冒険者志願
「なんでダメなんだよ!」
「ここはガキが来るとこじゃねぇっつってんだ!」
昼下がりのギルドの受付カウンターの前で、二つの怒鳴り声がぶつかり合っている。一つはまだ若い、幼いと言っていいくらいの男の子のもので、もう一つはイヌカのものだ。どうやら少年は冒険者ギルドに加入したいようで、イヌカがそれを邪魔しているらしい。おお、お久しぶりの『新人潰し』発動。イヌカの本領発揮である。
やんちゃそうな少年はまなじりを吊り上げ、挑むようにイヌカを下から睨み上げている。対するイヌカは、こちらも「やんのかコラ」的な表情で少年を見下ろしている。十歳くらいの子供と同レベルでケンカするDランク冒険者。イヌカよ、お前はそれでいいのか。
「おれはガキじゃない! ナイフも使えるし、戦えるんだ!」
少年は腰のナイフを抜き、いきなりイヌカに襲い掛かった。ヒュッと刃が空を切る。周囲の冒険者たちが「いいぞー」「やれー」と無責任な声援を上げた。
「ナイフが使える?」
バカにしたように口の端をゆがめ、イヌカはひょいひょいと少年の攻撃をかわした。少年は苛立った表情を浮かべてナイフを振り回している。
「このっ! よけるな!」
少年の理不尽な要求を鼻であしらい、イヌカは少年の右手首を掴むと、その手に強い力を込めた。痛みに思わず声を上げ、少年はナイフを床に落とす。さらにイヌカは一歩踏み込むと、少年の足に自分の足を引っかけて床に転がした。受け身をうまく取れず、少年が床に背を打ち付けて呻く。イヌカは器用に少年のナイフを足で真上に跳ね上げて右手で受け取ると、倒れ込むように少年に覆いかぶさり、その首元にナイフを突きつけた。少年の顔から血の気が引き、全身が緊張に強張る。
「オレはナイフを使わねぇが、『ナイフが使える』お前よりはうまくやれるぜ?」
イヌカの言わんとしていることを理解したのか、少年は顔を紅潮させ、怒りの眼差しをイヌカに向ける。気の強い子だなぁ。イヌカは無言でナイフを振りかぶった。少年の顔が再び強ばる。イヌカはナイフを逆手に持ち替えると、そのまま勢いよく振り下ろした。
――ガツッ
固い木を穿つ音がして、少年の首の数ミリ右側にナイフが突き立てられる。少年は真っ青な顔で硬直した。
「ギルドに登録するにゃ試験を受ける必要があることは知ってるな? お前は不合格だ。とっととおうちに帰りな、クソガキ」
少年の身体が屈辱に震える。イヌカは小ばかにしたような顔でせせら笑い、ゆっくりと立ち上がった。あっさりついた決着に、周囲の冒険者たちがつまらなさそうにため息を吐き、各々の事情に戻っていく。イーリィが受付越しにイヌカをにらんだ。
「子供相手に大人げないわ」
「子供だって理由で手加減してくれる賊や魔物がいたら連れてこい」
イーリィの言葉を意に介さず、イヌカは冷たくそう言い放った。床に転がったままの少年は、奥歯を噛み締めて呻くようにつぶやく。
「……帰る家なんか、ねぇよ」
つぶやきを聞いたイヌカが少年を冷めた目で見下ろした。
「入り口の前に転がってんじゃねぇ。てめぇで動けねぇってんならオレがつまみ出してやるよ」
「イヌカ!」
カウンターに両手をつき、いい加減にしろとイーリィが鋭い声を上げる。イヌカは声を無視して腰を屈め、少年を立たせようと手を伸ばし、そして――
――ゴンっ
急に入り口から入ってきたトラックに撥ね飛ばされた。あーあ、入り口の前に突っ立ってるから。イヌカは見事に床を転がり、ギルドカウンターにぶつかって止まる。床とカウンターの隙間から、よっこらしょ、という感じで手加減が身を起こした。床に転がっていた少年がポカンとした顔でトラックを見上げ、イーリィが可笑しそうに吹き出した。
「……てめぇ、なにしてくれてやがる」
不自然な体勢で床に転がったまま、怒りに引きつった顔を向けるイヌカに、トラックは「ご、ごめん」と言うようにプォンとクラクションを返した。
「いいじゃないの、そんなにツンケンせんでも」
マスターの、ちょっと無責任に思えるような軽い感じの声が執務室に広がる。執務机の前に座って書類に目を通し、さらさらとサインをしていたマスターは、キリのいいところまで作業が終わったのか、手を止めて顔を上げた。執務室は応接にも使われるため意外に広く、トラックが入っても手狭な印象はない。そこに大人二人と子供が一人増えたところで何の問題もないのだ。
「しかしマスター!」
イヌカはむきになったように身を乗り出し、マスターに顔を近づける。マスターは顔を後ろにそらしてうっとおしそうに距離を取った。
「お前さんがここに来たときもこれくらいの年だったろう」
マスターはイーリィと並んで立っている少年に目を向けた。少年が緊張した顔で姿勢を正す。イヌカは心外そうに眉をひそめ、両手で執務机を叩いた。
「オレが来たのは十一の時です!」
大差ねぇだろうが、とつぶやき、マスターはイーリィに視線を移す。
「イーリィの意見は?」
「正規のギルドメンバーにするのは早いでしょうが、見習いとしてなら充分かと」
イーリィは冷静にマスターに応える。少年がイーリィを見上げ、ほっとしたような顔をした。イヌカはイーリィを振り返って忌々しげににらむ。イーリィはしれっとイヌカから視線を逸らした。マスターはこの部屋にいる最後のひとり――トラックに言った。
「じゃあ、トラック。お前がぼうずの面倒を見てやってくれや」
「ええ!?」
は? という感じでトラックが鳴らしたクラクションに、少年の上げた驚きの声が重なる。マスターは軽く眉をひそめた。
「なんだ、不服か?」
少年は慌てて首を横に振り、様子を窺うようにトラックを見た。トラックは……少なくとも表面上は、何も気にした様子はない。何も考えていないだけかもしれないが。
「ま、待ってください、マスター!」
イヌカが慌てた様子でマスターに抗議する。
「トラックはEランクですよ? 見習いを指導する資格がない!」
ああ、そうだっけ、とトボけたつぶやきを上げたマスターは、執務机の引き出しを開け、小さな袋を取り出した。そしておもむろに袋を開けると、そのまま口元に持ってきて一気に中身を口の中に流し込む。ぼりぼりと乾いた咀嚼音が聞こえた。
……バタピーだな。仕事中にこそこそ飲んでるな、このおっさん。それにしてもなんで急にバタピー食いだしたんだ。実はすでに出来上がってんのか?
突っ込むべきか困惑しているイヌカたちをよそに、マスターはバタピーを入れていた袋の裏にサラサラと筆を走らせる。そして何事かを書き終え、袋を手に取りその場にいる全員に見せつけるように掲げた。
「……とらっく、でーらんく?」
イーリィが呆けたような声で書かれた文字を読み上げる。これはつまり、アレだろうか。トラックはDランクに昇格したということだろうか?
……雑っ! ランクアップの決定が雑っ! ほぼマスターの気分次第ってこと? それでいいのか冒険者ギルド!
「いやいやいや!」
イヌカは首を横に振りながらマスターに詰め寄る。
「ランクを適当に決めないでください! ランクは実力と実績とギルドへの貢献度を加味して慎重に決めるべきだ! でなければランク制度が破たんします!」
ピンクのモヒカンのくせに、妙なところで生真面目だなイヌカ。言ってることは正しい気がするけど、見た目で説得力が大きく失われているよ。マスターはふんっと鼻を鳴らすと、不満を含んだ声でイヌカに言った。
「お前さんはDランクなのにか?」
マスターの声は特に強くもとげとげしいものでもなかったのだが、イヌカは反論の言葉に詰まり、マスターから視線を逸らせた。
「……オレは、適正ですよ」
マスターはじっとイヌカを見つめる。イヌカは視線を逸らせたままだ。イーリィは少しだけ悲しそうな目でイヌカを見ている。少年は状況が分からず居心地の悪そうにしていて、トラックは何を思っているのか分からない。「気持ちは分からんでもないが」とマスターは息を吐き、そして表情を改めた。
「実績で言えばトラックはDランク昇格の条件をとうに満たしてる。まあ、やらかしてくれたとか、これからもやらかしてくれるだろうとか、幹部連中がいろいろ言うもんで保留になってたんだが、俺としちゃあいい加減もっと上の仕事をしてもらいてぇのさ。使える奴を腐らせとく余裕は今のケテルにゃねぇんだ」
分かってるだろう、とばかりにマスターはイヌカに厳しい視線を向ける。
「しかし……」
反論するだけの根拠はないが納得もできない、そんな顔でイヌカはそう言葉を搾りだした。その声に力はなく、これ以上反対しても意味はないことは本人も分かっているのだろう。イヌカは悔しそうに目を伏せる。マスターは少年に目を向けた。
「ぼうず、名前は?」
「お、おれは、ルーグ、です!」
マスターに名を問われ、少年――ルーグが緊張気味に答える。表情を緩め、安心させるように軽い声音でマスターは言った。
「そうか、ルーグ。ケテルの冒険者ギルドはお前さんを見習いとして受け入れる用意がある。見習いの間は無給だが、ある程度経験を積んで問題なしと判断されれば正式なギルドメンバーになることができる。それで構わねぇか?」
「は、はいっ!」
ルーグはようやく安心したように顔をほころばせた。イーリィがかすかに微笑み、イヌカは複雑な顔をする。マスターは目を細め、そしてトラックの方を向いて言った。
「お前さんの世話はそこにいるトラックがする。分からないことがあれば全部トラックに聞くといい。それから……」
マスターは悪戯っぽい顔でニヤリと笑った。
「見習いの衣食住は世話係が面倒を見る決まりだ。ルーグ、遠慮するこたぁねぇ、トラックにどんどんタカれよ。そいつは酒も飲まねぇ博打もやらねぇでな、小金を貯め込んでやがんのよ。言えば何でも買ってくれるぜ、なあ、トラック」
くっくっくと笑うマスターに、トラックはプォンとクラクションを返す。マスターはガクッと身体を傾げた。
「いいのかよ。……まあいい。とにかく、ルーグの面倒は任せたからな」
ルーグは緊張した面持ちでトラックの方を見ると、
「よ、よろしく」
そう言って頭を下げる。トラックはプォンとゆるくクラクションを返した。ルーグは頭を上げ、戸惑ったような表情を作る。イーリィが呆れたようにトラックを見上げた。
「気楽にって、トラさん。もうちょっとこう、何かないの?」
イーリィにトラックはプァンとクラクションを鳴らし、マスターが苦笑する。イーリィは軽く肩をすくめて息を吐き、ルーグは少しだけ緊張がほぐれたように笑顔を浮かべた。ただ、イヌカだけは変わらずに厳しい瞳でトラックをじっと見つめていた。
イヌカは唇を噛み締め、心の中でこう叫んでいました。「新キャラが出てきたらオレの出番が減るじゃねぇか!」




