誘拐
「それでね、それでね――」
ジンが興奮した様子でまくしたてる。弾むような声は、今までに聞いた中で一番楽しそうだった。その手には大将からもらった、決して出来の良くない『緑の妖精』がある。身を乗り出すジンの身体をシートベルトが抑えた。セシリアは相づちを打ちながら、助手席で微笑んでいた。
後片付けが終わり、今日の青空教室は解散となった。生徒たちが「さようなら」と先生に挨拶して、ひとり、またひとりと家路につく。名残惜しそうに「バイバイ」と手を振ったジンに、生徒たちは皆、「またね」と手を振り返した。思いもよらぬ再会の約束に、ジンは戸惑うような、嬉しそうな顔をして、そして意を決したように先生に告げた。
「あ、あの、また来て、いいですか?」
ジンとしては決死の覚悟で言ったのだろう、声が少し震えている。しかし先生は、当たり前のことだというようにはっきりとうなずいた。
「うん。日程や場所はセシリアさんに伝えることにしよう。だけど無理は禁物だよ。体調と相談して、参加するかどうかを決めてください」
「は、はいっ!」
ジンの顔がパッと明るくなった。隣にいたセシリアが補足するように先生に言う。
「私たちが無理をさせないようにきちんと見ていますから、先生、どうかよろしくお願いします」
セシリアは先生に頭を下げた。先生が恐縮したように「あ、頭を上げてください」と言い、ジンはうれしそうに「ありがとう、セシリアさん」と笑った。
ジンとセシリアを施療院に送り、トラックはギルドへの道を走っている。ジンはちょっと興奮しすぎたらしく、少し熱を出したらしい。セシリアが慌てて部屋まで運び、院長を呼んでいた。施療院の中がにわかに慌ただしくなる中、手伝えることのないトラックは後ろ髪を引かれるようにしばらくその場にいたが、やがてそっとその場を後にした。
夕暮れが近づき、冷え込みが一段と増す。行き交う人々も身を縮めて足早に歩いている。西部街区を抜けて中央通りに入ると、閉門前に駆け込みでケテルに入ってきたであろう人々の群れが見えた。季節柄、日暮れに間に合わず締め出されると下手をすれば凍死するので、急いで門をくぐる気持ちはよくわかる。人々は中央通りを挟んで立ち並ぶ宿の客引きに捕まり、あるいは値段交渉をしながら、今日の宿を吟味しているようだ。トラックはスピードを落とし、にぎわいを楽しむようにゆっくりと人々を追い越していく。
すると、トラックの前に他とは明らかに異質な一団が歩いているのが見えた。灰色のフード付きマントに身を包んだ五人の集団。干渉を拒絶する雰囲気を全身から放っており、宿の客引きでさえその集団には声を掛けていない。背は人間だとすると高い部類で、体格もがっしりしている気がする。壮年の男、それも気難しい武人、という風情だが、周囲に異質な印象を与えている原因は、五人の中に一人だけ、明らかに子供が混じっていることだった。男の一人が子供と手をつないでいるが、親子にはまるで見えない。情愛がまったく感じられないのだ。子供が男を頼る様子も、男が子供を気遣う様子もない。義務として、仕事として手をつないでいる。互いにそう了解している。そんな寒々しい気配が二人の間に横たわっていた。
トラックが灰マントの集団を追い越そうと、少しだけスピードを上げた。不意に風が吹き、灰マントの子供のフードを脱がせる。子供は銀の髪に真っ白な肌、赤い瞳を持ち、笹の葉のように尖った耳をした、お人形のように可愛らしい女の子だった。女の子がトラックに目を遣った。トラックが女の子の横を通り過ぎる。女の子の唇が、何か言うように小さく動いた。しかしそれは音になることなく、何を言ったのかはわからない。トラックは彼女たちを追い越してしばらく先に進み――
――ギャリギャリギャリギャリギャリッッ!!!
石畳を削る派手な音を立て、急旋回して灰マントの集団の前に立ちはだかった! え? ちょっと、何してんの? 灰マントの集団が警戒し、身構える。トラックはぶぉんとエンジンを鳴らすと、
轢いたーーーっ!
謎の灰マントの男たちを轢いたーーーっ!!
ええ!? なんで!? 怪しいから? そんな理由で!? トラックに吹き飛ばされ、灰マントたちが宙を舞う。周囲にいた人々が悲鳴を上げてトラック達から距離を取る。あ、女の子は轢いてないからね。女の子は動揺するでもなく、無表情にトラックを見つめている。トラックのキャビンの上で手加減が身を起こし、灰マントたちのほうに向かおうとして、その動きを止めた。あれ、行かないの? 手加減は厳しい視線を灰マントたちに向ける。灰マントたちはなんと、空中でくるりと回転して体勢を整えると、まるでダメージを受けていないように平然と地面に降り立った。おお、すげぇ。手を出さなくてもノーダメージだったから、手加減は何もしなかったのね。
「……貴様、『運送屋』だな? 何を知っている?」
灰マントの一人がトラックに問う。あ、トラックって『運送屋』って二つ名なの? これ以上ないくらい的確だけど、誰が付けたの? っていうか、二つ名って誰がつけるんだろう?
トラックは灰マントに答えず、助手席のドアを開けると、念動力で女の子をふわりと浮き上がらせて車内に運んだ。女の子はまるで反応を示さず、本当に人形なのかと思うくらい為すがままだ。突然の事態に固まっているのだろうか? 灰マントたちがわずかに動揺を見せた。トラックはそのままドアを閉めると、ギアをバックに入れて一気にアクセルを踏み込む! 耳障りな摩擦音と共に、トラックは灰マントたちとの距離を広げる。
「追え!」
灰マントの一人が短く叫ぶ。一斉に剣を抜き、灰マントたちがトラックを追った。トラックは向きを変え、急加速してギルドへの道をひた走った。
……これって、誘拐? 幼女誘拐だよね? いや、相手も明らかに胡散臭いけど、それだけで正当化できる状況じゃないよ? トラックよ、お前、何考えてんの?
トラックは中央通りを爆走し、中央広場に辿り着く。爆走、と言っても通行人がいる通りを行くためそんなにスピードは出せないのだが、それでも時速三十から四十キロは出ているはずだ。なんだけど、灰マントたちとの距離は広がらない。
トラックの視界が冒険者ギルドの建物を捉える。ギルドの前ではイヌカと剣士がちょっと寒そうにしながら何か話をしていた。寒いなら建物に入ればいいのに。まあ、何となくばったり会うとその場で話し込んじゃうってのも分からなくはないが。トラックのエンジン音に気付いたのか、二人がトラックがいる方向に顔を向けた。おそらくトラックを追う灰マントたちにも気付いたのだろう、二人はスラリと剣を抜き、トラックに近付く。
「とりあえず」
トラックが剣士とイヌカの間を通り抜け、ギルドの入り口前で止まった。激しいブレーキ音が響く。二人はトラックと灰マントたちの間に立ち、剣の切っ先を相手に向けた。
「こいつらを片付ければいいのか?」
灰マントたちが足を止める。
「『かませ犬』に『翡翠の魔女の隣にいる人』か」
剣士とイヌカが軽く眉をひそめた。どうやらこちらのことを知っているらしい。この怪しい連中に素性を知られているというのは、ちょっと気持ちが悪いな。イヌカが小さくつぶやく。
「ステータスウィンドウオープン」
イヌカの目が青く光り、灰マントたちの頭上に半透明のウィンドウが現れる。おお、なんかお久りぶりのステータスウィンドウ。そうか、こういうのが正しい使い方か。ウィンドウはすぐにその輪郭をはっきりとさせ……あれ? 表示されたウィンドウは何も書かれていない白紙状態だった。どういうこと? スキルに失敗した?
イヌカが小さく舌打ちをする。状況を説明するためか、スキルウィンドウが中空に現れた。
『カウンタースキル(ノーマル) 【ブラインドカーテン】
自らの許可なくステータスウィンドウが開かれた場合、
その内容を表示させない』
お、おお。初めて出てきたカウンタースキル。なるほど。ステータスを視るスキルがあるのなら、ステータスを隠すスキルもあるということか。そりゃそうだよね。ステータスが一方的に見放題じゃ、いくらなんでもバランスが取れないよね。
「……ちょっと面倒な相手かもしれねぇぞ」
「ああ」
剣士が表情を引き締める。イヌカが青い瞳のまま、じっと灰マントたちを見つめた。灰マントたちは互いに顔を見合わせると、
「……三分」
そう言ってうなずく。場の雰囲気が変わった。戦いの空気、殺すという意思が辺りに満ちる。触れれば切れるような冷たい風が吹き、灰マントたちがわずかに身を沈ませ――
「あらあら、何の騒ぎかしら」
ギルドの入り口から、どこかのんびりとした声が聞こえた。出鼻をくじかれ灰マントたちが動きを止める。その人物はトラックの横に並び、キャビンを見上げて穏やかに微笑んでいた。灰マントが動揺を隠せぬ声で叫ぶ。
「『風舞い』だと!? 伝説のSランク冒険者がなぜここに!?」
「あらまあ、懐かしい名前で呼んでくれるのね」
場にそぐわぬ緩い返事をしたその人物――シェスカさんは、スッと表情を消し、灰マントを見つめた。
「私の大切な友人に、何の御用?」
その声音はとてつもない重さを伴って広がり、戦いの空気を塗り替えていく。ここで剣を抜く意味を分かっているのか。トラック達に刃を向ける意味を本当に理解しているのか。ギルドを、冒険者を、この私を敵に回す覚悟を、お前たちは持っているのか。シェスカさんの放つプレッシャーに気圧され、灰マントたちが小さく震えた。
「……退くぞ」
かすれた声を合図に、灰マントたちは一斉に逃げ散った。全員が別々の方向に駆けていく。追跡を警戒しているのだろう。剣士が小さく息を吐きながら剣を収める。イヌカも同じくカトラスを収め、灰マントが逃げた方向を難しい顔で見つめていた。いつの間にか目の青い光が消えている。トラックがプァンとクラクションを鳴らした。シェスカさんが笑顔で答える。
「少し昔を思い出して楽しかったわ。でも、いったい何者? まともな人には見えなかったけれど」
「まったくだ。お前、いったい何に巻き込まれてんだよ」
剣士がやや呆れた顔でトラックに近付いた。トラックがプァンとクラクションを返す。シェスカさんと剣士が顔を見合わせて苦笑した。
「知らない、じゃ済まねぇかもしれねぇぞ。あのマント野郎、トランジ商会の奴らだ」
厳しい表情でイヌカがトラックに言った。トランジ商会、って、どっかで聞いたような……。あ、確かイーリィのお見合い騒ぎの時の、リーガ商会を裏で操っていた謎の集団、だったっけ? でもなんでイヌカにそんなことが分かるの?
お、またスキルウィンドウが出てきた。今度は何だ? 今は誰もスキルを使ってない気がするけど。
『アクティヴスキル(レア) 【窃視】
隠されたステータスウィンドウの内容の一部を
覗き見する。
このスキルは発動を通知されない』
お、おお。ステータスを隠すスキルをかいくぐるスキルまであるのか。この世界の情報戦はこういう形で行われるわけね。奥が深い。
「トランジ商会?」
剣士が怪訝な顔でイヌカを見る。剣士はイーリィのお見合いの時には犬の散歩中だったので、その辺のことは知らないのだろう。イヌカがちょっと面倒そうな顔で答える。
「イーリィと牛を結婚させようと画策していたヒマ人集団だ」
「……さっぱり意味が分からん」
剣士が渋面で唸った。うん、それだけで伝わったら奇跡だわ。イヌカはそれ以上説明するつもりはないらしく、再びトラックに目を向けて言った。
「トランジ商会は冒険者ギルドの調査部も商人ギルドの与信部もその素性を洗ってるが、ほとんど実態が掴めてねぇ。ただ、商人ギルドはガトリン一家に指示を出していた黒幕がトランジ商会である可能性を視野に入れているらしい。そんな奴らに『たまたま』襲われた、なんて言ってくれるなよ? 大人しく白状しろ。何をやらかした?」
トラックはちょっと言いづらそうにプォンとクラクションを鳴らすと、助手席の扉を開いた。そこにはちょこんと大人しく座っている女の子の姿。背が低いので座っていると外からは姿が見えなかったのだ。
「まあ、可愛らしいわね。エルフの女の子?」
シェスカさんが顔をほころばせる。トラックは女の子からシートベルトを外すと、念動力でふわりと持ち上げた。女の子は驚くでも騒ぐでもなく、やっぱり為すがままという感じである。シェスカさんが女の子を受け止め、抱き上げた。
「お名前を教えてくださる? 可愛いお嬢さん」
シェスカさんが女の子に顔を近づけて言った。女の子は赤い瞳でシェスカさんをぼんやりと見つめると、小さな声で名前を告げる。
「……ミラ」
「そう。ミラちゃんね。私はシェスカよ。よろしくね」
微笑むシェスカさんに対して、ミラと名乗った女の子はやはり無感情だ。見た目は六、七歳の感じだけど、このくらいの女の子ってもっとこう、元気じゃない? ここまで大人しいとおじさん心配なんだけど。
「で? どうしてエルフの子供をお前が連れてるんだ?」
剣士が訝るような視線をトラックに向ける。トラックは何とも歯切れの悪いクラクションを返した。「はっきり言え」と詰め寄ろうとする剣士をサッと手で制して、イヌカが何かを思い出そうとしているように地面を見つめる。
「待て! ミラって名前に聞き覚えがある。……ミラ、ミラ……エルフの、子供……」
あっ、とイヌカと剣士が同時に声を上げ、互いを見つめた。
「行方不明になった、ハイエルフの王女!?」
二人は勢いよくミラを振り向く。シェスカさんが事態を呑み込めないという顔でミラを見て、トラックが戸惑い気味のクラクションを鳴らす。ミラはまるで世界に関心がないかのように、無表情に周囲の大人を見つめ返していた。
トラック、今度は誘拐の罪で三度目の留置場行き。




