06 優しい魔法の使い方 ②
「えっと……今まで嘘だと思ってたんですか?」
私の言葉にフィニアス師はふっと表情を緩めると、ゆるりと首を横に振った。
「誇り高き森の主であるダイアウルフが、どうしてこんな小娘に……と思った事がないと言えば嘘になりますが。しかし、君の森の歩き方を見ていれば、どれだけ心底から森と寄り添い生きてきたのかくらいは分かるものですよ。少なくとも、君が『家族』と呼ぶ彼らと、どのような関係を築いて来たのかはね」
「そういう、ものですか?」
「そういうものです」
淡々と応えるフィニアス師に、相変わらず不思議な人だなと思う。初めて出会った時からつかみどころがなくて、いつでも薄らと微笑んでいるのに瞳の奥は冷たくて、最初のうちはそれがちょっとだけ苦手だった。でも、今はその冷たさの、もっと深い場所に温もりがある事を知っているから。
「やっぱりマスターって、謎が多いですよね。自分の脚で歩いた事もございません、ってお顔をしてるのに、森の中はスタスタ歩くしイオナスも完璧に乗りこなしてますし」
ライに言わせると『お上品な顔立ち』のフィニアス師は、愛馬のイオナスを私とロロ兄さんか、それ以上に一心同体と言う感じで疲れを知らずに旅を続けていた。それだけじゃなくて、森の掟(獣達の行動原理ってエルは表現してた)も良く理解してるみたいだし、本当に王様がいる所で働いてる人なのかなって思う事もある。
「君は、私を何だと思っているのですか……これでも、宮中に入る前は森暮らしのようなものでした。どちらかと言えば山に近いですが……とにかく、自然界で生きていく上で私が困る事などありませんよ。人里よりは、よほど馴染みがあります」
私の素直な疑問に、呆れた感じで落とされたフィニアス師の言葉を聞いて、思わず目が丸くなる。
「えぇっ、エルは『フィニアスの嫌味と皮肉の嵐を受け流せるようになれば、どんな人間が相手でもやっていける』って送り出してくれましたよ?」
「……アレは、いったい君に何を吹き込んでやがるのでしょうか。全く、君達は親子揃って……確かに君とナサニエルも、立派な『家族』ですね」
諦めたような苦笑いをこぼすフィニアス師に、私は胸を張って答えた。
「オロケウもエルも、私の自慢の父さんですから。マスターの家族は、どんな人達ですか?」
その瞬間、フィニアス師が浮かべた表情を、きっと忘れる事は出来ないと思う。その瞳に駆け抜けたのは、怒り、悲しみ、絶望……それから、諦め?
私が知っているどんな感情の名前も、何もかもが目の前の人の抱えたものには釣り合わないように思えて、不意にフィニアス師から言われた言葉を思い出した。
(確かに私は、人間のことを知らなすぎる、かもしれない)
人間は、ロロ兄さん達みたいに触れるだけで、心の底まで理解し合えるわけじゃない。それでもきっと、手を伸ばすことなら出来るはずだから。触れるのも恐ろしいような、私の知らない『こころ』を抱えたこの人の、少しでも近くにいたいと今は思う。
私が黙ってフィニアス師を見つめていると、彼はやがてハッとしたように目を瞬かせて、何かを観念したみたいに深々と息を吐いた。
「……私にも、家族がおりました。何にも代え難い、大切な存在でした。私の生命に代えても、守らなければならないはずだった」
それは、初めて聞くフィニアス師の過去だった。いつも、自分の事は絶対に話さない彼が、きっと初めて明け渡した心の欠片だった。いつか、粉々に砕けてしまった、心の。
「それなのに今はもう、誰もいません……私独りきりです。帰るべき場所など、とうの昔に失くなってしまった。当て所無く旅を続ける他に、生きていく術がないのです」
その言葉に、どうしてか心臓がドキリと跳ねた。私には間違いなく帰る場所があるはずなのに、フィニアス師から伝わる感情を、自分のものみたいに知ってる気がして……そうだ、いつだって見ないフリをしてきただけなのかもしれない。
この瞳を、もうどこにもない空の彼方を、焦がれるように見つめる瞳を知っている。ユーリみたいな、夢見る瞳じゃない……もっと痛々しくて、切なくて、二度と手には出来ないことを知っている色だ。例えば、エルみたいに。
(そうだ……エルは、いつも待っていた)
一年にたった一度、東の空から渡ってくる美しい鳥。今だから分かる、私じゃ到底及ばない高度な水魔法で生み出された渡り鳥を、エルはただ『約束の鳥』とだけ呼んだ。それがどんな約束なのかは分からないけど、私の知らないエルの一番大事なものがそこにあることだけは確かだった。




