救援
謎の声にスキルの発動を阻まれたガートンパパが、激しいめまいを払うように首を振り、声の主を振り返る。声の主はケテルを囲む外壁の歩廊に立っていた。
「トラックは誰かの犠牲を許さない。それを知っているのなら、『最初の犠牲』なんて存在しないってことも分かるだろう?」
その場の誰もが動きを止め、声の主に注目する。声を上げたのは中年の女性。隣にはその夫らしき男とドワーフの少年、エルフの少女、ニヨベラピキャモケケトス、灰色のマントに身を包んだ四人の兄弟。不自然なほどに時の止まった戦場を、少年の声が解説する。
「ドラムカンガー、【超力合神】!」
『パッシブスキル(特殊)【合体モラトリアム】
ロボが合体するときはあんた、終わるまでちゃんと見てないとダメだよ』
光の柱が立ち上り、その中に巨大な影が浮かぶ。【合体モラトリアム】の効果で、皆は合体が終わるまで目を話すことができないのだ。はるか彼方から飛来した二本のドラム缶が光の柱に飛び込み、その背に収まる。背中のジェットが炎を上げ、ゆっくりと、ドラムカンガーFが地上に降り立った。
『アクティブスキル(ユニーク)【超力合神ドラムカンガーF】
鋼の翼を背負い、自由に大空を翔けよ! ドラムカンガー!!』
ずぅん、と大地を踏みしめ、ドラムカンガーFの目が紅く光を放つ。この世のすべての悲しみを終わらせる『F』の名を背負い、ドラムカンガーFはうなりを上げる。【合体モラトリアム】の効果はすでにないが、敵も味方も、突然現れた巨大ロボを呆然と見つめた。
「西側の劣勢は先生も最初から分かっていたのさ。だから、あたしたちを呼んだんだ。遅くなっちまったのはすまないが、まだ間に合うはずだろう?」
歩廊の上から降り注ぐ自信に満ちた女性の声が、ケテル兵の絶望を吹き飛ばし、カイツール兵の心を折る。戦場の空気が、一変する。
「皆、よく耐えた! よく誰も死なせずに戦った! もう大丈夫さ! あたしたちは何も、諦める必要はない!!」
ドラムカンガーFが足を肩幅に開き、右手をカイツール兵に向かって突き出す。左手を右手首に添えて狙いを定める。握った右拳が赤熱し、凄まじい熱量が空気を歪ませる。
「ケテルの西の防衛は、このエバラ一家が請け負った!!」
エバラの宣言を裏付けるように、ドラムカンガーFの熱拳が火を噴き、大気を引き裂いてカイツール兵に襲い掛かる。燃える拳に腰かけ、腕を組む【手加減】がにやりと笑った。
戦場がざわめく。その男の立つ姿に憧れが集まる。人を惹きつけずにはいられないカリスマ性が場を支配している。戦いの音が、止んだ。
「恨みもねーのに殺し合って、『何人殺しました』って自慢すんの? それで『きゃあカッコいいステキ抱いて』ってなんの? なんねーよバカ。なんねーと意味ねーよバカ」
どこか照れ隠しのようにそう言って、東洋太平洋チャンプは表情を改めた。
「誰かが苦しかったり悲しかったりしたら意味ねーよバカ」
ケテルの外壁の上から、まるで迷いなくノブロは飛び降りた。ヘルワーズがそれに続き、アフロやその仲間たちが次々に飛び降りていく。風がふわりと彼らを包み、ノブロ一味は空堀を越えて戦場に降り立った。歩廊の上にいたエルフの弓兵がほっとした顔でノブロ達を見て、呆れたように肩をすくめた。
「勝負ってのは勝たなきゃ意味がねぇってのは分かる。飯を食うのも我慢して減量してよ、走って走って、何で俺はボクシングやってんのかってよ、そう思うこともあるよ。そんな思いまでして試合してよ、負けたらたまったもんじゃねぇよ。今までの苦労とか全部パァだもんよ」
ノブロはそう言いながら、ケテル兵とカイツール兵が剣を交える、まさにその境界線を割るように歩く。気圧されたのかカイツール兵が後ろに下がり、敵と味方の距離が空く。
「けどよ、だったら勝ちゃいいのかってーと、違うんだよ。勝つためだったら何したっていいわけじゃねぇのよ。ルールってのがあんのよ。そいつを踏み越えちまったらよ」
戦場の真ん中まで進み出て、ノブロはカイツール兵たちをまっすぐに見つめた。
「もう、ボクシングじゃねぇのよ」
ノブロの言葉に戸惑いが広がる。皆の思いを代表するかのように、ノブロの前にいるカイツール兵の一人が声を上げた。
「で、でも、俺たちがやってるのは戦争だ。ボクシングじゃ、ない」
震える声の兵士に顔を向け、ノブロは申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「俺ぁアタマが悪ぃからよ。むつかしいことはわかんねぇ。俺に分かるのは二つだけだよ。一つは、ボクシングは相手を殺したりしねぇってこと。もう一つは――」
ノブロは右の拳を握ると、兵士に向かって突き出し、とん、とその胸を打った。
「――ひとの手は、誰かを殺すためにあるんじゃねぇよ」
兵士は言葉に詰まり、手に持つ槍を強く握る。好きでこの場所にいるのではない。ここにいる兵士の大半は強制的に徴集された民兵だ。
「だからよ、俺が言いてぇのはよ」
うつむく兵士にノブロは人懐こい笑みを浮かべた。
「ボクシングしようぜ。勝ち負けはっきりさせるのに殺し合う必要はねぇよ」
いつの間にか隣にいた『妖鬼王』が「ならば私がセコンドを務めよう」と言ってパチンと指を鳴らす。それを合図に、ゴゴゴゴと音を立てて地面が揺れ、ボクシングのリングがせりあがってくる。スキルウィンドウが戦場のルールの変更を告げる。
『アクティブスキル(スペシフィック)【A級トーナメント開催】
ボクシングのリングを出現させ、その場にいる全ての人間にボクシングルールを強制する』
兵士たちの持つ武器が光を放ち、八オンスのボクシンググローブに変わる。拳を高く掲げ、ノブロは楽しそうに叫んだ。
「全員相手してやんぜ! ケテルの東を抜きたきゃ、この俺を倒してからにしとけ!!」
冷淡な罵声の主の姿を認め、カリオペイアは目を見開いた。そこにいたのはまだあどけなさの残る少年。身長より大きなハルバードを担いだ、傭兵団『屠龍』の隊長――
「……マカロン君」
一瞬怯んだようにマカロン君は驚きの表情を浮かべる。おそらく自分を覚えていると思っていなかったのだろう。しかしすぐに気を取り直し、マカロン君は再び冷たい視線をカリオペイアに向けた。
「ここは戦場だよ? コンサートホールじゃない。ここにいる連中は『ミューゼス』の歌を聞きに来た客じゃない。誰も歌なんかに興味はない」
ステージを守るケテル兵を軽々と飛び越え、マカロン君の率いる『巨礫』部隊の隊員がカリオペイアたちを囲む。カリオペイアはマカロン君の言葉に唇を噛んだ。マカロン君はハルバードでトントンと自分の肩を叩く。
「そんな相手に、もう飽きるくらい街中にあふれた『ミューゼス』のデビュー曲をいまさら聞かせてどうするのさ。『ミューゼス』ファンなら盛り上がるかもしれないけど、あんたがやりたいのはファンサービスじゃないんだろ? 『ミューゼス』に興味がない相手に聞かせたいんだろ? あんたの歌をさ」
マカロン君はハルバードの先をカリオペイアに突きつける。その覚悟を問うように。嘲る表情が消え、真剣な声音がカリオペイアを刺す。
「本気でやんなよ。歌は救うんだろ? 苦しみを、痛みを。歌で救うんだろ? 悲しさを、辛さを。歌だけが世界を輝かせるって、信じてるんだろ?」
ハッとカリオペイアが息を飲む。マカロン君が言ったのは、『ミューゼス』の『鼓動』という曲の歌詞だ。
「興味がないっていう奴らの、首根っこを引っ掴んで振り向かせて見せろよ。歌に何ができるって笑う奴らを歌で黙らせて見せろよ。そのために必要なのはさ」
ハルバードを引き、マカロン君は石突でトン、と地面を打つ。
「――新曲だろ?」
カリオペイアの顔に戸惑いが浮かぶ。『ミューゼス』にしばらく新曲の予定はない。そんなことは承知の上だと言いたげにマカロン君は言葉を続ける。
「今、この場で届けたいなら、今、この場で届けたい歌じゃなきゃダメだろ? だから、作るんだよ。今、ここで。新しい歌を。届けたい歌を」
挑発するように、願うように、マカロン君はカリオペイアの瞳を見つめる。
「できないなんて、言わないだろ?」
カリオペイアは大きく息を吸い、深く息を吐くと、マカロン君に向かってうなずいた。安心したように笑い、マカロン君は『屠龍』の隊士を振り返る。
「今、このときより僕は『屠龍』を離脱する。僕らはもう『巨礫』部隊じゃない! 僕らは――」
ハルバードを高く掲げ、マカロン君は高らかに宣言する。
「――僕らは、『ミューゼス親衛隊』だ!」
おうっ! と唱和し、元『巨礫』部隊の隊士が一斉に外套を脱ぐ。彼らが外套の下に着ていたものが露わになる。紺に染め抜かれたそれは、『ミューゼス』のコンサートの物販ブースで売られていた、メンバーの名前入りのはっぴだった。
「行くぞみんな! 『ミューゼス』は僕らが守る!」
マカロン君がハルバードを振り下ろす。『ミューゼス親衛隊』はカイツール兵を押し戻すべく突撃を開始した。
「あんたたちは――!」
イヌカが驚きの声を上げる。ルルが戸惑いの視線をイヌカに向けた。声を掛けてきたのはこの場にいるはずのない四人。冒険者ギルドの『追跡者』だった短槍使いの女戦士と、ギルドから追放されたはずの大剣使いの戦士、そしてその妻と子供だった。短槍使いと大剣使いならともかく、その妻子までがいるのは明らかにおかしい。説明を求めるイヌカの視線に大剣使いが大きくうなずいた。
「驚くのも無理はない。本来俺はここにいてはいけない存在だ」
いや、まあ追放されたはずの身だからそれはそうなんだけど、そこは問題じゃないというか、何で妻子を連れてきてんのって話をしてほしい。
「だが、俺もケテルの冒険者ギルドのAランカーだった男だ。ケテルの危機に何もせずにいることはできん」
そうか。でもみんなが気になってるのはそこじゃないんだ。イヌカが妻と娘を交互に見る。視線に気付いたのか、妻が口を開いた。
「夫がギルドを裏切ることになったのは私たちのせいです。私たちがもっと強ければ、夫は敵の言いなりになどなる必要はなかった」
それは、そうかもしれないけど。でもそれは今あなたたちがここにいる理由にならないっていうか……
「だから、強くなったの。ずっと三人でいられるように」
大剣使いの娘がイヌカを見上げて言った。大剣使いが言葉を継ぐ。
「妻と娘に乞われてな。せめて自分の身を守れるようにと、戦い方を教えた。その結果――」
妻は自信に満ちた様子でうなずく。
「一人で古竜を討伐できるようになりました」
強くなりすぎだろ! この短期間で! どういう教え方したんだよ! むしろ大剣使いの指導者としての実力が凄すぎるよ!
「もはや並みのAランカーなど敵ではない」
娘がふふん、と生意気そうに言った。短槍使いがフォローするように口を開く。
「二人の実力は本物だよ。あたしもまだ半年以上、地獄の六王とのサブスクが残ってる。今、あんたたちが欲しい力を、あたしたちは持ってる。そうだろう?」
短槍使いが言うのなら、大剣使いの妻子が強いのは本当なのだろう。そして短槍使いのサブスクの威力はトラックが身をもって体験したものだ。彼女らの力があれば、エーイーリー伯の作った野戦陣地ごと吹き飛ばすことができるかもしれない。敵の心に癒えぬ恐怖を与えることができるかもしれない。
「……わかった。頼む」
イヌカの返事に四人はホッとした表情を浮かべた。きっと彼らはずっと、こんな機会を探していたのだろう。償う時を。ケテルのために戦える時を。
「任せてくれ。一撃で、この野戦陣地を吹き飛ばしてみせよう」
よく見ると、大剣使いの妻も娘も、その背に大剣を負っている。短槍使いを含めた四人は互いにうなずき合い、エーイーリー伯の陣幕を見つめた。
「行くぞ」
イヌカの声を合図に、四人と猫人たちが一斉に動き始めた。
まさに総力戦。忘れられてるようなキャラまで動員されるよ。




