06 優しい魔法の使い方 ⑦
《……ヴァラゴスラォヴェニ……イャハァトヴ…レァミャドル……ツァモォラヴィエ》
時折かすれるようにして途切れる音を繋ぎ合わせても、私の知る言葉には到底なり得そうにもなかった。魔法・魔術の術句に用いられる、失われた古の『言葉』を、私はエルに教えられる前から知っていた……それどころか、エルでさえ知らない意味でさえ。
そんな私でも思い当たらないならば、きっとこれは私達の知る『言葉』ではないのだ。それでも肌に感じるのは、言葉の持つ強大な力。意識に、というよりも魂に直接刻みつけられているみたいな、そんな原始的な感覚で音は私を満たしていく。
いつもは触れていても、どこか見えない絶対的な壁で隔てられているフィニアス師が、今だけはひどく無防備な姿でそこに立っているように感じた。
《……イャモルスリィエル……シャスティア》
最後の音と同時に、全身が……そして髪に飾られた花が、一瞬だけカッと熱を持つ。その熱が私達を結びつけ、小さな花が私の一部になるのを感じた。重なる額がゆっくりと離されると、ゆるやかな水に押し流されるようにして熱が引いて行く。
私から離れたフィニアス師は、いつもなら何事もなかった顔をするだろうところを、どこか疲れ切った表情で細く息を吐き出した。
「マスター……?」
「詮索は、無しです」
端的に告げられた言葉で、私は大人しく口を閉じた。フィニアス師がこう言う時は、何をどれだけ聞いても無駄だと知っていたから。それでも私の視線に根負けしたのか、面倒くさそうな表情で口を開いた。
「……死にたくなければ、ヒトの身では口にしない事をお勧め致します」
その言葉で、前にエルから聞いた『言葉』の持つ重さの話を思い出す。力の弱い魔法使いが、自分の身の丈に余る『言葉』を口にすれば、それが持つ力に押し潰されて死に至ることもあるのだと。フィニアス師の忠告が、単なる脅しではなく一気に現実味を帯びて、私はコクコクと頷きを返した。
「この花の時を、凍結しました」
「っな……例え草花でも、命あるものの時間を止めるのは、危険な事だって」
「これで枯れずに、済むでしょう」
ボソリと呟かれた言葉に、私は目を見開いた。
(本当に、この人は……)
胸にあふれる想いが何一つ言葉にならなくて、震える指先でそっと小さな花片に触れた。
「年頃の娘なのですから、花くらい髪に飾っても罰は当たらないでしょう……君が歩もうとしている道がどれだけ過酷なものであっても、人間性を……ささやかな幸福を、その生から削ぎ落とす事はないのではありませんか」
フィニアス師にしては珍しく、慎重に選ぶようにして落とされていく言葉に、私は目を見開いて師を見上げた。
「この数日、共に過ごして実感した事ですが、君は稀有な純粋さを持った人間です。それは時として脆く割れ、鋭い破片となって君を突き刺す事もあるでしょう。それでも変わらないものを持ち続ける事は、とても難しい……故にこそ尊いものだと、私は思います」
大切な事を教える時の距離で、フィニアス師は私の瞳を覗き込みながら静かに告げた。
「森の中よりも、人の世はずっと生きにくい場所です……私の弟子を名乗るのならば、それでも花を飾る心の余裕を持ちなさい。レイリア」
それはきっと、花そのものを指しているのではない事くらい、私にも分かった。自分でも気付いていて、見ないフリをしていたかもしれない。いつからか、生きるためだったり誰かのために行動すること以外のことを、無意識に避けていたような気がする。幸せになり過ぎると、悪いことをしているみたいな気持ちになる……その理由は、考えなくても分かってる。
(枯れない、花)
涙鈴蘭は、名前の通り涙のような雫型の小さな花を鈴なりにつける、青く透き通るような花だ。古の『言葉』では名前をリンネ・アプレラ、意味は『雨上がりの月』転じて『幸福はまた巡り来る』
……本当、マスターは優しい魔法使いだ。
「ありがとうございます、マスター」
私に出来る精一杯の笑顔で告げれば、フィニアス師はすっかりいつもの顔で、ただ少しだけ安心したような表情で頷いた。
「明日はそのゴチャゴチャとした思考が吹き飛ぶくらいに驚かせて差し上げますから、今夜は大人しく寝る事ですね」
そんなことをフィニアス師の口から聞くと、エルから色々と聞かされている身としては不穏な想像しか浮かばないけれど、口が裂けてもそうは言えなかった。
「もう……あんまり脅かして、寝れなくなっちゃったらどうするんですか」
「は……?寝言は寝て言って頂けますか。初の野宿で、毛布一枚もかけずにダイアウルフにくるまって『おやすみなさい』などと抜かした直後、止める間もなく呑気に寝息を立て始める子供が、何をやったら眠れなくなるのか教えて頂きたいものですね」
「すぐ寝ます、おやすみなさいマスター」
私が毛布を持って脱兎のごとく、いつの間にか帰って来ていた兄さんの元に駆けていくと、背中からクスリと笑う声が追いかけてきたような気がした。
「おやすみなさい、リア」
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