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迎賓館

 北部街区の中心からは少し離れた場所に迎賓館はある。広大な敷地は幾つかの区画に分かれ、それぞれ趣の異なる庭園が客人を出迎えてくれる。鮮やかな花で埋め尽くされたもの、木々の生命力を感じるもの、静謐の中で小川の水音だけが響くもの――庭師たちは互いに技術を競い、ケテルの威信を日々向上させている。

 太陽は我が物顔で空に浮かび、ケテルはすでに目覚めを迎えている。時刻は午前九時を過ぎたあたりだろうか。外から見る限りでは迎賓館はすました顔をして佇んでいるが、内部ではスタッフが慌ただしく行き交っていることだろう。なにせ午後には評議会主催のパーティが、それも議長の娘とクリフォトの有力貴族の息子の婚約を正式に発表するという、政治的に極めて重要な意味を持つパーティがある。不備があればケテルの名誉も、相手方であるアディシェス伯の名誉も傷付けることになるだけに、準備は万全にしておかねばならないのだ。

 閉ざされた鉄の門の向こうに迎賓館の姿を見ながら、トラックは門衛とにらみ合っていた。




「お通しすることはできません」


 門衛は無表情にトラックに告げる。大柄で、服の上からでも分かる分厚い筋肉が威圧的な雰囲気を強調していた。面倒そうな瞳が話を聞く気が無いことを雄弁に語る。


――プァン!


 トラックがやや焦ったようなクラクションを鳴らす。リェフはすでに到着しているはずだ。どうやって中に入るかは分からないが、彼の目的がユリウス・トランジ――副議長グラハムの殺害だとしたら、もういつ事が起こってもおかしくはない。しかし門衛の表情はピクリとも動かなかった。


「お通しすることはできません」


 杓子定規な返答を受けて、トラックは歯噛みするようにハザードを焚いた。スキル【フライ・ハイ】を使えば門など簡単に飛び越えられるのだが、それをやってしまうとトラックが侵入者として追われることになる。ただでさえ準備で忙しいであろうときに更なる混乱を持ち込めば、リェフが犯行を実行する隙をわざわざ作ってあげるようなものだ。どうにかして合法的に中に入れてもらわないといけないのだが……


――プァン?

「お通しすることはできません」


――プァ~ン

「お通しすることはできません」


――プァプァン!!

「お通しすることはできません」


 下手に出ても、冗談めかしても、威圧的でも、門衛の反応はまったく変わらない。プロと言えばプロの仕事っぷりなのだが、今ここでそのプロフェッショナルぶりはいらんのですよ! 確かに来賓の集まるパーティの会場に関係者ではないトラックを入れることができないのは分かるんだけど、このままじゃパーティそのものがぶち壊しになりかねないんだよ! パーティの最中に副議長が殺されでもしたら、婚約の話自体がなかったことになっちゃうかもしれないでしょうが!

 ……そ、そういえば、リェフが最後にトラックと話した時、この婚約は破談になるって言ってたな。つまり、あのときすでにこの事態を想定していたってこと!? このパーティで殺る気まんまんってこと!? ええぃ、嫌な予感しかせんわ! こんなところで足止め喰ってる場合じゃないのに!!


――プァン

「お通しすることはできません」


 冷静な理詰めのクラクションもこの門衛には通じない。しっかし、見事にブレねぇな。録音を再生しているみたいに同じ口調、同じ声の大きさを貫いている。説得は無理っぽいよなぁ。ここはいったん退いて、裏手からこっそり侵入した方が――でも、それだとパーティ会場までこっそり隠れて忍び込まないといけないんだよなぁ。トラックが。隠密行動とか、一番向かない任務だよね。トラック。


――プァン・プァン・プァン・プァン!

「お通しすることはできません」


 お・ね・が・い! みたいな感じでやってみたけどやっぱりダメだったらしい。くぅっとうなる代わりにトラックはハザードを焚いた。門衛は相変わらず面倒そうな瞳で……そういえば、こいつずっと視線の方向が変わらないな。それになんだかまばたきもしていないような……あ、そういえば返事をする時もあんまり口が動いていないような……


――プァン

「お通しすることはできません」


 ああっ!? こいつ、まぶたに目を描いてやがる! 一見してわかんないくらい精巧に描いてやがるっ!! もしかして寝てんの!? いやでも、返事はしてるし……?


『パッシブスキル(ノーマル) 【リピートアフターミー】

 他者から話しかけられると、あらかじめ決めておいたフレーズで

 自動的に返答する』


 スキルなんじゃねぇかぁーーーっ!! しかもすさまじくしょうもねぇスキルなんじゃねぇかぁーーっ!! これいったい何のためのスキルなんだよ! この世界じゃスキルは当人の願いの結実した力なんだよね!? つまりこれは、『仕事中に居眠りしたいけどバレて怒られたくはない』っていうこの男の強い願いが結実した結果なの!? スキルを閃いちゃうくらい強く願っちゃったの!? ちょっとは真面目に仕事せいやぁーーーっ!! そして、そして、この急いでるときになにしてくれとんじゃぁーーーっ!!!


――プァン!!


 トラックも気付いたのだろう、かなり大きめにクラクションを鳴らす。しかし返答は変わらなかった。こいつ全然起きやしねぇ。ちょっとどうするよ。殴って起こすってわけにも……いや、これはもう殴って起こしていいレベルのような気も


「トラックさん!」


 不意に掛けられた声にトラックは振り向く、っていうかバックして切り返して向きを変える。そこにはこちらに向かって走ってくるセシリア、剣士、イャートの姿があった。そして、何と言うことでしょう。俺は今、走ってトラックに近付くセシリアたちの姿を見ながら、同時に門の前でセシリアたちを待つトラックの姿も見ている。同じ場所の景色を逆方向から同時に見ているのだ。気持ち悪っ! ますます酔いそう! でもようやく分割した視点が再び統合される時が来た! ご苦労様、俺一号! お疲れ、俺二号! これから俺は普通の俺に戻ります! ものすごく疲れたからもう二度とやらないぞ視点分割!


「さすがだね。自力でここに辿り着くなんて」


 イャートが感心したように言った。セシリアは胸に手を当て息を整えている。トラックはプァンと硬いクラクションを返した。剣士の顔が曇る。


「やはり、リェフはここに来てるか」


 リェフがここに来ていることが意味するものをセシリアたちが理解している、ということを察し、トラックがプァンと短くクラクションを鳴らした。セシリアたち三人が不審げに門衛を見る。数秒凝視した後、イャートは無造作に門衛に近付き、拳で思いっきり門衛の顔を殴った。うわっ! 痛そう! いきなりひどいっ!


「!? なっ?」


 さすがに目が覚めたのか、門衛が寝ぼけた顔で周囲を見渡し、同時に頬の痛みに顔を引きつらせた。イャートは門衛の襟首をつかんで引き寄せ、激怒と言って差し支えない表情でその瞳を覗き込む。


「衛士隊長イャートだ。今すぐ門を開けろ。昼間から好きなだけ居眠りできる身分になりたくなければな」

「は、はいぃっ!!」


 門衛が慌てて門に駆け寄って壁の一部を操作すると、壁の一部がカパッと外れてハンドルのようなものが露出した。門衛がそれをグルグル回すと、カラカラと音を立ててゆっくりと門が開く。おお、カラクリ仕掛け。こういう部分も、賓客にケテルの財力や技術力を見せつけるための演出なんだろうか。


「急ごう」


 そう言ってイャートは返事も待たずに中へと足を踏み入れる。トラック達もその背を追い迎賓館へと入っていった。




 門から中に入ると、まっすぐな道の左右に美しい花々が咲き誇り、訪問者に歓迎の意を伝えている。しかし注意深く辺りを見渡すと、そこここに武装した兵士の姿が見えた。おそらく訪問者からは死角になる場所に警備の兵を潜ませるのだろう。今は警備の打ち合わせ中なのか、ことさら身を隠すようなことはないが、本番になれば影のように気配を消すのだ。婚約発表のめでたい席にものものしい警備はそぐわない。

 イャートは美しい花や警備兵に目もくれず、まっすぐに迎賓館の入り口に早足で向かう。入り口の左右にも警備兵はおり、イャートたちの姿に気付いて一瞬身構えた後、背筋を伸ばして敬礼した。


「ご苦労様です!」


 イャートは軽く手を上げてそれに応える。敬礼したってことは衛士隊から派遣された人なのかな? 黒装束の襲撃があったばかりなのに今度はパーティの警備だなんて、衛士隊も大変だなぁ。給料もそんなに高くなさそうなのに。


「副議長はどちらに?」


 イャートは足を止めて警備兵に問う。問われた警備兵は敬礼したまま直立不動で答えた。


「ホールで会場準備を差配しておられます!」


 ありがとう、と返し、イャートは警備兵の脇を通り過ぎる。トラック達はイャートに続き、特にとがめられることもなく迎賓館に入った。




 迎賓館は評議会館とは趣が異なり、落ち着いた雰囲気の調度で統一され、内装もあまり主張が強くない。評議会館がケテルの力を訪問者に見せつけるためのものであるのに対して、迎賓館は訪問者をリラックスさせてもてなすことを第一に考えられているからだろう。軽く沈み込むほどふかふかの絨毯が敷き詰められた廊下は、庶民には踏むことを躊躇わせるほど触りがいい。タイヤの跡を付けたくないと思ったのか、トラックは【ダウンサイジング】で小さくなって剣士に運ばれていた。

 やがて廊下の突き当りに大きな木製の扉が現れる。黒檀だろうか、丁寧に磨かれ、美しい光沢を放つその扉を開くと、大きなホールに百人近いスタッフが忙しく行き来している様子が飛び込んできた。スタッフは幾つかのグループに分かれ、羊皮紙を片手にパーティの進行の段取りを話し合ったり、席次の確認をしたりしているようだ。ケテルの最高権力者の娘とクリフォト王国の有力貴族の息子の婚約となれば、パーティに呼ばれる客の数も多く、その身分も様々。客の格によって席順や使う食器のグレード、テーブルクロスの材料まで、細かいルールが山ほどあるらしい。アディシェス伯爵家の関係者を男爵用のテーブルに案内したら、それだけで婚約破棄って可能性もあるのだ。スタッフたちは一様に、その顔に強い緊張を示している。


「……いた」


 セシリアが小さくつぶやく。その視線の先には、司会席の横に立って会場全体に指示を飛ばしている副議長グラハム・ゼラーがいた。イャートたちの視線がグラハムに集まる。……なんか、普通に一生懸命仕事してそうだけど。本当に彼がユリウス・トランジなのだろうか?

 イャートはためらいなくグラハムに正面から近付いていく。トラックは剣士の手から降り、【ダウンサイジング】で大きさを調整してイャートについて行き、セシリアたちもそれに続いた。異質な気配を感じ取ったか、グラハムは指示出しを中断していぶかるような視線をイャートに向けた。


「どうしてお前がここに? 警備責任者はお前ではないだろう?」

「急ぎ閣下にお伝えすべきことがあり参りました。ご無礼は平にご容赦ください」


 丁寧な言葉遣いとは裏腹なイャートの厳しい瞳に、グラハムは眉間のシワを深くした。イャートが連れているのが衛士隊士でなく冒険者だったことも、グラハムを戸惑わせているようだ。指示出しを中断された中年のスタッフがこの場を離れるべきか迷うようにグラハムとイャートを交互に見る。イャートはやや声のトーンを落とした。


「単刀直入に申し上げます。今すぐここから離れ、安全な場所に避難してください」

「バカなことを。このパーティの重要性を理解していないわけではあるまい。議長が花嫁の父である以上、式の差配は私がせねば成り立たぬ」


 くだらぬことを言うな、とグラハムの表情が告げている。イャートは口調を変えずに言葉を続けた。


「閣下はお命を狙われています」


 グラハムの顔が分かり易く動揺し、きょろきょろと周囲を見渡しながら、震えを隠し切れない声でイャートに聞き返す。


「だ、誰だ!? 誰が、何の理由で!?」

「狙っているのはリェフという男です」

「リェフ? 通り魔事件の犯人か? なぜ私が通り魔に狙われねばならん!」


 動揺を怒りで誤魔化しているのか、グラハムは八つ当たりのように声を荒らげる。イャートの瞳が鋭さを増した。


「正確に言えば、リェフが狙っているのは、ユリウス・トランジ、という男です、閣下」


 敢えてゆっくり、はっきりと、イャートは言った。グラハムの顔がみるみる青ざめ、瞳孔が収縮し、呼吸は浅く早くなった。グラハムは小さくかすれた声を搾り出す。


「なにを、言っている? 私は――」

「別室にてお話を伺いましょうか。すべてを失ったとしても、命を失うよりはマシでしょう?」


 グラハムのかすれ声を遮ったイャートの言葉は、お前の正体は知っている、という宣告だった。しかしグラハムはイャートから視線を逸らし、「いや、それは、しかし……」と不明瞭に口をもごもごさせている。この場を離れることができずに所在なく立っていたスタッフの中年男が大きなため息を吐いた。イャートは強くグラハムをにらみ、


「副議長!」


と一喝する。びくりと身体を震わせ、グラハムはイャートに視線を戻して――


――プァン!

「危ない!」


 トラックのクラクションとセシリアの警告が重なる。グラハムの近くにいた中年スタッフの手に、いつの間にか光るものが握られていた。グラハムとイャートが中年男を振り返る。中年男の握る短剣の刃が鈍く光を反射し、グラハムの喉に迫った。

そして中年男の刃は、副議長の服の糸のほつれをきれいに切り落としたのでした。

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[一言] >そして中年男の刃は、副議長の服の糸のほつれをきれいに切り落としたのでした。 優しい( ˘ω˘ )
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