踏み込む! 痛みで握りが甘くなっていた棒切れが手から離れ、勢いよく下――ちんぴらの右足の甲を直撃した! ちんぴらは情けない叫び声をあげながら倒れ込み、右足を両手で包んで地面を転げまわる。ルーグはミラの手を取り、「行くぞ!」と言って駆けだした。


「ってぇ! くそっ! 待てクソガキども!」


 横を過ぎるルーグたちに悪態をつき、ちんぴらはポケットから小さな笛を取り出すと、苛立ちまぎれに思いっきり息を吹き込む。


 ピィーーーッ


 鼓膜を刺すような甲高い笛の音が西部街区に響き渡った。




 息を弾ませ、ルーグたちは狭い裏路地を駆ける。笛の音によって集められた十人近いちんぴらたちがルーグたちを追っていた。土地勘があるのだろう、ちんぴらたちは闇雲に追いかけているようで、ルーグたちが大きい通りに出ないように誘導しているようだ。包囲網は徐々に狭まっている。ルーグたちは矢印型の三叉路差し掛かり――


「!?」


 ルーグは両足を踏ん張って勢いを殺し、その場に止まった。三叉路の壁に影が映る。も、もしかして先回りされた!? ルーグが腰の短剣を抜き、ミラを背にかばって身構えた。すると、


――プァン!

「ルーグ!? 無事か!」


 聞き覚えのある二種類の声に、ルーグの緊張が少しほぐれた。イヌカは素早くルーグたちの背後を守る位置に回り込むと、路地の奥を注視しながら言った。


「状況は?」

「十人くらいに追われてる。狙いはその、白い犬みたいなヤツだよ」


 ルーグの答えに、イヌカは一瞬拍子抜けしたような顔をした。ルーグたちを追いかけているのがトランジ商会ではなかった、ということを理解したのだろう。ルーグたちが来た方向からは複数人の足音が聞こえる。イヌカはトラック達に背を向けたままで言った。


「ここはオレが抑える。トラック、二人を連れて走れ! 大通りまで出れば奴らも無茶はしねぇだろ」


 トラックはプォンとやや情けないクラクションを返した。トラックは今、裏路地を走るためにスキル【ダウンサイジング】を使って車体を小さくしている。これでは二人をキャビンに乗せることはできない。


「だったらお前が先導しろ! 大通りに出たらすぐに二人を乗せて逃げろ! 下手打つんじゃねぇぞ!」


 トラックがプァンと返事を鳴らすと同時に、路地の奥から「いたぞ!」「なめやがって!」という声と共にちんぴらたちの姿が見えた。ルーグが再びミラの手を取り、トラックがぶぉんとエンジン音を立て――


――ヒュッ


 風を切る鋭い音と共に、放たれた矢がミラをかすめた。矢はミラの右腕を浅く切り裂き、リスギツネの顔の真横を通り過ぎる。突然の攻撃に驚いたリスギツネは、「キュー」と甲高く鳴いて、ミラの腕を飛び出した!


「なんだ? どこから!?」


 イヌカが焦ったように叫ぶ。矢の飛んできた方向に目を遣ると、路地に面した建物の屋根の上に、灰色のマント姿の三人の男がいた。え? トランジ商会!? こんなタイミングで!?


「あっ」


 小さく声を上げ、ミラはルーグの手を振りほどき、リスギツネを追って走り出す。


「バカ! おい、待てって!」


 ルーグがミラを追い、慌てて駆け出した。トラックもその後を追う。


「トランジ商会! こんなときに!」


 イヌカが灰マントたちを見上げ、カトラスを抜いた。すると、


「なんだてめぇ! 邪魔すっとぶっ殺すぞ!」


 各々の手に武器を持ったちんぴらたちが、道を塞いでいたイヌカに襲い掛かった! その様子を確認し、灰マントはミラを追うべく動き出す。


「『運送屋』を足止めしろ。人形はこちらで確保する」


 短くそう言って、灰マントたちは二手に分かれた。カトラスでちんぴらの棒切れを受け止めたイヌカが苛立たしげに叫ぶ。


「くそっ! てめえらの相手をしてる暇はねぇんだよ!」


 しかしちんぴらたちは怒りに任せて棒切れを振り回す。後から後からちんぴらの仲間が駆けつけ、すぐに片付けられそうにない。イヌカは完全にここに足止めされる格好になった。もしかしたら灰マントたちは、こういう事態をじっと待っていたのだろうか? イヌカやトラックとミラを確実に引き離し、ミラを奪い返すことができるような混乱が生じるのを。あるいはこの混乱自体、灰マントたちが演出したのかもしれない。

 足止めされたイヌカを尻目に、灰マントの影がトラック達の背後に迫りつつあった。

一方そのころセテスは、慣れない人間の町の中で完全に道に迷っていました。

「だから人の町は好かんのだ!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ふうううう、ドキドキするううう!!!! あと、主人公は空にもいけたんですね?ww
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ