脅迫
トラック達がギルドマスターの執務室に入ると、マスターは予期していたかのように落ち着いた様子でこちらを見ていた。その顔は努めて無表情を装おうとして、隠しきれない苦悩をにじませている。その態度はマスターが裏切り者の正体を知ってしまっていることを、トラック達に告げていた。
「……マスター、これは――」
「白々しい会話は無しにしようや。時間の無駄だ」
弁解を試みるイヌカの言葉をマスターはバッサリと切り捨てた。なお言い募ろうとするイヌカを制し、セシリアが冷静に問う。
「あの男の言葉を鵜呑みになさるおつもりですか?」
マスターの顔に苦笑いが浮かぶ。どうやらマスターもイャートには思うところがあるらしい。何となくだけど、二人は反りが合いそうにない気がするな。
「イャートは優秀だが腹の底の見えん男だ。今回の件にしても、義理や親切心で情報をくれたわけじゃああるまい。笛吹気取りでこっちを躍らせようって魂胆だろうよ」
「だったら――」
わずかな希望を見出したように身を乗り出したセシリアを、マスターの冷酷な眼差しが遮る。
「イャートの意図がどうであろうと事実は変わらん。部外者の言葉だけで身内を疑うようなマネはしねぇよ。だが、こんなものを見せられちゃあ、かばいようもねぇ」
マスターは手許に置いていた二つ折りの小さな紙をセシリアに放った。セシリアは空中で紙を受け取ると、広げて中身に目を走らせる。そこには簡潔にこう書かれていた。
『南東街区の焼け落ちた廃墟で待つ』
手紙の末尾にはルーグの署名と、そして何かをかたどった透かしのような模様がある。その短い内容と署名には、ルーグの訣別の意志のようなものが感じられた。
「その模様はガトリン一家を表す刻印だ。ルーグは間違いなく、ガトリン一家の関係者だよ」
「ルーグは読み書きができなかった! その署名はルーグのものじゃない!」
イヌカが悲鳴に近い声を上げ、マスターに迫る。マスターは疲労に耐えるように息を吐いた。
「署名がルーグ本人のものでなくても、ガトリン一家の刻印入りの手紙に名前があれば無関係なはずはねぇだろう」
「こっちを混乱させるための罠かもしれないでしょう!」
「白々しい会話はよせと言ったはずだ!」
すがるようなイヌカの声を、マスターの怒声が突き放す。イヌカが唇を噛んだ。
「……ギルドはすでにルーグの裏切りを認定した。追跡者がルーグを始末することになるだろう」
イヌカたちがハッと息を飲む。マスターは自虐気味に言った。
「俺がこの話を聞く前に、幹部連中には話が通ってたよ。間抜けな話だ。逃げ道塞がれるまで、まるで気付かなかったんだからな」
もし最初にマスターにこの話が伝えられていたら、かん口令を敷いて時間を稼ぐこともできたかもしれない。だが、いやだからこそ、イャートはギルドの幹部たちに先に話を通したのだろう。ルーグの裏切りをギルドに確実に認定させるために。
『いいように使われるなよ』
衛士隊副長リェフの言葉が脳裏をよぎる。おそらくイャートはルーグのことをずっと以前から知っていたのだ。そしてそれを暴露するタイミングを待っていた。ルーグがマフィアに利用された挙句に命を落とした時、トラック達の怒りがマフィアに向くように。トラック達はマフィアを潰すだろうが、無傷というわけにもいくまい。疲弊したトラック達を処断し、漁夫の利を得た衛士隊が南東街区に法の支配を取り戻す。イャートにとって、ルーグもトラック達も、大義のためのやむを得ぬ犠牲なのだ。
「……ギルドマスターとして俺ができるのは、追跡者の派遣をわずかばかり遅らせることだけだ」
マスターが呻くように搾りだした言葉に、イヌカたちがマスターを凝視する。マスターはイヌカたちを見渡し、言った。
「今日だけだ。今日をお前たちにやる。今日中にカタを付けろ。明日にはもう、奇跡はない」
わずかな希望がイヌカたちの顔に広がる。まだ終わりではない。ルーグの待つ廃墟に赴き、ルーグを救うことができれば――失敗は許されない。か細い糸のようであっても、しかしまだ途切れてはいないのだ。
イヌカ、セシリア、剣士の三人は無言でマスターに深く頭を下げると、わずかな時間も無駄にできないと執務室を飛び出していく。三人に続いてトラックも部屋を出る。トラック達の背を見送り、マスターは椅子の背にもたれて長く深いため息を吐いた。
「……偉くなんてなるもんじゃねぇな」
天を仰ぎ、目を閉じて、マスターは祈るようにつぶやく。
「頼むぞ。俺たちにルーグを殺させてくれるな」
夕刻の南東街区を、トラックは急くように走る。ひどい悪路に車体は揺れ、思うようにスピードは出ない。もどかしさを吐き出すようにトラックはぶぉんとエンジン音を立てた。
トラックの助手席にはセシリアが、運転席にはイヌカがおり、剣士はもはや定位置となった荷台で体育座りをしている。イヌカはイライラと落ち着かない様子で窓の外をにらみつけていて、セシリアはじっと考え事をしているようだった。
「……どうして」
セシリアがぽつりとつぶやく。イヌカがセシリアに怪訝そうな顔を向けた。
「どうしてルーグは、正確に言えばガトリン一家は、トラックさんを狙ったのでしょう?」
「あぁ? どうしてって、そりゃ……」
答えようとしてイヌカは言葉に詰まる。言われてみれば確かに、ガトリン一家がトラックをピンポイントで狙う理由はいまいちわからない気がするな。
「……獣人売買、詐欺、人身売買。トラックが関わった大きな事件はことごとく、ガトリン一家が噛んでたって話だろう? その意趣返しじゃねぇのか?」
「そのうち詐欺以外は私たちも関わっていますが、狙われたのはトラックさんだけです。詐欺事件が獣人売買や人身売買と比べて特に重要だったとも思えませんし、そもそも意趣返しとしては方法に違和感があります」
ガトリン一家が関わっていた違法行為を潰された報復なら、それと分かるようなやり方にしなければ意味がない、とセシリアは言った。報復という行為は、ガトリン一家に逆らえばどうなるか、みせしめとして機能する必要があって、単に相手が死という結果を迎えればよいというわけではない。しかしルーグは「事故に見せかけて」トラックを消したかったと言った。事故ではみせしめにならない。つまり、ガトリン一家は報復云々よりもトラックの存在自体を危険視している、ということになる。
「ガトリン一家はトラックさんの何を怖れている……?」
イヌカは首を横に振り、フロントガラスの向こうに視線を向けた。そこにはかつて大規模な火事でもあったような、焼け落ちた無数の建物が並ぶ廃墟が広がる。ここは以前ルーグとトラックが、幼い二人の兄弟を守る一人の少女を追って辿り着いた場所だった。
「……考えたってわかりゃしねぇよ。ルーグの奴に聞けば済むことだ」
イヌカの言葉にセシリアはうなずく。ルーグに聞く、つまりそれは、ルーグを決して死なせはしないというイヌカの決意表明だ。
「ええ、そうですね。ルーグと一緒に帰って、それから聞くことにしましょう」
セシリアもまた、フロントガラスの向こうの廃墟を見つめた。その視線の先には、見覚えのある人影が待ち構えるように佇んでいた。
「まさか本当に来るなんて、底抜けのバカだなあんたは」
呆れたような嘲笑を浮かべて、人影――ルーグはトラックに言った。廃墟のガレキに阻まれたトラックは、ルーグを正面に捉える位置で停車する。その距離はおおよそ十メートルと言ったところか。トラックがドアとウィングを開き、イヌカたちは外に出てルーグと対峙した。
「……ルーグ」
イヌカが苦いものを吐き出すように名を呼ぶ。ルーグは少し大げさに驚いた様子を作って言った。
「あんたたちも来たのか。そう言えば、ひとりで来いとは書かなかったかもな」
ルーグはつまらなさそうに鼻を鳴らした。でもそれは、もしかしたら動揺を隠すためだったのかもしれない。なぜ来たのか。来てほしくなかった。ルーグが心の中でそう思っているのだと、そう思うのは、ただの俺の願望だろうか。
トラック達の視界の中には、ルーグ以外の人間の姿はない。しかしかつての大火で焼け落ちた建物の残骸は見通しを遮り、いくらでも兵を潜ませることが可能だろう。わざわざここに呼び出した以上、戦力も罠も、充分に準備しているはずだ。
「もうよせ! 戻ってこい!」
イヌカは悲痛な顔で叫ぶ。しかしルーグは小馬鹿にしたような笑みを浮かべるばかりだ。
「戻るも何も、おれは最初からこっち側だよ。それにおれが裏切ったことはギルドにもう伝わってるはずだろ? わざわざ殺されに行くなんて御免だ」
軽く肩をすくめ、ルーグはおどけた態度でトラック達を見回す。セシリアは真剣な眼差しでルーグを見つめ返した。
「本当にトラックさんを殺めるつもりがあるのですか?」
「……今朝のことを言ってるのかい?」
セシリア姉ちゃんはあまちゃんだなぁ、そうつぶやいてルーグは問いに答えた。
「こっちにも事情があるんだよ。ファミリーにはヘルワーズさん以外にも幹部がいる。今朝トラックに蹴散らされた雑魚どもはその連中の子飼いなんだ。そいつらが簡単にやられたトラックをおれたちが殺れば、他の幹部たちはヘルワーズさんにデカい顔ができなくなるだろ? ちょうどいいから利用させてもらったんだよ」
言い終わり、ルーグは懐から呪銃を取り出すと、天に向かって引き金を引いた。パン、という無機質な破裂音が廃墟に響き、トラック達を取り囲むようにマフィアの構成員が姿を現す。
「ほら、無駄口を叩いてる間に囲まれちまっただろ? そういうところがバカだって言ってんのさ。問答無用で突っ込んでこられたら、こっちとしちゃどうしようもなかった」
周りを囲むマフィアたちは恐怖も侮りもない、落ち着いた様子でトラック達を注視している。無駄な力の抜けた立ち姿は、修羅場に身を置いて生きてきた者特有の凄味を放っていた。
「今朝の雑魚と同じに思わないほうがいいよ。ここにいるのはヘルワーズさん直属の武闘派だ。油断してたらあっという間に死ぬことになるぜ?」
一瞬だけルーグの顔が真剣なものに変わる。しかしすぐにその表情は、本心を包み隠すような笑みへとすり替わった。ルーグはふと思い出したように「ああ」とつぶやくと、まるで天気の話をするように言った。
「ちなみにだけど、もし今回トラックを仕留め損ねたら、おれはヘルワーズさんに殺されることになってる。おれを助けたければ、罠と兵隊が待ち構える廃墟を抜けておれのところまで来なよ。もちろん逃げたってかまわないぜ? そうしたら明日の朝、ギルドの前にガキの死体がひとつ転がるだけだ」
自分の命をまるで他人事のように、何の興味も無さそうにルーグは語る。そうなっても構わない。どうでもいい。自分が死んでも世界はどんな痛痒も感じない。空虚な確信がルーグを支配している。ルーグは呪銃の弾を詰め替えると、再び天に銃口を向けた。
「でもトラック。あんたは、来るだろ?」
パン、と乾いた音が響き、ルーグの足元を円形の光が囲む。嘲りの瞳でルーグはトラックを見つめた。それは明らかな挑発であり、自分の命を使った脅迫だ。ルーグの裏腹な響きを帯びた問いかけに、
――プァァァンっっっっ!!!!!
トラックは廃墟の隅々まで震わせるような大音声のクラクションを返した。ルーグはハッと息を飲み、目を見開く。そしてひどく傷ついた顔をして、「……やっぱりあんたはバカだよ、トラック」とうつむいた。
「ルーグっ!!」
イヌカがたまりかねたように一歩前に出る。今までほとんど動くことのなかったマフィア連中が、一斉に武器を抜いて身構えた。戦いの気配が辺りに満ち始める。ルーグはうつむいたまま、足元から立ち上る光に溶けるように姿を消した。
――プァァァンっっっっ!!!!!
消えたルーグの背を追いかけるように、トラックのクラクションが夕暮れの廃墟に響き渡った。
あまりに重苦しい展開に耐えられなくなったトラック無双は、次回から唐突に学園編へと突入します。




