偽計
はい、こちら、俺三号は冒険者ギルドにいます。トラックとセシリアさんはギルドを出て行きまして、こちらに残っているのは剣士のみ、という状況です。剣士はふたりと別れた後、ガトリン一家のボスが匿われているギルドの一室にいます。ちょっと覗いてみましょう。
決して広くはない部屋には簡素なベッドが置かれ、ボスは静かに寝息を立てている。ベッドの脇に椅子を置き、ヘルワーズはずっとボスの手を握っていた。襲撃の話を聞いて駆け付けたヘルワーズは、それからずっとボスの傍を離れようとしないらしい。激しい後悔を宿したヘルワーズの顔は青白く血の気を失っている。
部屋の中には、今までずっとボスに付き添っていた看護師の女性とギルドの護衛が待機しており、部屋の外にも見張りが二人いる。護衛は三人体制ということのようだ。ボスが何者なのかを知っているのはギルド内でも一部のはずなので、彼らは皆Aランカーだろう。襲撃されたときに怪我をした戦士はいないが、怪我でシフトを外されたのだろうか? セシリアが癒したとはいえ結構な怪我だったので、すぐに復帰も難しいのかもしれない。
本来ならば剣士がここを訪ねたところでほいほい入れてくれるはずもないのだが、マスターの口添えで剣士も護衛として認められている。『翡翠の魔女の隣にいる人』のギルド内の評判はそれなりに高いようで、Aランカーたちも剣士の加入に疑問を差し挟むことはなかった。
「……離れるべきではなかった」
ヘルワーズは呻くようにつぶやく。もしボスが死んでしまっていたら、そう思うと、襲撃の際に傍にいなかった自分を許せないのだろう。
「少し休め。ひどいツラだぞ」
見かねた様子の剣士がそう声を掛けるが、ヘルワーズは首を横に振る。剣士は小さくため息を吐いた。
いつ来るかもしれない襲撃者に備える、ということはジリジリと精神を削られるもののようで、ベテランの冒険者たちもかなりピリピリしている。以前の襲撃では法玉によって窓を破壊して侵入するという相当強引な手を使ってきた相手なので、今回もどんな手を使ってくるのか予想がつかない。ギルドは建物周辺の見回りも行っているが、それで察知できるか、察知したとして対処できるのか、誰にも分からないのだ。
息苦しさを覚えたのか、剣士が大きく息を吐いた。護衛の男が非難めいた視線を剣士に向ける。景気の悪い顔をするな、ということだろうか。無言で謝り、剣士はヘルワーズに視線を向ける。ヘルワーズはひたすら、祈るようにボスの手を握っている。
「……昼は食べたのか? いつからそうしてる?」
剣士は再度、ヘルワーズに話しかける。ヘルワーズは答えない。代わりに護衛の男が口を開いた。
「食ってねぇよ。昨日の夜にここに来てから、寝てもいねぇし何も食ってねぇ」
剣士は顔をしかめ、説教じみた口調で言った。
「そんな真っ青なツラで、次に襲撃されたときに動けるのか? ボスどころか自分の身を守れるかどうかも怪しいぞ」
ヘルワーズは聞こえていないとでもいうように反応を返さない。あるいは本当に聞こえていないのかもしれない。ヘルワーズの頭の中は自責に占有され、自分を気遣うことそのものを拒否しているようだった。護衛の男が軽く肩をすくめる。護衛の男に「食うもの持ってくる」と断り、剣士は部屋を出た。
剣士がロビーに戻ると、ちょうどコメルがギルドに入ってくるのが見えた。ルゼの姿はなく、どうやら今日は一人のようだ。コメルはまっすぐに受付――つまり、イーリィに向かって歩いた。
「お嬢様」
どこか感情を押し殺したようにコメルは声を掛ける。イーリィもまた、無感情にコメルに顔を向けた。
「旦那様からのご伝言です。明日の夜、評議会主催のパーティでお嬢様の輿入れを正式に発表するため、お嬢様も出席するように、とのことです」
隣にいたジュイチが「ぶもっ!?」と驚愕の声を上げる。イーリィは虚ろに言った。
「急に言われても、来ていく服がないわ」
芋ジャーで行ってやろうか、と言いたげな仄暗い笑みでイーリィはコメルを見る。コメルの表情は動かない。
「準備はすべて整ってございます」
用意のいいこと、とつぶやき、イーリィは興味のなさそうにコメルから視線を外した。コメルは「よろしくお願い致します」と頭を下げる。視線を外したまま、イーリィは淡々と了承を伝える。わずかな葛藤を顔に示し、何も言わないまま、コメルは帰っていった。ジュイチが心配そうに「モー」と鳴く。イーリィはジュイチの額を撫でながら虚空を見つめた。
……こ、こじれとる。こじれまくっとる。どうするよコレ。どうにかなるもんなのコレ。誤解ですよって言って、「そうだったのねパパ。私、誤解してた」「いいんだよイーリィ。パパも悪かった」ってなると思う? ならないよねぇ。精神操作系のスキルでも使わなきゃそうはならん。そして精神操作系のスキルを使ってそうなったとしても、何も解決しない。
本来私的なやり取りを聞いてしまった気まずさか、剣士は複雑な表情でイーリィを見る。ただ、剣士はこのイーリィの結婚話について介入する様子はなかった。本人が諦めていることを周囲がどうこう言ったところで意味はないと思っているのだろう。流されるも抗うも本人の意志。流された先で幸せになることも、抗った先に不幸に沈むこともあるのだ。何を幸せとするのか、それは本人が決めるしかなくて、幸せになるのかならないのかも、本人の選択なのだ。だからきっと、剣士は待っているのだと思う。イーリィの、「嫌だ」という言葉を。その言葉さえ聞けたら剣士は、そしてセシリアやトラックも、イーリィのために力を尽くすことができる。為すべき役割を見出すことができるのだ。
剣士はぼんやりとしているイーリィを少しの間見ていたが、やがて踵を返して酒場へと向かった。ヘルワーズのために食事を調達に来たのだ。前回の襲撃が日のあるうちに行われた以上、敵は目立つことを怖れてはいないと見るべきで、食べられるときに食べないと食べられなくなっちゃうからね。思わぬ形で時間を取ってしまったが、本当は急がないといけないのだ。
酒場で食べ物と水を調達し、剣士はボスのいる部屋に戻って来た。食べやすさを意識したのか、剣士が選んだのはパンに具材を挟んで焼いた、いわゆるホットサンドのようなものだった。部屋の外の二人、そして中にいる看護師の女性と護衛の男に、ホットサンドと水筒を渡す。「お、ありがてぇ」と言って護衛の男は包みを開いた。香ばしく焼けた肉のいい匂いが部屋に広がる。
「ちょうど珍しい食材が入ったらしくてな。思わず注文しちまった。食べてくれ」
剣士はヘルワーズの隣に座り、ホットサンドの入った包みを差し出した。
「ドラゴンロードステーキサンドだ」
ドラゴンロード討伐されとったーーーっ!
俺たちの与り知らぬところで食材になっとったーーーっ!!
いや、ドランゴンロードがこの世界でどういう位置付けの何なのか知らんけども。単にそういう名前の牛の品種なのかもしれんけど。黒毛和牛、アンガス牛、ドランゴンロード、みたいなね。長野県の山奥にしか生息していない希少な牛なんですよ、的な。
『ドラゴンロードステーキサンド(能力強化アイテム)
全ての竜の頂点に立つ竜神公のフィレ肉を使った贅沢なステーキサンド。
食べると全てのステータスを+10する。
効果の持続時間は八時間ほど(あくまで個人の感想であり、効果には個人差があります)』
スッと目の前に半透明のウィンドウが現れ、アイテムの効果を説明する。お、そう言えばアイテムの説明って初めてだな。貴様、何者だ。名を名乗れ。
『我こそはインフォメーションウィンドウ。ヘルプ、スキル、ステータス以外のもろもろの説明を雑な感じで任された者なり――って、やらすなやらすな』
お、ノリがいいな。ただノリツッコミに若干の気恥ずかしさが見える。そういうときはむしろ堂々としていないと返って恥ずかしいぞ。
『ほっといて。今はインフォメーションウィンドウとしてここにおるねんから』
今は?
『そらね、舞台に立てばそれなりにやらせてもらいますけど、ここには相方もおらんし、やっぱコンビやから、笑いの道は二人で行くて決めてるからね……て、なに言わすねん。なに真面目に語っとんねんワシ。兄さんかなわんわぁ』
いや、思いがけず素直な胸の内が聞けてよかったよ。応援してる。頑張って。
『ははは、応援されてしもたら頑張らんとな。いつかこんなバイトせんでも、お笑い一本で生きてけるようになったる。さあ、帰ってネタ合わせや。ありがとうな兄さん。なんか元気出たわ』
ほななー、と言ってインフォメーションウィンドウは溶けるように姿を消した。うむ、夢に向かって努力する姿は尊い。俺もいつかインフォメーションウィンドウの単独ライブを見に行けることを楽しみにしていよう。
そして、そして――
やっぱドラゴンロードはドラゴンだったーーーっ!!
全ての竜の頂点に立つなんかすごそうなドラゴンだったーーーっ!!!
そんなのの肉が食材として流通してるって有り得るの? 剣士が衝動買いできる値段で? っていうか、ドラゴンロードって狩っていいの? どっかで信仰されたりしてない? だいじょうぶ?
剣士にホットサンドを差し出されたヘルワーズは、しかし首を横に振った。食欲がないというか、食べる気にならないのだろう。剣士が思案げに眉を寄せた。護衛の男と看護師の女性は遠慮なくホットサンドにかぶりつき、感嘆の声を上げる。ああ、美味いのか、ドラゴンロードのフィレ肉。二人はあっという間にホットサンドを平らげ、身体の奥から何かがみなぎるような――いうなれば、全てのステータスが+10されたような表情になった。
「俺は、トラックほどには信用できないか?」
ヘルワーズはまたも首を振る。
「……他の誰も、あの男のようにはなれまい」
「そうだな。あんなデタラメなヤツは他に見たことがない」
剣士の声に苦笑いが混じる。
「敵も味方もない。殺すな、守れ、助けろ。夢みたいなことばかり、平気な顔して語りやがる。それだけならただの詐欺師か夢想家だが、あいつはそいつを本気でやっちまうんだからな」
ヘルワーズが少し笑った。彼自身もトラックに助けられた一人だから、剣士の言葉を実感しているのだろう。剣士が苦笑いを収め、真剣な表情で言った。
「俺は、トラックの仲間だ」
ヘルワーズが顔を上げて剣士を見る。剣士はまっすぐにヘルワーズの視線を受け止めた。
「信じてほしい。お前がボスの傍にいないとき、ボスは必ず俺が守る」
ヘルワーズはじっと剣士を見つめた。剣士は、揺らがない。しばらくの時が過ぎ、ヘルワーズは剣士からホットサンドと水筒を受け取った。包みを開け、ホットサンドをひと口かじり、水筒に口を付ける。水筒の水には柑橘系の果汁が混ぜてあるらしく、かすかに爽やかな香りがした。
「……美味いな」
ヘルワーズが思わずといった風情でつぶやいた。「だろ?」と剣士が答える。呆れるように吹き出し、ヘルワーズは残りのホットサンドを平らげ、水筒の水を飲み干した。看護師の女性がホッとした表情を浮かべ、護衛の男がこっそりと笑った。
食事の後、ヘルワーズは椅子に座ったまま眠った。身体的にも精神的にも疲れていたのだろう。襲撃の気配は未だなく、剣士たちはじっと待機を余儀なくされている。やがて日暮れを迎え、部屋の中ではあまり関係ないのだが、いわゆる薄暮と呼ばれる時間帯になった。太陽の残滓と夜闇の漏出が混ざり合う時間。コンコン、と扉が叩かれ、一人の男が部屋を訪ねてきた。のっぺりとした顔の、中肉中背の男。印象に残る特徴を意図的に排除したような、姿を見失った瞬間に顔が思い出せなくなるような男だった。
「ガトリン一家のボスの身柄を別の場所に移します」
ギルドの調査部所属を名乗ったその男は、そう言うと数人の部下を部屋に入れた。慌ただしい気配にヘルワーズが目を覚ます。護衛の男が慌てたように声を上げた。
「待て。そんな話は聞いてねぇぞ」
「調査部の行動は基本的に部外秘です。ご存じでしょう?」
当たり前のことを聞くなと、調査部の男は不快そうに顔をゆがめた。護衛の男は言葉に詰まる。調査部はギルドメンバーに行動を一部しか開示しておらず、所属している部員も大半が正体を明かさない。調査部の全容を知っているのはギルドマスターと一部の幹部のみだ。
「どこに移動するんだ?」
剣士の疑問に調査部の男は冷淡に答える。
「お答えできません。あなた方にはここに残っていただきますので」
「どういうことだ?」
残るって、護衛をボスから引き離すってこと? 意味が分からないと護衛の男が調査部の男に詰め寄った。調査部の男は頭の悪いヤツだと言わんばかりに見下した目を向けた。
「ボスがここにいることは敵に知られています。ということは、襲撃を受けるのはここです。襲撃を受けると分かっている場所にむざむざ対象者を置く意味がどこにありますか? 我々がボスを隠せば、あなた方も心置きなく襲撃者と戦えるというものでしょう」
そう言われてみればそんな気もするけど、この男の言い方のせいだろうか、なんか釈然としない。護衛の男も剣士も、モヤモヤしたものを感じているようだ。不信の視線を感じたのか、調査部の男は言葉を付け足した。
「マスターの許可はもらっています。戦闘力においては我々はあなた方に劣るでしょうが、隠密行動はあなた方よりはるかに慣れている。誰にも知られることなくボスを安全な場所に移動させます。どうか信じていただきたい」
調査部の男は懐から、ギルドマスターのサインの入った指示書を差し出した。部下たちが手際よくボスを担架に移す。ヘルワーズは心配そうな表情でボスを見ると、調査部の男に聞いた。
「俺は連れて行ってもらえるんだろうな?」
「もちろんです。あなたと看護師には同行してもらいます。ボスの適切なケアについては我々の専門外ですので」
ヘルワーズはホッとした表情を浮かべる。看護師の女性がテキパキと荷物をまとめ始めた。担架を持ち上げ、部下たちが部屋を出て行く。ヘルワーズと看護師がそれに続いた。調査部の男は念を押すように剣士たちに言った。
「このことはくれぐれも他言無用に願います。秘密はそれを知る者が増えるほど漏洩するリスクが増える。移送が敵に知られれば、襲撃者をギルドで迎え撃つ作戦が破たんします」
う、う~ん。確かにそうなんだけど、言われていることはわかるんだけど、何か引っかかるものがあるような……いや、具体的にはよくわからないんだけど。釈然としない様子の剣士と護衛の男に背を向け、もはや用はないと言わんばかりに、調査部の男は部屋を出て行った。
ボスたちが移送されて行って三十分ほどが経ち、剣士はどうしても納得ができないようで、「マスターに確認してくる」と言って部屋を出た。うん、俺もいまいち納得してない。護衛として配置されたのは剣士を除いて全員Aランカーだ。それらを全員置いて行くのはなんかおかしくない? もし見破られてこちらではなく移送先が襲撃された場合、調査部はボスを守り切れるのだろうか? さっき自分で言っていたはずだ。「調査部はAランカーに戦闘力では劣る」と。
剣士がロビーに着くと、ちょうどギルドが通常営業時間を終え、イーリィが建物を閉める準備をしていた。剣士は奥の、ギルドマスターの執務室に目を向け、軽く眉を寄せる。執務室に人の気配がない。あれ、マスターはお出かけ?
「イーリィ。マスターは?」
建物内の灯りを消しながら、イーリィは答える。
「二時間ほど前だったか、評議会に呼ばれて出て行ったわ。そろそろ戻ってくるんじゃないかしら」
二時間前、ってことは、調査部の男が部屋に来たときは、すでにマスターはいなかったってことか。マスターは出掛ける前に指示書を調査部に渡していた? ボスの移送って、結構前から決まってたのかな? 剣士がマスターに護衛に加えてくれと言いに行った時にはすでに決まっていたと。そんな雰囲気なかったけどなぁ。他言無用と貫いていたなら素直に感心するけど。
「お、閉める前に間に合ったか」
噂をすれば、マスターがギルドに駆け込んでくる。マスターは軽く安堵の息を吐き、そしてブチブチと文句を言った。
「内部で情報は共有してもらいてぇもんだぜ。こっちも忙しいってのに」
不満を吐き出したそうなマスターに、剣士が「何があったんですか?」と声を掛ける。マスターは「よく聞いてくれた」と言いたげに口を開いた。
「副議長に呼ばれて、トランジ商会に対する冒険者ギルドの調査の状況を説明させられたんだよ。報告は議長にしてるってのに、なんで同じ話をもう一回しないといけねぇんだ。こんな無駄な話はねぇだろ、なあ?」
かなりくどく聞かれたのか、うんざりした顔でマスターは言った。文句は湧き出るように口から放たれ、これは終わらないと踏んだのか、剣士は「ところで」と強引に話題を変えた。
「ガトリン一家のボスの移送先を教えてくれませんか? 調査部だけじゃいざと言う時に守り切れない」
剣士の言葉にマスターは怪訝そうな表情を浮かべる。
「……何の話だ? 移送なんて聞いてねぇぞ?」
剣士の顔から血の気が引く。そうだ、敵は衛士隊にも商人ギルドにも内通者を忍ばせている。冒険者ギルドだけが例外なんてあり得ない――
「俺は、バカか?」
そうつぶやき、剣士は闇に包まれたケテルの町へと飛び出していった。
「ドラゴンロード? あんな大物を仕留められるのは、伝説のマタギと呼ばれるモヘエさんしかいねぇよ」




