仕事
ガタガタと車体を揺らしながら、トラックは南東街区の悪路を慎重に走っている。昼間の南東街区には人の姿はほとんどなく、息を潜める人々の気配だけがあちこちに感じられる。南東街区が真に目覚めるのは日暮れからなのだ。住人たちは陽の光を怖れるように家の中にこもり、闇が訪れるのを待っている。
「なあ、アニキ」
トラックの助手席で、悪路に跳ねる車体に顔をしかめながら、ルーグは不満そうに口を尖らせた。
「冒険者の仕事って、こんなに地味なのか?」
なんか想像してたのと違う、と言いたげなルーグに、トラックはプァンとクラクションを返した。ルーグは「うえぇーっ」と嫌そうな声を上げ、子供らしからぬ大きなため息を吐いた。
ルーグの世話係を押し付けられたトラックは、そのまま世話を剣士に押し付けようとして失敗し、しぶしぶながらルーグの面倒を見る腹を決めたようだ。セシリアたちが利用している宿に部屋を取り、宿の主人に少しばかりの金を握らせてよろしく頼むと伝え……たのだろう、プァンとクラクションを鳴らした。セシリアと剣士にもルーグを会わせ、フォローを頼んでいたようだ。トラックは食事もしないし水も飲まない。トラックでは気の回らない、人間の生態に関する部分を補ってほしいということらしい。
「よろしくね」とほほ笑むセシリアに、ルーグは顔を赤くしてうなずいた。突然目の前に現れたきれいで優しいお姉さんに、どう対処していいか分からないらしく、ルーグはガチガチに緊張して、ブリキのおもちゃよろしく不自然な動きをしていた。
南東街区の道はとにかく狭く、曲がりくねっていて、しかもその辺の住人たちが荷物を道端に放置したり、勝手に家を増築して道を占有したりして通れなくなっている場所も多いので、ほぼ迷路と言ってさしつかえないほど複雑に入り組んでいる。おまけに誰も道の整備をしないので凹凸が激しく、雨でも降れば水没もする。おおよそトラックが通るには不向きな場所なのだが、そんな場所でも仕事であれば行かないわけにもいかない。今日の荷物のお届け先は南東街区にあるのだ。
「もう帰ろうぜ。見つかりっこないって」
うんざりした声でルーグが言った。トラックたちが南東街区に入ってもう一時間以上が経過している。お届け先が見つからないのだ。
「ここらの住人はヤサを変えるなんてしょっちゅうさ。どうせそいつも夜逃げしてるって。探すだけ無駄だよアニキ」
訳知り顔でちょっぴり得意げにルーグが言う。ルーグは南東街区の出身なのだ。南東街区での生活に嫌気がさしてギルドの門を叩いた、と本人が言っていた。
ルーグ曰く、南東街区の住民は二種類しかいない。マフィアのファミリーか、ファミリーにもなれない者かだ。南東街区は他の地区で何らかの理由によって身を持ち崩した人間の吹き溜まりで、ケテルの法が行き届かない無法地帯なのだが、おかしなことに無法地帯には無法地帯なりのルールが存在する。そのルールを作るのがマフィアであり、ファミリーになればそのルールに縛られ、守られることになる。逆にファミリーになれない者は、誰にも何にも守ってもらうことはできない。奪われようが殺されようが、泣き言を言う権利もない。だからそういう者たちは自らの身を守るために、自分の素性を他人に明かさないし、頻繁に住む場所を変えたりもする。南東街区には放置された空き家があちこちにあり、今日もどこかの家が空き家になり、どこかの空き家に誰かが住み着いている。そんな場所で荷物を届けるなんて無理だと、ルーグはそう言っているのだ。
ルーグはトラックに『探しても無駄な理由』を次々と披露する。文句が尽きないルーグに、トラックはたしなめるようなクラクションを返した。ルーグは不満そうに鼻を鳴らし、納得のいかない顔のまま口を閉ざした。
ごみごみとした狭い路地をトラックは慎重に進む。建物が密集して視界が狭く、時折道をまたぐように紐が渡されて洗濯物なんかが干してあったりして死角が多い。突然誰かが飛び出して来たらと思うと、安易にスピードが出せないのだろう。かもしれない運転、大事。そんなことを俺が考えていると、トラックがいきなり急ブレーキを踏んだ。がくんと車体が揺れ、ルーグが思わず「うわっ!」と叫ぶ。シートベルトしててよかった。ビバ、安全装置。
トラックの目の前には、ルーグと同じくらいの歳の少年が驚いたように目を丸くして立っている。丸刈りにしたのが少し伸びたような短髪で、薄汚れたぼろをまとい、顔はすすけているが、よく見ると意外に端正なというか、中性的な美少年である。そしてその両腕には黒パンを二つ、とても大事そうに抱えていた。少年の背後からは複数の足音が聞こえる。少年ははっと振り向くと、再びトラックの方を見て、意を決したようにトラックの車体の下に身体を滑り込ませた。
その直後、少年が出てきたのと同じ道から三人の男が飛び出してきた。いかにもガラの悪いその男たちは、ぎょっとした表情でトラックを見る。
「お、おい。今、ガキがここを通ったろう。どっちに行った?」
ガラ悪男のひとりが、やや気後れしながらトラックに問う。トラックはトボけたようなクラクションを返した。別のガラ悪男がトラックに近付いて凄む。
「本当だろうな? 嘘だったらただじゃおかねぇ」
凄まれたトラックは、低く静かにもう一度クラクションを鳴らした。周囲の温度がスッと下がったような、ピリッとした空気が広がる。ガラ悪男たちはあからさまに顔色を変え、
「う、嘘じゃないなら、いい」
そういうと、逃げるように、自分たちが来た方向でもトラックが来た方向でもない道を走っていった。ルーグはガラ悪男たちの背中を見つめ、勝ち誇ったようにふふんと鼻を鳴らした。
トラックがプァンと小さくクラクションを鳴らす。「おっと」とつぶやき、ルーグが助手席から降りてトラックの車体の下を覗き込んだ。するとそこには――少年の姿は影も形も無くなっていた。トラックにもガラ悪男たちにも気付かれないように、こっそりと逃げ出していたのだ。
「……礼ぐらい言えよ」
不機嫌を全力で表すように、ルーグが大きく顔をゆがめた。
「アニキはひとがいいよ。ほっときゃよかったんだ、あんなやつ」
助手席で腕を組み、ルーグは不満たらたらのご様子である。礼も言わずに勝手にいなくなったことがよほど気に入らなかったらしい。もっともトラックは気にした風もなく、ルーグの不満を聞き流している。
「あいつパンを持ってただろ? アレ、絶対盗んだやつだぜ。捕まってボコボコにされたって自業自得なんだ」
むしろボコボコにされろ、とルーグは言いたいようだ。その瞳には年齢に不釣り合いな、どこか暗い影が宿っている。盗みは悪いことだから罰を受けても仕方がない、と思っているというよりは、盗んだことがバレて追われるような間抜けはどうなろうと知った事じゃない、それを助けるなんて無駄だ、そう言っているように聞こえる。
トラックはひたすら不満と文句を言い続けるルーグを否定することもなく、黙って道なりに進んでいる。やがてトラック達の前に、玄関に小さな、くすんだ赤い色の布をぶら下げた家が現れた。お届け先の目印だ。トラックはプァンとクラクションを鳴らす。
「えっ? 見つかったの?」
文句を打ち切り、ルーグは驚いたように目を丸くした。「こんなどうでもいい奇跡、そうそうないぜ」と言いながら、ルーグは助手席の扉を開けて地面に降りる。トラックは左のウイングを少し開き、荷台から念動力で荷物を取り出してルーグに渡した。道が狭すぎてウイングを大きく開くことができないのだ。
荷物は一抱えもある大きな箱だった。思ったより重かったのだろう、ルーグの身体が横にふらつく。トラックの念動力がルーグを支えた。
「トラック運送でーす。荷物をお届けに上がりましたー」
ルーグが玄関扉に顔を寄せ、小さな声で中に呼びかける。南東街区で「荷物を届けに来ました」なんて大声で言えば、奪ってくれと言っているようなものだ。周囲に気取られないよう、しかし中には聞こえるように、ルーグは慎重に声を掛けている。
しばらく呼びかけていると、やがて玄関扉がわずかに開いた。隙間からはひどく警戒した二つの瞳がルーグの目を覗き込んでいる。ルーグは物怖じせず、営業スマイルを浮かべて住人に話しかけた。
「荷物、持ってきました。西部街区から」
ルーグの言葉を聞き、扉が大きく開かれる。そこにいたのは髪もひげも伸び放題の、痩せこけた中年の男だった。男はルーグから荷物をひったくるように奪うと、地面に置いて中身を漁った。箱の中身は干し野菜、塩漬けの肉、わずかなお金、そして手紙。男は手紙を取り出すと、封を切って食い入るように文字を追う。男の目の端に涙の粒が大きく盛り上がり、ぽろぽろと頬を伝い落ちた。歯を食いしばり、声を殺して、呻くように男は泣いた。読み終わった手紙はぎゅっと胸に抱いている。ルーグはどうしていいか分からない、というように、ただ男のことを呆然と見つめて突っ立っていた。
しばらくして男は泣き止み、今度は地面に膝をついてルーグに頭を下げた。
「ありがとう。ありがとう」
男は何度も何度もそう言って頭を下げた。ルーグは慌てて男の肩に手を当て、
「し、仕事だから。礼なんて言わなくていいから」
そう言って男をなだめた。男はさらに何度か頭を下げると、大事そうに箱を抱えて家の中に入っていった。
「……な、なんなんだよ。荷物届けただけなのに、あんな……」
閉じられた玄関扉を見つめ、ルーグが戸惑いの中でつぶやく。トラックが柔らかくクラクションを鳴らした。ルーグはトラックを見上げ、「……うん」とうなずいた。
トラックが助手席の扉を開ける。ルーグは小走りに駆け寄り、トラックの助手席に乗り込んだ。
誰か、お客様の中にトラック語が分かる方はいらっしゃいませんか?




