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塔の上の錬金術師と光の娘   作者: 雪白楽
第2章―真実の書― 旅立ち篇
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05 星の導き ⑧

「リア?」


 珍しく名前を呼ばれて、我に帰った私は慌てて兄さんの言葉をフィニアス師に伝えた。


「……ああ、成程(なるほど)


 私の翻訳を聞いて、納得したように頷いてみせたフィニアス師は、私からロロ兄さんに視線を移すと、ひどく冷たい表情を浮かべて言い放った。


「それが、何だと言うのです」

「ッ、グルルルッ」


 その言葉を聞き取ったのか、威嚇するように唸り声をあげた兄さんに、フィニアス師はあくまで淡々とした表情で言葉を続けた。




「そもそも、何かを勘違いしていらっしゃるようですが、私はナサニエルから彼女を弟子にしてくれ、と頼まれただけで決して『護ってくれ』と頼まれたのではありません。私は彼女の保護者でも何でもなく、彼女は私の弟子に過ぎない。弟子とは護るべき対象ではなく、教え導く存在です。その者が、私の手を離れた後に一人で立って歩けるよう、その術を叩き込むことこそが私の責務」


 堂々と言い切ったフィニアス師の長い言葉を、兄さんがどれだけ聞き取ったのかは分からない。けれど、確かにその唸り声はピタリと止まった。


「これが、私のやり方です。そうだと知っていて、ナサニエルは自分の娘を私に預けた。その道半(みちなか)ばで、それも自身に降りかかって来た災厄を跳ねのけることのできない、単なる己の力不足で彼女が死んだところで、それは彼女自身の責任でしょう。それだけの器の持ち主だった……そう言うことです。強い者が生き残り、弱い者はただ死ぬだけのこと。貴方も良くご存知の概念ではありませんか?」


 ふと、恐ろしいくらいの無表情になったフィニアス師が、噛み殺すような鋭い視線で兄さんを貫いた。私の背筋をゾクゾクと駆け上がるような威圧感……まるで、野生の獣のような。これまで、獰猛(どうもう)な熊などを相手にしても一歩も退くことのなかった兄さんの、怯えるような気配を初めてこの目で見た。


 この世で最も強い獣の一角であるはずのダイアウルフを、視線一つで黙らせる気迫を持つフィニアス師は、まさに百獣の王のような風格を漂わせていた。普段の彼からは考えられない、獰猛(どうもう)な獣の気配。自分よりずっと大きいダイアウルフに踏みつけにされているのに、どこか『誰に触れている』とでも言わんばかりの不遜(ふそん)な表情。


「……それに、貴方が彼女の家族だと言うのなら、彼女を護る責任を負っているのは貴方でしょう。そうではないのですか、誇り高きダイアウルフよ」


 どうしてか私には、フィニアス師がとても静かに怒っているように見えた。何に対して怒っているのかは分からなかったけれど、兄さんは彼の言葉を噛み砕いているのか何も言わなかったから、私にも何も言えなかった。




 しばらく黙ってフィニアス師を見つめていた兄さんは、やがて怒りを収めたのか彼から手を退けると、静かに数歩後ろに引いて、何故か私のお(なか)に許しを乞うようにして頭をすりつけた。


《済まない。頭に血が(のぼ)って、お前の師に差し出がましい真似をした》

《……ううん、私のために怒ってくれたんでしょう?ありがとう。でも、きっと、私が話さなくちゃいけないことだから》


 そう告げて、そっと(ひたい)を重ね合わせる。小さく息を吐いてフィニアス師に向き直ると、彼は立ち上がってローブに付いた土を払っている所だった。


「やれやれ、随分と派手にやってくれたものですね。そもそも私だって、保険もかけずに幼子を放り出すほど、血も涙もない悪魔ではありませんよ。何かあったらすぐ介入出来るよう、使い魔も近くに待機させておきましたし……ほら」


 パチン、とフィニアス師がその長く美しい指を(はじ)いた瞬間だった。


「ギシャアアアァアアアッ!」


 耳をつんざく、何かを一斉に引っ掻いたように不快な鳴き声。ひどく禍々(まがまが)しい、闇よりも深い黒で身を包んだ蛇のような獣が、下手をすると兄さんよりも大きな身体で、鎌首(かまくび)をもたげてこちらを向いた。明らかに味方ではない感じの、凶悪な視線でこちらを睨みつけて。


「おっと、失礼」


 パチン、と。また弾かれた指の音と共に、煙のようにその『使い魔』は消えた。


「少々『やんちゃ』な子でして」

「…………」


 彼の『使い魔』が出てくるような事態にならずに済んで良かったと、心の底からそう思った。今のは、出来ることなら忘れてしまいたい。





「さて、君には色々と言いたいことがありますが、まずは一番に重要なことから」

「はい」


 何を言われるんだろう。倒し方が悪かったんだろうか。やっぱり、あの局面でナイフを手放したのがいけなかった?それとも、最後は危うく不意を突かれそうになったこととか。


「どこの世界に五人組の盗賊に対して、弓矢とナイフと身一つで立ち向かっていく子供がいるのですかっ!」

「え」


 想像していたのとは、まるで違うような言葉に、私は思わず首を傾げた。


「えっと……強力な攻撃魔法とか、付与魔法のかけられた剣で、鎧を着て戦うとかすれば良かったのでしょうか?」

「逃げるんですよ、普通は!間違っても実力の分からない相手に、それも複数人に、あんな無茶な戦い方をするものではありません。全く、君がナイフ一つで突っ込んで行った時は、思わず手出ししそうになりました」

「マスター、見てたんですか」


 さっきと話が違う気がする、と私が目を見開けば、フィニアス師は鼻を鳴らして腕を組んだ。


「当然でしょう。これは修行の一環です……尤も、君が身につけている魔術を実地で確認するために、わざと野盗を()かずに引き連れていたのですが。まさか、肉弾戦で完封(かんぷう)されるなど、思ってもみませんでした」


 頭痛を堪えるような表情を浮かべるマスターに、私だって好きで戦ったワケじゃないと反論する。


「でも、相手に射手がいたんです。あのままでは、逃げ切れませんでした」

「……あのですね、君はいったい何を目指して、我らが学院都市に足を踏み入れようとしているのですか?仮にも魔法使いでしょう、君は。身を護りたいならば、弓や剣を弾き返すか受け流す魔法を。逃げ切れないのならば、気配を絶ち闇に身を(ひそ)ませる魔法を()れば良いでしょう。君は一体全体、人生の半分以上を森にこもって何をしていたんですか」


 その問いにならば、自信を持って答えられる。たった一つのことを、毎日愚直にやっていただけなのだから。生きるために。


「狩りです。でも、狩られたことはなかったから……」

「ああ、成程……」


 まあ、そうでしょうね、と。何かを諦めたように、フィニアス師は呟いた。




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