誤解
ウォルラス邸の門を出た剣士は、最初こそ平静を装っていたが、徐々にスキップを始め、そしてついにはこらえきれずに笑い始めた。笑いながら夕暮れの町をスキップする男。怖いわっ! どっかの都市伝説か! しかし浮かれた剣士は自分が客観的にどう見られるかなど気にも留めていないらしい。いくつかの角を曲がり、ウォルラス邸から充分離れた場所まで来ると、剣士はやがて盛大なドヤ顔で後ろを振り向き、セシリアとトラックに向かって口を開いた。
「見てよ、これ! うまくいったんじゃないのこれ! どうよ、俺に任せろって……」
興奮気味に叫ぶ剣士の言葉をさえぎるように、トラックが剣士を轢いた。
……ん? 轢いた?
轢いとる!? トラック、剣士轢いとる!
あまりに自然に轢いたからあやうくスルーするところだったわ! ちょっと、なんで? なにしてんの!?
手加減の文字がふよふよと頼りなげに空中に漂う。完全に油断していた剣士は、地面にひっくり返って後頭部を強打し、「ぬごぉお」と呻きながら地面をゴロゴロとのたうち回っている。その様子をトラックと、そしてセシリアが冷たい眼で見下ろしていた。
「てめぇ、なにしやがる!?」
痛みが落ち着いたのか、剣士はがばっと上半身を起こしてトラックを睨みつけた。トラックは厳しく鋭い音でクラクションを返す。セシリアはトラックに同調するように大きく頷くと、心底呆れた口調で言った。
「トラックさんの言う通りです。私もあなたを見損ないました」
「は? 何の話だよ!?」
二人の剣幕に、剣士は訳が分からないと戸惑いの表情を浮かべる。セシリアは見下げ果てた男だと言いたげに、顔をしかめて吐き捨てた。
「今さらシラを切るつもり? あなたと知り合って五年も経つけれど、まさかここまで最低な人間だったとは思いもしませんでしたわ!」
「だから、いったい何を言って」
説明を求めようと口をはさんだ剣士の言葉をさえぎり、セシリアは一喝する。
「黙りなさい! まさか、まさかあなたが……!」
やりきれなさと悔しさと怒りが混ざり合った表情で、目じりにうっすらと光るものを浮かべて、セシリアは叩きつけるように剣士に言った。
「獣人の仔を犯罪者に売り渡すような人間だったなんて!」
……え? ちょっと待って? もしかして、剣士が使用人に言ったことを信じちゃったの? あの流れで? ほんとに?
「……はぁ?」
ぽかんと口を開けて、剣士はセシリアを見上げる。セシリアは目尻の涙を拭うと、キッと剣士を睨んだ。
「あなたの仲間として、友人として、あなたの悪行を見過ごすことはできません。今ならまだ間に合います。おとなしく罪を認め、ミィちゃんの監禁場所を白状なさい!」
ゆっくりと、水が地面に染み入るように、剣士はセシリアの言葉の意味を理解したようだった。何かを言いたげに、しかし言葉にならずに、剣士の口がパクパクと動く。しばしの沈黙の後、剣士はようやく、今この時にふさわしい言葉を搾りだして叫んだ。
「なんでお前らが騙されてんだっ!」
「騙されたはこちらの台詞です! いつの間にミィちゃんを探し出し、捕まえて監禁したのか。ずっと一緒にいたはずなのに、まるで気付かなかった!」
自らの未熟さを責めるように、セシリアが地面に視線を落とした。唇を噛み締め、拳を強く握って。剣士はセシリアの様子を、戦慄の表情で見つめる。
「当たり前だ! 俺はミィちゃんを捕まえても監禁してもねぇよ!」
「まだそんなことを……! 」
剣士の答えに、セシリアはよろけたように一歩下がった。もはや剣士の良心に期待するのは愚かなことなのか、そんなふうにショックを受けた顔をしている。セシリアは目を閉じて軽く首を振ると、覚悟を決めたように剣士を見据えた。
「これが最後の警告です。ミィちゃんの居場所を言いなさい。そうすれば、苦しむことなく一撃で送って差し上げます」
「処刑確定か! いいか、落ち着いて聞け。俺がウォルラス邸で使用人に言ったことは、全部嘘だ。敵を釣るための罠なんだよ」
セシリアの本気を感じ取り、剣士の額にじわりと汗がにじむ。剣士はセシリアを警戒しながらゆっくりと立ち上がり、中腰の姿勢で不測の事態に備えた。セシリアは侮蔑の表情を浮かべて剣士を見下ろした。
「往生際の悪い。ついには騎士の誇りまで失ってしまったのね。でも甘く見ないで。二度も騙されるほど私は愚かではないわ」
「なんで今だけ頑なに疑り深いんだ! あの赤い髪の猫人にミィちゃんを奪われてからずっと、お前たちと俺が別行動をとった時間なんてないだろう!」
弁明する剣士の顔は必死だ。そりゃそうだろう。こんなことで『一撃で送』られたら浮かばれない。だがセシリアは「そんな言い訳は想定の範囲内よ」とでも言うように、乾いた笑いを浮かべた。
「そう、だから私たちに気付かれないようにこっそりと捕獲系スキルを発動していたのでしょう? 事前に習得していたのね。つまり、計画的犯行」
密室殺人事件の犯人を追い詰める名探偵の趣で剣士を見つめるセシリアの目には、むしろ憐れみが浮かんでいる。これは、アレかな? なんというかこう、直接的な言葉を使うのは憚られるんだけれども、遠回しに言って、その、バカなのかな? セシリアってバカなのかな? そして剣士は今、思い込みの激しいバカを説得するという困難を前に立ち尽くしているのかな? なんと憐れな。俺は剣士に同情を禁じ得ない。
「濡れ衣にもほどがあるわ! 昨日ケテルに着いて、今朝初めて受けた依頼に必要なスキルをどうやって事前に習得できるんだ!」
中腰を止め、上から叩きつけるように発した剣士の魂の叫びに、一瞬セシリアの動きが止まった。ようやく自分の言っていることの不合理さに気付いたのだろうか。わずかに首を傾げ、考えるような仕草をすることしばし。セシリアの顔が、かぁっと朱色に変わった。バタバタと無意味に手を動かし、おろおろと視線をさまよわせる。何か言わなければ、と見つけ出した言葉を、上目遣いで、一縷の望みを賭けるように、セシリアは絞り出した。
「……予知能力?」
「ねぇわ! そんな能力あったらもうちょっとマシな人生送っとるわ!」
「……こんなこともあろうかと?」
「いったい俺はどんな未来を予測して毎日を生きてんだ!」
「……習得スキル一覧を埋めていくのが唯一の楽しみで」
「寂しすぎるわそんな人生! もっと楽しいこといっぱいあるよ? 外へ出よう! 人に会おう! 居場所なんてきっと、どこにだって作れるさ!」
妙に実感のこもった剣士の突っ込みに対して、セシリアは言葉に詰まった。剣士よ、お前の過去に何があった。そしてお前はその過去を乗り越えてきたとでも言うのか。
「……」
新たなボケを捻出することができずに、セシリアは悔しそうな表情で俯いた。いや、悔しがるトコじゃないけどね。ただただ恥ずかしい場面だけどね。剣士は安堵の息を吐くと、ぐったりと疲れた様子で言った。
「納得したか? ってか納得しろ。何この不毛なやりとり」
セシリアは顔を赤くしたまま、キョドキョドと落ち着かない様子だ。恥ずかしすぎて自分の中での着地点が見つかっていないんだろう。素直にごめんなさいって言えばいいのにね。まあでも、そうだな。年を取るとなかなか、素直に謝るって難しいよな。俺も嫁とケンカしたときによく娘に言われるよ。「おとなになるとすなおさをうしなってしまうのね」って。やがてセシリアは地面に落としていた視線を上げ、むしろ胸を逸らし気味に剣士を見た。
「……わ、わかっていましたわ、最初から。ちょっとあなたを試しただけです」
……間違った着地点見つけちゃったな。剣士は額に青筋を浮かべて、穏やかに答えた。
「ほぅ。この無意味な会話で俺はいったいお前に何を試されたんだ?」
剣士の凍え切った笑顔に簡単に弾かれ、セシリアがしゅんと身を縮めた。剣士、怖い顔が怖い。無言で俯くセシリアを横目に、トラックがプァンとクラクションを鳴らした。剣士が即座に鬼の形相で反応する。
「嘘つけぇっ! 何が『最初から信じていた』だっ! だとしたら俺は何のためにお前に体当たりを喰らったんだ!」
トラックもしゅんとしたのか、弱々しくクラクションを返した。剣士は腕を組み、二人を交互に見渡すと、
「俺に何か言うことは?」
と言った。セシリアは消え入りそうな声で「ごめんなさい」と答える。トラックもプァンと小さくクラクションを鳴らすと――
スキル【どうもすいませんでしたー】を発動した。あ、憶えてるかな、これ。『無礼な態度で形式的に謝罪し、呆れさせてむしろ許してもらう』スキルね。
「……てめぇ、一切反省してねぇだろ」
剣士の顔にぴきぴきと血管が浮かび、口の端が引きつったように上がる。睨みつける剣士の視線を、トラックは素知らぬ顔でかわしている、気がする。剣士はしばらくトラックを睨んでいたが、やがて盛大なため息を吐いてがっくりとうなだれた。
「ったく。まあいい」
どうやら剣士は怒りを収めたようだ。というより、諦めたと言ったほうが適切かもしれないが。……もしかして、【どうもすいませんでしたー】が効いたんだろうか。成功率高くない? 実はめっちゃ強力なスキルじゃない? でも、スキルで解決したとしたら、剣士のストレスは解消してるんだろうか? そのうち剣士の胃に穴が開かないか心配だ。
剣士が軽く空を仰ぐ。もう太陽はその姿を隠し、空は藍色に染まり始めていた。本来ならまだ日があるうちに北部街区を出て、宿に戻っている頃だろう。果て無い徒労感を振り払うように首を振ると、剣士は改めてセシリアたちを見た。
「使用人と話して分かったことがある。おそらくギルドもケテルの衛士隊も、この件には絡んじゃいない。ギルドか衛士に『ミィちゃん』を渡すと言ったら嫌な顔をしたからな。今からギルドに報告して協力を仰ぐ選択肢もあるぞ」
「それは……」
顔を上げたセシリアの瞳に迷いが揺れる。助けを求めるべきだと理屈で分かっていて、助けを求めたくないと感情が邪魔をする、そんな顔。剣士は気遣うように声を落とした。
「……他人を巻き込むのは、怖いか?」
「……」
セシリアは何も答えず、剣士から目をそらした。剣士の顔に、ほんの一瞬だけ、痛まし気な感情が浮かび、すぐに消えた。
「……いいさ。時間もないし、ギルドが俺たちを信用してくれる保証もない」
剣士はそう呟くと、どこか無理のある明るい笑顔を作り、大げさな身振りで楽しげな声を上げた。
「要するに俺たちは、これから取引場所に行って、襲ってくる奴らを返り討ちにして、ふんじばってアジトの場所を聞き出し、急襲して壊滅させなきゃならんってことだ。敵の正体は不明。敵の戦力も不明。どうだ、簡単なお仕事だろう? できる気がしねぇな」
「無茶は承知の上です。やらねばならぬことですから」
セシリアの頑固さに剣士は苦笑いする。しかしすぐに、常にないほどに真剣な顔をして、有無を言わさぬ調子でセシリアに言った。
「危険と判断したら、俺はお前を連れて逃げる。獣人たちを見捨てることになってもな。そこが俺の妥協点だ。いいな?」
「自分の身くらい、自分で守れます」
セシリアが不服そうに口を尖らせた。子ども扱いされたようで不満なのだろう。剣士はセシリアの頭をくしゃくしゃと撫でて、
「そう願いたいね」
からかうようにそう言った。セシリアは不快そうに剣士の手を払う。慌てて手を引っ込めて軽く笑い、剣士はトラックに近付いた。
「お前さんも適当にな。こんなところで死んだらつまらんだろ」
剣士が拳でコンコンとトラックを叩く。ふんっと鼻を鳴らすように、トラックは素っ気なくクラクションを返した。
すでにトラックを巻き込んでいるという都合の悪い真実からは目を逸らせて生きていこうと思います。




