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秋深し

 ケテルの中央広場の周辺には道に沿って街路樹が植えられた区画がいくつかあり、住民たちに季節の移ろいを伝える。春にはほころぶつぼみが心を弾ませ、夏は木陰にほっと一息を吐く。そして秋には落葉を楽しみ、その実を味わうのだ。実を付ける木を植えるというのがいかにも商人の町らしい。

 トラックはいつもと変わらず、街路樹を横目に、荷物を載せてのんびりと走っていた。日没の時間は早まり、夕暮れ時の影はその長さを伸ばしてゆく。ケテルの秋は深まり、遠くで微かに冬の足音が聞こえていた。


 商人ギルドの組合員が人身売買の容疑を掛けられたことで、商人ギルドの内部はかなり荒れたようだ。この事件に対する態度は商人によって大きく二つに分かれた。一つはやっちゃいかんことはやっちゃいかんだろう、という良識派、もう一つは善悪是非は横に置き、衛士隊に介入を許せば商売がしづらくなるだろう、という自由派だ。自由派の言い分は、商売に対する過度な法規制は商人たちを委縮させ自由な発想と自立の気骨を奪う、というもので、今回のケースも衛士隊ではなく商人ギルドの内部で解決すべきだと強く主張したようだ。これが前例となり、衛士隊の影響力が増すのを警戒したのだろう。自由派は金貸したちの釈放と身柄の引き渡しを衛士隊に迫ったが、イャートは証拠を盾にそれを突っぱね、かなり強引に起訴に持ち込んだ。

 今回の摘発ではトラック達が病院送りにした金貸したちだけではなく、その背後にいたと思われる北部街区の商人にまで捜査の手が伸びている。もっとも、その北部街区の商人は逮捕される前に姿をくらまし、イャートたちは真相にはたどり着けなかったようだ。事件を利用した衛士隊と商人ギルドの激しい暗闘は痛み分け、と言ったところだろう。イャートの歯噛みしている顔が目に浮かぶ。

 ちなみにあの事件の後、トラック達三人はギルドマスターに呼ばれ、ものすごーく怒られた。冒険者というのは基本的に一般の人からの印象が良くないというか、はっきり言えばならず者とか犯罪者予備軍とか思われているフシがあって、ギルドは日々、イメージアップに心を砕いている。トラック達が今回やったことはケテルの町の人々には『冒険者が商人の家に乗り込んで暴れた』というニュースとして伝わっていて、地道な努力を台無しにされたマスターはたいそうオカンムリだった。事情を知る西部街区の人たちはかえって冒険者を見直したと言ったりしてくれているが、ケテルの、普段あまり冒険者に関わらない普通の人々に対しては、間違いなく大きなイメージダウンになったことだろう。

 ひとしきりお説教を終えた後で、大して反省の色もないトラック達に大きくため息を吐くと、マスターは少しばかり投げやりな態度で言った。


「イーリィに感謝しろよ。お前たちが簡単に釈放されたのは全部イーリィのお陰なんだからな」

「イーリィさんが?」


 セシリアが訝しげな視線をマスターに向ける。確かにイーリィはセシリアと仲がいいみたいだし、助けようとしてくれることにそれほど違和感はないが、冒険者ギルドの受付嬢が何か言ったくらいで犯罪がもみ消されることがあるのだろうか?


「どうやって?」


 剣士が素朴な疑問を口にする。そうだよねー。何か特殊な事情でもないと、イーリィの口添えでトラック達が釈放されるなんてありえない。実はイーリィは自分のお願いを相手に強制することのできる特殊スキルの持ち主だとか、あるいは受付嬢は世を忍ぶ仮の姿で、ケテルを影から支配する暗黒女帝だったとか……まさか、裏番? 裏番なのか!?


「知らなかったのか?」


 マスターがしまった、とばつの悪い顔をする。てっきり知っていると思った、という感じだ。口を滑らせた、と顔をしかめ、マスターは言いづらいことを搾りだすように言った。


「……イーリィは評議会議長、つまりケテルの最高権力者の娘だ」


 えっ……


「えぇーーーーっ!?」


 剣士とセシリアが大きく驚きの声を上げる。トラックはへぇ、とばかりにプォンとクラクションを鳴らした。


「どうしてそんな大物の娘がギルドの受付嬢に?」


 セシリアのもっともな問いに、マスターは少し苦い表情を浮かべた。


「あの親子には色々あってなぁ」


 マスターはそれだけを言って口を閉ざす。色々、という部分を説明する気はないらしい。興味深そうに身を乗り出したセシリアに軽く咳払いをして、マスターは表情を改める。


「色々あった、にもかかわらず、イーリィはお前たちのために父親に掛け合ったんだぞ。おそらく死ぬほど嫌だっただろうよ。菓子折りでも持って、しっかり礼を言っとけ」


 マスターは話は終わったとばかりにひらひらと手を振って三人に退出を促す。明かされた衝撃の事実に目をパチパチとさせ、セシリアと剣士は互いに顔を見合わせて部屋を出た。トラックは、驚いているのかどうなのか分からないが、おとなしく二人の後に付いて退出した。

 その後、三人は素直に菓子折りをもってイーリィにお礼を言いに行ったのだが、イーリィは「気にしないで」と言葉少なだった。あまり触れられたくない雰囲気を察して、三人もあまり深く事情を聞くことはなかった。助けられた立場だしね。嫌がってるのに聞けないよね。ちなみにお菓子は三人でおいしくいただきました。トラックは食べないから三人ね。ケテル饅頭。一口サイズ。皮は薄くてあんこがたっぷり。おすすめです。


 とまあ、これが前回の事件後の大まかな流れであります。ああ、アネットもアネットの父親も先生も、ちゃんと元気に以前と同じ日常を送っている。借金が無くなってアネット家は少し生活に余裕ができたようだ。アネットとレアンは以前よりも仲良くなり、もはや姉弟のようで見ていて微笑ましい。先生は思うところがあったのか体を鍛え始め、子供たちに「全然強くならないね」と笑われている。まあでも、先生がムキムキになったら、それはそれでちょっと嫌だな。


 そんなこんなでトラックは今日も秋のケテルで荷物をお届け中である。Eランクでの実績を考えるとすでに昇格できるだけの仕事量は充分あるのだが、いつやらかしてしまうかもしれないトラックをDランクに昇格させるのはギルドにとっては迷うところなのだろう、トラックは未だにEランクのままだった。もっともトラックはDランクだったときもEランクの荷物の配送ばかり請け負っていたので、昇格などどうでもいいのかもしれない。

 お得意さんをぐるっと回り、トラックは一通りの配送を終えてギルドに戻ってきた。最近は西部街区に知り合いが増えて、依頼によくトラックを指名してくれる。これこそが実績と信頼。地道な努力が実った証だ。いつかトラックがケテルの流通の頂点に君臨する日もあながち夢物語ではない。

 ギルドの扉が静かに横にスライドし、トラックがギルドに入る。扉が自動的に開いたことにぎょっとして、近くにいた冒険者が一歩下がった。扉が反応するのはトラックとセシリアだけなので、二人となじみの薄い冒険者は自動ドアにもなじみが薄いのだ。


「あっ、トラさん。ちょっと」


 中に入るなり、イーリィが受付からトラックに声を掛ける。トラックはプォンと返事を返した。


「イヌカを見なかった? 捜してるんだけど見当たらなくて」


 トラックは再びプォンと返す。イーリィは落胆した様子で「そう」とつぶやき、軽く息を吐いた。


「まったく、どこ行ったのかしら」


 困ったように眉根を寄せ、軽く腕を組んで思案げに宙を見つめるイーリィの仕草はどこか少し色っぽい。周囲の若い男の冒険者たちがちらちらと視線を送っているが、イーリィはまるで気が付いていないようだ。あー、この人、アレだ。無自覚に色気を振りまくタイプだ。男どもが勝手に意識して振り回されるような。下手すると同性に蛇蝎の如く嫌われるヤツ。そう言えば、イーリィがセシリア以外の近い年齢の女の人と話しているのってあんまり見たことがない気がする。

 トラックが再度プァンとクラクションを鳴らす。イーリィは視線をトラックに向けた。


「トイレットペーパーが切れそうなのよ。イヌカに買ってこさせようと思って」


 ……イヌカってそんな雑用させられてんの? まがりなりにもDランク冒険者だったような気がするけど。っていうか、この世界にトイレットペーパーなんてあんの? ギルドの依頼書って確か羊皮紙だったよね?

 トラックがまたもクラクションを返すと、イーリィは慌てたように首を横に振った。


「トラさんにそんな雑用させるわけにいかないでしょう。イヌカにやらせておけばいいのよ、そういうのは」


 トラックがちょっと残念そうにプォンとクラクションを鳴らす。トイレットペーパーでも何でも、荷物運びをするのはトラックにとっての喜びなのだ。ここはひとつ、トラックにやらせてあげちゃもらえませんか、イーリィさん。

 イーリィはまたしばらく考えていたが、はたと良いことを思いついたように手を叩き、トラックに言った。


「じゃあ、イヌカを捜して連れてきてくれない? そうしたらイヌカに買いに行かせるから」


 なぜそこまでイヌカにトイレットペーパーを買いに行かせたがる。気付いていないのだろうか。自分の言っていることがだいぶ遠回りであることに。この人も天然なのか。トラックが直接トイレットペーパーを買いに行った方が、イヌカを捜しだして連れてくるよりもはるかに簡単なのに。

 「おねがい」と言って手を合わせるイーリィに、トラックは釈然としない様子で了承のクラクションを返した。


 ギルドを出て、トラックは周囲の人に聞き込みをしながらイヌカの行方を追う。行き先はあっさりと判明した。なにせピンクのモヒカンにトゲトゲの付いた革ジャンという、ケテルの一般的な感覚からかけ離れたセンスの持ち主のため、何をどうやったって人目に付くのだ。どうやらイヌカは西部街区に向かったようだった。途中で小さな花束を買って。これは、アレかな。恋人に会いに行く的なアレかな。だとしたらちょっと、邪魔しちゃ悪いよー。トイレットペーパー買ってこいなんて用事で邪魔しちゃ悪いよー。

 トラックは西部街区を奥へ奥へと進んでいく。なんだかどんどん人気のない感じになっていくな。さらに先に進むと完全に人の気配はなくなり、目の前にちょっとした森が姿を現した。きちんと人の手が入った森だ。適度に日の光が入るように間伐され、林道も整備されている。森の中はとても静かで、さながら聖域と俗世が重なる境界の地だ。トラックのエンジン音だけが森に響く。

 不意の視界が開け、トラックは思わず、といった感じでブレーキを踏んで停車した。トラックの目の前には、広大な敷地の中に無数の石柱が並んでいる。石柱には数字と名前が刻まれ、この石柱が墓石であることを示している。ここはケテルの、墓地なのだ。

 静謐を乱すことを怖れるように、トラックはゆっくりとアクセルを踏んだ。それでも静かな墓地にエンジン音は騒々しく広がる。そろそろと前に進むトラックは、やがて再びその歩みを止めた。トラックの視線の先には、他より一回り小さな墓石の前で膝をつき、目を閉じて祈りを捧げるイヌカの姿がある。お墓の前には小さな花束が供えられていた。


「……声掛けろよ。黙って見られてると気持ち悪いだろうが」


 祈りを終えたのか、イヌカが立ち上がり、トラックを振り返った。膝の土を払い、身体をほぐすように腕を広げ、背中を伸ばす。


「こんなところに何の用だよ? ケテルに来て一年にもならねぇお前にゃ、ここに眠ってる知り合いもいねぇだろう」


 トラックは遠慮がちにクラクションを鳴らす。イヌカは呆れたように小さく笑った。


「あの女、オレを小間使いか何かだと思ってやがる」


 トラックは再度気遣うようにクラクションを鳴らした。イヌカは首を横に振る。


「気ぃ遣うなよ。そんなに親しくねぇだろうが。もう終わったし、帰りに買って帰るさ」


 仕方ねぇな、と肩をすくめ、イヌカは歩き出す。トラックの隣まで歩いたところで、ふと何か思いついたように足を止めると、コンコンと助手席のドアを叩いた。


「そうだ。どうせなら乗せて帰ってくれよ。ついでなんだからいいだろ?」


 トラックは助手席のドアを開く。「お、言ってみるもんだ」と言いながら、イヌカは助手席に乗り込んだ。バタンと音を立ててドアが閉まる。もの珍しそうにきょろきょろとトラックの中を見回すイヌカに、トラックはためらいがちにクラクションを鳴らす。


「……お前がそれを知って、どうすんだよ」


 イヌカが助手席のシートに背を預け、腕を組む。トラックが謝るようにクラクションを鳴らした。「無遠慮なのかそうでもねぇのか、わからねぇ奴だなお前は」と呆れた顔を作ると、イヌカはどこかここではない場所に思いを馳せるような瞳で遠くを見つめた。


「……オレが殺した、ガキの墓さ」


 イヌカはぽつりとそう言うと、それきり黙って何も言わなかった。


ギルドの受付で、イーリィは悩ましげな表情でつぶやきました。「イヌカが主役のエピソードなんて、どこに需要があるのかしら?」

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― 新着の感想 ―
[一言] イヌカ好きですよ? そりゃちょっとだけ脳内で『犬科』に変換しちゃったりしますけど、ちょっとだけですから。
[一言] ここに来てイーリィが!!?w >いつかトラックがケテルの流通の頂点に君臨する日もあながち夢物語ではない。 そりゃトラックだからね!ww >ギルドの受付で、イーリィは悩ましげな表情でつぶや…
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