炊き出し
送ろう、と言ったであろうトラックのクラクションを丁寧に断り、イャートは歩いて帰っていった。その背はやけに小さく見える。彼は今からリェフを追わねばならないのだ。衛士隊長の責務として。イャートを見送り、トラックはぶおんとエンジンを鳴らした。ミラが助手席に乗り込み、トラックはゆっくりと走り始める。動かなければ始まらない。イャートにイャートの果たすべき役割があるように、トラックにはトラックのやらねばならないことがある。トラックはギルドの裏手に回った。トラックがまずやるべきは――請け負った荷物の配送なのだ。もう引き受けちゃったからね。契約不履行になっちゃうからね。
急いで配送を終えたトラックがギルドに戻ったのは三時を回ったころだった。結構頑張ったんだけど、やっぱそうそう早くは終わらんわ。町中を爆走するわけにもいかんし、荷物が壊れたら困るし。トラック運送は安全、安心。そこは譲れんのである。それに姿を消したリェフが昼間にほいほい出歩いているとは思えんし。
ギルドの建物に入ると、ちょうど仕事を終えて戻って来たであろう剣士とセシリアがロビーで一息ついていた。トラックはプァンとクラクションを鳴らす。剣士は軽く手を上げて応えた。
「今朝は珍しいもんを見たらしいな」
どうやらイャートの今朝の行動はすっかり噂になっているらしい。まあ口止めしたわけでもないし、そりゃ噂にもなるわなぁ。噂が広まればイャートの立場は悪くなるかもしれない。もっとも、イャートはそんなことは承知の上だろう。それでもトラックを頼った、頼らざるを得なかったのだ。トラックがプァンと返事をする。興味を引かれたのか、セシリアと剣士はトラックのほうに身を乗り出した。
「詳しく聞かせてくださいますか?」
セシリアの言葉に応えるようにトラックは、たぶん、今朝の出来事を説明し始めた。
「本心でしょうか? 何か企みあっての事では?」
セシリアは不信感も顕わにそう言った。まあ、今までの経緯を考えればそう思っても不思議ではないかもね。トラックが評議会の力を利用してルーグやヘルワーズを、法を捻じ曲げて助命したことで、イャートはトラックを憎んでいたのだ。同じ罪には同じ罰、という法の支配は衛士隊が奉じる正義の原則。恣意的な裁定を許せば、口がうまい者や権力者に近い者、裁判官に気に入られた者が得をする。トラックと知り合っていたかどうかで同じ罪を犯した者の生死が分かれるなんて、そんな運や偶然の産物に正義が左右されていいはずもないのだ。
でも、ねぇ。今朝のイャートの態度を見ると、とても何かを裏で企んでいるようには見えないんだよねぇ。セシリアは直接見てないからわからないだろうけども、もしアレが全部騙すための演技なんだとしたら、もう脱帽ですよ。俺には見破れませんでした。
「イャートの意図がどうであれ」
剣士が思案げな表情で口を開く。
「リェフが姿を消し、衛士隊がリェフを追ってるのは事実だろ? あの男にはちょいちょい世話になってるからな。助けることに異存はないぜ」
おお、剣士いいヤツ。そうだよね。ルーグのときに忠告してくれたり、エバラのところで灰マントたちを見逃してくれたり、リェフには世話になってるんだ。そういう相手が道を踏み外そうとしているなら、やっぱり止めたいよね。人殺しになんてなっちゃいかん。少なくともリェフは、たぶん、復讐を果たしたって幸せになれるタイプの人間じゃない。
「それを見越して、もろともに処断しようとしている可能性は?」
セシリアの表情は厳しい。イャートは安易に信用していい相手ではないと思っているのだろう。リェフが通り魔事件の『犯人』なら、トラック達がそれを助けたら、トラック達はリェフの『共犯』になる。イャートはトラックをそう仕向けて、リェフともどもトラック達を処断しようとしているのではないか。セシリアはそう疑っているのだ。
――プァン
トラックが静かにクラクションを鳴らす。セシリアはトラックを見つめ、「あなたがそうおっしゃるなら」と言って引き下がった。フォローするようにミラが言葉を足す。
「私もその場にいた。イャートが嘘を言っているようには見えなかった」
セシリアはミラに微笑んでうなずいた。ホッとしたようにミラが表情を緩める。
「イャートの言葉をとりあえず信じるとして、これからどうする? ケテルは人ひとりを捜すにはちょっと広いぜ?」
剣士が腕を組んで渋い顔を作った。確かに、衛士隊が行方を掴めていないような相手をトラック達が見つけられるかというと怪しい気がする。しかしトラックは心当たりがあるのか、少々自信ありげなクラクションを鳴らした。セシリアが感心したようにうなずく。
「なるほど。確かに南東街区なら、衛士隊から身を隠すには好都合でしょう」
セシリアの反応から察するに、トラックは捜索場所を南東街区に絞るつもりのようだ。ノブロたちが懸命に働いているとはいえ、南東街区は未だ他の街区ほど治安が良いわけではないし、住民の全てを把握できているわけでもない。住民票があるわけでもないので、どこに誰がいるのかは分からないし、しょっちゅう入れ替わったりもするのだ。身を隠すという目的なら、案外合理的かもしれない。
「だったらヘルワーズに話を聞こう。十八年前のことも聞けるかもしれん」
その言葉を合図にセシリアと剣士は席を立った。トラックがドアと荷台のウィングを開く。セシリアを運転席に、ミラを助手席に、剣士を荷台に乗せて、トラックは早速南東街区へと走り始めた。
久々に来た南東街区は、何というかずいぶん雰囲気が変わっていた。正確に言うと、雰囲気が変わったところもあった、というべきなのだろうが、少なくともメインストリートから見える範囲内では、別の場所かと見紛うほどに景色が違う。道幅は広くなり、散乱していたゴミやら、道にはみ出して置かれていた住人の家財やらが片付けられている。道が道として機能している、というのは、南東街区にとって驚くべき変化だった。以前は道だろうが何だろうが勝手に塞いで家を建て増したり、空き家を勝手に壊して道にしたり、もうやりたい放題だったのだ。お陰でどこがどこに繋がっているか分からず、ちょっとした迷路の様相を呈していて、それが日陰者には都合が良く、南東街区の治安の悪化を招いていた。
メインストリートはきれいに均されており、見通しもよい。行き交う人々の顔も、以前のような怯えや無気力の影はなかった。これが、ノブロたちがずっと行ってきた、そしてこれからも行っていくことの成果なのだ。ノブロは着実に、彼のチャンピオンロードを歩んでいるんだなぁ。
どこか感慨深げに、ゆっくりと道を進むトラックの前に、ちょっとした広場が姿を現わした。そこには机やら鍋やらが並べられ、数人の男女が忙しそうに動き回っている。どうやら炊き出しの準備をしているらしい。ってことは、ここにいるのはノブロ一味ってことになるのかな? ノブロやアフロの姿は見当たらないが……まあ、炊き出しに必ず彼らがいるわけでもないか。
――プァン
トラックがどこか懐かしそうにクラクションを鳴らした。スタッフのうちの一人、ひたすらサバを捌いていた男が顔を上げ、「あっ」と声を上げる。
「あんた、あの時の……」
包丁を置き、前掛けで手を拭いて、男はトラックに駆け寄る。この人、なんか見覚えがあるな。誰だっけ、えーっと……あ、思い出した! この人、前におばあさんから荷物をひったくってトラックに追いかけられて、追い詰められた挙句にサバみそ定食食った男だ。いや、何言ってるかわかんないと思うけど、それが事実なんだ。トラックが【キッチンカー】でサバみその宴を開いた、そのきっかけを作ったガラ悪男。でも今は当時のやさぐれた面影はない。ヒゲを剃り、髪を短く刈り込み、修行中の板前さんみたいな雰囲気だった。
トラックはプァンとクラクションを返し、セシリアたちはトラックを降りた。元ガラ悪男はどこか落ち着かなさそうにトラックを見る。
「礼を、言ってなかったって、ずっと気にしてた。あのときあんたに出会わなかったら、俺はロクデナシのままだったろう。あのとき食ったサバみその味が、どうしようもないクズだった俺の未来を照らしてくれた。これを作れる男になりたいって、そう思ったから、俺は変わることができたんだ」
元ガラ悪男は緊張気味に大きく息を吸うと、勢いよく頭を下げた。
「ありがとうございました!」
事情は知らなくても、まあきっと何かいいことをしたんだろうな、ということは伝わったのだろう、セシリアが目を細める。ミラはどこか誇らしげで、剣士はやるねぇ、と言うようにトラックの車体を軽く叩いた。照れているのか、トラックはカチカチとハザードを焚く。そして唐突にスキル【キッチンカー】が発動した。えっ、なんで? ウィングが上がり、中からスモークと共に三人の鉄人シェフが姿を現わす。
「あ、あなたたちは――!」
元ガラ悪男は目を丸くして三人を見つめる。実は冥王の恩人、という謎のエピソードを持つ大衆食堂のおかみさんが前に進み出て、値踏みするように元ガラ悪男を見た。
「料理人になったのかい?」
「い、いや、その……独学で……」
ああ、うん、そうだよね。この異世界でサバみその作り方を教えてくれる相手なんていないもんね。あのとき食べたサバみその味の記憶だけを頼りに、元ガラ悪男は懸命に腕を磨いてきたのか。すごいよあんた。きっと心折れそうになるときだってあったろうにさ。
元ガラ悪男はガチガチに緊張してしどろもどろだ。おかみさんは元ガラ悪男の憧れみたいなもんだろうからなぁ。無理もない。おかみさんは挙動不審になっている元ガラ悪男をじっと見つめていたが、やがて感情の読めぬ声で言った。
「作ってみな。味を見てやる」
「は、はいっ!」
元ガラ悪男は背筋を伸ばして返事をすると、駆け足で調理台に戻った。おかみさんはのっしのっしとその後を追う。すごいボス感だな。キッチンカーに残された二人の鉄人シェフは、互いに顔を見合わせると、協力しながらサバみそを作り始めた。どうやら元ガラ悪男に代わって炊き出し用の料理を作るつもりのようだ。日が傾き始めた広場にサバみそのいい香りが広がり、徐々に人が集まり始めた。
「最後に針ショウガを散らすといい。サバの臭みも味噌の重さも上手に消してくれる」
「針ショウガ……なるほど!」
おかみさんに指導を受けながら、元ガラ悪男は熱心にメモを取っている。今まで独りで試行錯誤してきた彼にとって、本物の料理人から教えてもらう機会は得難いものなのだろう。目を輝かせて話を聞く様子は、見ていてちょっと感動するよ。自分の道をちゃんと見つけたんだな。
炊き出しは盛況のうちに終わり、人々は幸せそうに帰路に就く。さすがキッチンカー三人衆。なぜかサバみそしか作らないけど、作るサバみそは世界最高品質だ。老若男女を問わず人々を笑顔にするその力量には感服である。このサバみそを食べた記憶が、きっとまた誰かを救うに違いない。
「ありがとうございました!」
元ガラ悪男……いや、サバみそ職人の男は、おかみさんに深く頭を下げる。おかみさんは敢えて厳しい表情で言った。
「サバみその可能性は無限。精進を怠るんじゃないよ。そうすりゃあんたは、いい料理人になれる」
サバみそ職人の男は驚きを顔に示し、涙ぐんで再び深く頭を下げた。ニカッと笑い、サバみそ職人の男の肩を叩いて、おかみさんはキッチンカーに戻った。スキル【キッチンカー】の発動終了をスキルウィンドウが告げ、三人の鉄人シェフは姿を消した。
「トラック!? どうしてここに?」
何となく流れで片付けを手伝っていたトラック達に驚いたような声を掛けたのは、複数の部下を連れたヘルワーズだった。どうやらいくつかある炊き出し会場を回って状況を確認しているようだ。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。ヘルワーズがやや苦笑いを浮かべた。
「ほとんど雑用のようなものだ。廃棄率を調べて改善したりな。炊き出しは無料とはいえ、口に合わんものは余るものだ」
なるほどねぇ。どういう料理なら食べてもらえるのか、そういう地道な調査も重要なんだなぁ。ってか、すっかり本来の目的を忘れそうになってたが、そもそもトラック達はヘルワーズに会いに来たんだった。来てくれて助かったわ。なんか満足して帰るところだった。トラックが再びプァンとクラクションを鳴らす。
「俺に? 構わんが、何を聞きたい?」
お忙しいところ申し訳ありません、と前置きして、セシリアがトラックの代わりに答えた。
「衛士隊のリェフという人物を知っていますか?」
ヘルワーズがわずかに眉を寄せる。大きく息を吐き、ヘルワーズはどこか嫌そうに言った。
「……知っている」
ヘルワーズは眉間にしわを寄せて言いました。
「リェフは衛士隊カードのスーパーレアだからな。いったいいくらつぎ込んだことか……」




