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反撃

 イゾルデが倒れた、そのことは今まで辛うじて均衡を保ってきたドワーフたちにとって致命的な衝撃を与えたようだった。誰もが呆然と動けずにいる。それはセシリアも、院長も例外ではなかった。


――バンッ


 突然、床を叩く音が響いた。ビクリと怯えるように、セシリアが音のした方向を振り返る。患者に付き添っていた家族のひとりが床に倒れていた。


――ガチャンッ!!


 コップが割れ、床に水が広がる。院長が息を飲んだ。患者に水を飲まそうとしていた職員の一人が倒れていた。


――ドサッ!!

――ゴトンッ!

――バタンッ!


 セシリアが、院長が、血の気の引いた顔で周囲を見渡す。まるでイゾルデが倒れたことが合図であったかのように、ドワーフたちが次々に倒れていく。信頼も、希望も失われて、彼らを支えていたものがなくなってしまったのだ。


「院長! 急にみんな倒れて――!」


 会議室にいた剣士が慌てた様子でロビーに駆け込んできて、そして息を飲んだ。ロビーも同じ状況だと、もはや手の施しようがないほどに事態が悪化してしまったのだということを理解したのだろう。剣士は硬直したようにその場に立ち尽くした。


「ワシは、何を間違った……?」


 院長が放心したようにつぶやく。あちこちからぜぇぜぇと苦しげな呼吸音が聞こえる。


「これは崩岩病ではないのか? それともドワーフには人間とは別の治療が必要なのか? 崩岩病はドワーフ同士で感染する? あるいは、よく似た症状の全く別の病なのか?」


 症状そのものは崩岩病の特徴をすべて備えていて、崩岩病の薬で症状は改善した。しかし薬で症状が改善したはずの患者は再び倒れ、今まで何の問題もなかったドワーフさえ急に症状が現れている。それらは人間の崩岩病の場合には起こらない。その違いを生んでいるのがドワーフと人間の種族差なのか、別のよく似た病気を崩岩病と間違えたことによるものなのか、その両方か、どちらでもないのか。情報が少なすぎて正しい判断ができない。


「……落ち着け! 崩岩病は土の精霊力の不足で起こる。ならば崩岩病になった患者は土の精霊力を失ったということ。ドワーフたちは健康な状態から、崩岩病の症状を呈するほどの精霊力を極めて短時間に失ったと考えれば辻褄は合う。崩岩病は結果であって、『土の精霊力を急速に失わせるドワーフ特有の感染症』が別に存在する?」


 院長は必死に考えを巡らせ、打開策を探している。もし院長のこの推測が正しければ、薬で精霊力を補う治療が一時しのぎにしかならない理由にもなる。もっとも、最初の発症時にはほとんど一瞬で元気な状態から倒れたのに、薬を与えた場合はしばらく症状が改善し、治ったと思ったらまた倒れるというタイムラグがある点は説明できない。それに崩岩病を引き起こす未知の感染症が存在するとして、その感染症の治療法は全くの白紙だ。今からその感染症の調査・研究を始めたところで、この村のドワーフたちは助からないだろう。


「おい! マズいぞ! 呼吸が浅くなってる!」


 剣士が地面に膝をつき、ひとりの患者の傍らで叫んだ。院長とセシリアが剣士を振り返る。すでに役場の職員のドワーフたちは全員倒れ、もうこの場で動くことのできる者は院長、セシリア、剣士の三人だけになっていた。

 呼吸が早く浅くなるというのは、病気の影響が呼吸筋に及び、深い呼吸ができなくなっていることを意味している。浅い呼吸では十分な酸素を取り込めないので必然的に回数が必要になり、呼吸が早くなるのだ。さらに症状が進むと浅い呼吸すらできなくなり、呼吸が止まる。その先に待つ結果は、一つしかない。

 院長の顔に冷たい汗が滲む。剣士が見ている患者だけではない、他の患者にもそこここで呼吸が浅くなる者が現れ始めていた。時間はもうない。時間が、なさすぎた。院長はこぶしを握り締め、肩を震わせて事態を凝視している。

 セシリアが大きく息を吸った。動揺を抑え込み、運命に抗うような怒りが瞳に宿る。その怒りは淡い輝きとなってセシリアを包んだ。


「よせ! セシリア!!」


 剣士の鋭い制止の声が飛ぶ。セシリアは答えず、その身体を包む光が輝きを増した。何をしようとしているか察した院長が、セシリアの手首を強く掴んでセシリアをにらんだ。痛みに顔をしかめ、セシリアは院長の顔を見上げる。集中が破られたのか、彼女を包んでいた光が消えた。


「……もう、他にできることがない!」


 セシリアの目には涙が浮かび、その声はかすれていた。彼女の言葉に打ちのめされたように、院長は手を離してうなだれる。セシリアもまた、うつむいて唇を噛んだ。セシリアだってわかっているのだ。彼女の精霊力を皆に分け与えたところで助けられる患者はせいぜいひとり。そしてその患者の代わりに彼女が倒れる。さらには彼女が助けたドワーフはすぐに再発するかもしれない。ならば彼女のやろうとしたことは、事態を悪化させこそすれ好転させることはない。

 院長も、セシリアも、剣士も、もはやどうすることもできずにいた。ドワーフたちの苦しげな呼吸の音だけが聞こえる。セシリアが固く目を閉じた。その頬を涙が伝う。三人は今、運命の前に膝を折――


――プァァァーーーーーンッッ!!!


 運命に抗うクラクションが、村全体に響けとばかりの強さで三人の耳に届いた。




「遅くなりました!」


 コメルが両脇に袋を抱えてロビーに飛び込んでくる。袋の中身は薬の材料だろう。コメルはロビーの様子に一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐに平静を取り戻して院長に駆け寄った。うむ、この修羅場に動揺しないとは頼もしい。

 コメルに続いて、五人の男女がやはり薬袋を持ってロビーに入ってきた。どっかで見たことある気が……あ、この人たち、院長の施療院のスタッフだ。


「お前たち、どうして……」


 院長がスタッフたちに驚きの視線を向ける。スタッフの一人が少し得意げに言った。


「コメルさんに大変なことが起こっていると聞いて、有志を募って無理やりついてきました。院長にばっかりカッコいいマネさせられないですからね」


 スタッフの軽口に、院長の表情が緩む。スタッフは表情を引き締めると、


「指示を。あなたの弟子は必ず役に立ちます」


 そう言って院長を見つめた。他のスタッフが一斉にうなずく。院長の顔に希望が灯った。


「よし、手分けして、重症の患者から薬を調合して飲ませてくれ! 崩岩病への対処方法は分かっているな?」

「はいっ!」


 院長のその簡単な指示を受け、スタッフたちが各々に患者の診察を始めた。おお、なんか超心強い。院長はスタッフの様子を少しの間、頼もしげに見ていたが、すぐに自分に気合を入れて、自らも患者の診察に取り掛かった。




 コメルが連れてきたのは施療院のスタッフだけではなく、バーラハ商会所属の商人たちも十人ばかりいて、彼らはコメルの指示で施療院のスタッフたちの補助や患者の様子の見守りを行ってくれた。また、薬だけでなく簡易ベッドの材料、きれいな水、食料なんかも用意していて、床に転がされていた患者たちをベッドに寝かせることができた。もっともベッドを置くスペースはもう役場の建物の中には無く、倉庫にベッドを並べて患者を移動させることになった。診察と薬の処方ができる人間が増えたことで、患者を一か所に集中させる必要がなくなったのは非常に大きい。院長の様子も若干だが余裕が生まれているようだった。


「さあ、もう大丈夫ですよ」


 セシリアがそう声を掛けながら、水差しで薬を溶いた水を患者に含ませる。少しずつ慎重に薬水を注がなければむせたり、最悪窒息するため、一人当たりの処置の時間はそれなりにかかるようだった。それでも、薬をきちんと与えれば症状は落ち着き、呼吸が安定することは皆に希望を与えていた。まだひとりも犠牲者は出ていない。全員助ける、その誓いはまだ破られていないのだ。


――プァン


 やや遠慮がちなクラクションが聞こえる。ちょうど患者に薬水を与え終ったセシリアが顔を上げた。いつの間にか、セシリアの側にはトラックの姿があった。


 ……


 トラックちっさくなっとる!? 四分の一スケールくらいになっとる! なに、どういうこと!? これじゃ大型トラックじゃないじゃん!

 事情を説明するように、中空にスゥっとスキルウィンドウが現れる。


『アクティブスキル(ノーマル) 【ダウンサイジング】

 身体の大きさを任意に縮小する。

 ただし、縮小比率に応じてあらゆる能力も減少する』


 おお、トラックってば体の大きさを変えられるようになったのか。まあね、今回は、というか以前からちょくちょく、建物の中に入れずにトラックだけ外で待機、っていう状況があったからね。ひとりで外で待ってるのが寂しかったんだろうね。こんなスキル覚えるってことは。


「……トラックさん」


 セシリアは立ち上がり、普段は見上げているトラックを見下ろして、そのキャビンにそっと手を置いた。なんだろう、大型犬を撫でてるイメージ? 安堵したように表情を緩め、セシリアが息を吐く。目を閉じ、少しの間そのままでいたセシリアは、すぐに表情を引き締めて言った。


「力を、貸してください」


 うなずきの代わりにトラックは力強いクラクションを返す。セシリアが小さく微笑んだ。




 時刻は午後五時を回り、コメルたちが燭台を手に灯りをつけて回っている。人員が増えた効果は劇的で、症状の悪化していた患者全員に薬を飲ませ終えていた。これでとりあえずの危機は免れたことにはなるだろう。今は比較的症状の軽い患者への処置を皆で行っていた。コメルは崩岩病の薬の調合を施療院のスタッフ並みにこなして思いがけない戦力となり、トラックも念動力でセシリアを補助している。サイズが小さくなって念動力の効果範囲も小さくなっているようだが、何とか役に立っているようだ。


「院長!」


 手伝いに来てくれた商人の一人が声を上げた。薬を与えて症状が改善していた患者が、また悪化したらしい。院長が厳しい顔で腕を組んだ。施療院のスタッフの一人が患者に駆け寄り、薬を与える。すると再び症状は落ち着いたようだった。これでしばらくは持つだろうが、それが対処療法に過ぎないことは、もうこの場にいる誰もが理解していた。


「……このままでは……」


 院長が小さな声で呻く。このままでは根本的な解決にならない。コメルが持ってきてくれた薬の材料はまだあるが、有限であることに変わりはないのだ。それに、薬を与えれば症状が落ち着くとはいえ、何度も再発を繰り返しては患者の体力が持たない。結局、現状はコメルたちのおかげで破綻の到来が先に延びただけで、破綻そのものを回避できたわけではないのだ。院長も考え得る可能性をいろいろと試しているようだが、未だドワーフたちが精霊力を失う原因を特定できないでいた。

 また別の場所でスタッフが呼ばれ、手早く患者に薬を飲ませる。もはや大半の患者が二周目に入ったようだ。このまま三周目、四周目となったとき、子供や老人が耐えられなくなる可能性は充分にある。少しずつ、院長やスタッフたちに焦りが見え始めていた。


 なあ、おいトラックよ。そろそろいい感じに都合のいいスキルを閃いて事態を解決してもいい頃だぞ? ドワーフ、謎の病で全滅、なんて嫌だろ? こんな時に使わないで、何のためのご都合主義なんだよ!


――ぴろりんっ


 うおっ! びっくりした! トラックのキャビンの上に電球のマークが現れる。ということは、トラック何か閃いた? この状況で?


 ……


 ごめん。さっきはああ言ったけど、ここで都合よく閃いたスキルでドワーフたちをトラックが救ったら、なんかすごーくモヤっとするわ。最初から閃いとけよみたいな。今までの院長たちの努力やら焦りやら何だったのみたいな。……いや、でもこのまま状況が改善しないよりいいよね。唐突だろうが何だろうが、誰かが死ぬよりよほどいい。それでみんな助かるのなら、ご都合主義大歓迎じゃぁ!!


『スキルゲット!

 アクティブスキル(ベリーレア)【強欲伯の宝籤】

 自らの寿命を対価に、

 強欲伯が発行する宝籤を一回引く。

 滅多に当たらないが、当たれば

 強欲伯が持つ知識を一つだけ授かることができる』


 ……あれ? なんか、地味なスキルっていうか、あんまり問題が解決しそうなスキルではないような? 宝くじって、それでどうしろと……あ、もしかして、ドワーフたちが精霊力を失う原因を教えてもらおうってこと?

 トラックの車体がほのかに青い光を放ち、スキルの発動を告げる。中空に一枚の、はがき大の紙が現れ、ひらひらとトラックの前に落ちる。紙には素っ気なく一言、


『はずれ』


と書かれていた。と、同時に――


 バキンッ!


 金属が破断する音と共に、サイドミラーが根元から折れた。音に驚き、周囲のスタッフや商人、院長たちが一斉にトラックの方を向く。セシリアが慌てたように駆け寄り、魔法で修復を試みた。淡い光がサイドミラーがあった場所を包み、光が晴れた時、そこには何もなかった。あ、あれ? 直ってない? セシリアさん、魔法失敗しちゃった?


「そんな……どうして?」


 セシリアが再度魔法を使う。しかし結果は同じだった。この傷は魔法では直せない、ということだろうか? そういえば、スキルの説明に『寿命を対価に』って書いてあったけど、それが関係しているのだろうか? 寿命を対価にするって、具体的にどういうことなんだろう?


『最大HPが減ります』


 ……この上なく分かり易い解説ありがとう。でも呼んでないのに出てくるなヘルプウィンドウ。お前が出てくると場が荒れる。


『イケズ! ミスターソルト! うわーん、バーカバーカ!』


 何とも言えない捨て台詞を残してヘルプウィンドウは消えた。子供か。まあしかし、寿命を対価にするという意味は何となく分かった。最大HPが減るなら、回復魔法で直らないことも理解できないではない。

 トラックの車体が再び光る。同じように紙が現れ、紙には同じように『はずれ』と書いてあった。ボグン、と鈍い音を立ててアルミバンの側面がへこんだ。


「待って! やめてください! トラックさん!!」


 セシリアの制止を無視して、トラックはさらに『強欲伯の宝籤』を発動する。今回もはずれ、ヘッドランプが砕けた。トラックは怖れることもためらうこともなく、淡々と宝籤を引いていく。タイヤがパンクし、ホイールが外れ、フロントガラスが粉々になった。それでもトラックは引くことを止めない。


「お願いです! もう、やめて!!」


 セシリアの悲鳴のような懇願が響く。トラックの助手席のドアが脱落した。シートベルトはちぎれ、シートがねじ切れる。エアバッグが飛び出し、ハンドルが粘土細工のように歪んだ。引いたクジはすべてはずれ。ただトラックだけがボロボロになっていく。


「トラックさん!!!」


 キャビンのフレームさえ歪み、もはやトラックとしての元型さえ留めない姿で、トラックは再度クジを引いた。これ以上はもう、エンジンや冷却装置、バッテリーなんかが吹き飛んでもおかしくない。中空に紙が現れ、ひらひらとトラックの前に落ちて――そこには、何も書かれていなかった。……え? どういうこと?


『悪運の強い奴よ』


 地の底から響くような重低音がどこかから聞こえる。何も書かれていない紙が闇色に輝きを放ち、そして、その闇から現れたのは、フクロウの顔を持つ一体の魔神だった。

その魔神はフクロウの顔と、フクロウの羽根と、フクロウの足とフクロウの頭脳を持っていました。

剣士は驚愕と共にその姿を見つめて言いました。

「ただの、フクロウじゃん」

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― 新着の感想 ―
[一言] >院長にばっかりカッコいいマネさせられないですからね ロンド・ベルだけにいい思いはさせませんよ。 【ダウンサイジング】キターーー!!!!(大歓喜) これで室内でもドラマが繰り広げられるぜ(…
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