05 星の導き ⑥
《敵の数は五、そのうち一人が射手。残りの四人は、それぞれ剣もしくは斧》
《あちらの戦法は》
いつもの狩りの時のように、淡々と向こうの出方を聞いてくれる兄さんに、ようやく頭がマトモに回転し始める。
《こちらを弓で足止めして、その隙に追い付いた人が私を仕留める》
《ならば、対抗手段は一つだな》
兄さんから狩りの興奮を感じて、ゾクゾクしながら私も頷く。
《私が射手を、兄さんは目の前の一人を。これしかない……完全な、弓術勝負になる》
《やれるか》
ズルい、と思う。口ではそんなことを言いながら、完全に信頼しきった感情を伝えられたら、頷くしかない。
《必ず、仕留める》
その言葉を聞いた瞬間、兄さんは思い切り地面を蹴り、前方の敵に向かって飛びかかった。
「はぁっ、オオカミっ……?」
まさか私がダイアウルフに乗っているだなんて思いもしない男は、目前に迫るロロ兄さんの巨体に目を見開いて絶叫した。
「っぎゃああああぁああっ!」
その叫びに、痛みに、目を向けている余裕はない。
(この一瞬で、仕留める――!)
ピタリと手に吸い付く弓に、矢筒から引き抜いた矢をつがえて引き絞る。跳躍した兄さんの背中から、こちらに矢先を向けたまま硬直している男が見えた。彼が呑んだ息の動き。ブレた狙い。予期せぬ事態に震えた手。何もかもが、この感覚の内だ。
例え生まれた場所ではなくても、森の中なら私の領域……森に、沈んで行く。私が、森になる。
(狙うのは、ただ一点。急所だけで、いい)
どんな生き物でも、貫けば死ぬ場所は同じ。ただの一撃、それだけで仕留めるのが、相手に対する礼儀だ。
冷たく震えていたはずの手は、いつの間にか熱を取り戻していた。兄さんの跳躍が最高点に達した時、ふと身体が何もかもから自由になったみたいに軽くなる。
《ピアッシモ》
貫け――
心なんて繋がなくても、矢を放つ瞬間、命中したと確信があった。
それなのに、歓喜や安堵よりも先に襲って来た感覚に、吐き気がこみ上げるのを感じた。必死に蓋をして、決して覗かないようにしていた記憶の蓋が、開きかけている。
(しっかりしろ、私)
今は、生き残ることだけを考える。本当なら、ゆっくりと相手の眉間に吸い込まれていく矢を、見届ける時間も惜しい。残るは三人、前と左右に一人ずつ。三人ともシアお姉ちゃんが来ていたみたいな鎧を着てるから、ほんの少しの隙間しか肌が見えていない。
《射抜けるか?》
一瞬だけ心に触れて来た兄さんの言葉に、覚悟を決めて弓をしまい、代わりにベルトに差したナイフを引き抜いた。私の覚悟を感じた兄さんは、敵の屍を越えて今度は左へと跳んだ。その背中を、蹴りつけるようにして私は飛ぶ。
「ハッ――!」
私の細腕じゃまだ力は乗らないけど、空から落ちる時の勢いを乗せれば話は別。もう二度と空には戻れなくても、地面に縫い付けられていない私は、こんなにも自由だ。
(私は空の子供……飛んでいる時は、誰にも負けないっ!)
空から降る私の姿に、鎧の隙間から覗く男の目が、限界まで見開かれるのが見えた。
「なっ……ありえねえ、フザっけんなっ!」
怒りに満ちた声で叫んで、剣を構えても間に合わない。
「遅い」
オロケウより、メクトゥシより、ずっと。その速さじゃ、あの森では生き残れない。
闇雲に突き出された剣をかいくぐって、男の懐に潜り込む。鎧と鎧の隙間、喉はどうしたって隠せない。それだけあれば、十分だ。
「ひっ」
怯えたように呑み込む息の、聴こえるほどに近く。空から落ちる勢いをそのままに、握り締めたナイフは、あの牡鹿よりもずっと柔らかい手応えで、男の喉元に喰い込んだ。
ああ、嫌な感覚だ、と。
ぞっとするような冷たさが、指先から這い登る。死の、温度だ。
「っ――!」
喉を貫かれたせいで声も出せない男を突き飛ばし、飛び降りた勢いを殺すようにクルリと地面を転がって素早く立ち上がる。動物の身体に刺さったナイフは、肉と脂に巻き込まれて、私の腕だと抜き取るのに時間がかかる……今は悠長にナイフを抜いている暇はない。頭を切り替えて今一度弓を手にした私は、矢をつがえながら振り返った。
「っが、あああああっ!」
宵闇に、銀色の光が走る。兄さんの持つ凶悪な鉤爪が、斧を振りかぶった男の喉を、紙切れのように切り裂いた。それぞれの仕事を確認した私達は、宙で視線を交わして頷き合う。ただ、周囲に視線を走らせると、一人足りないことに気付く。
(どこに、消えた?)
気配を探ろうと、呼吸を止めた瞬間だった。
「ガァッ」
飛び去ったと思っていたナジークが、私の背後で鋭い声をあげた。滅多に聞くことのない、ワタリガラスの濁った鳴き声。これは、警告だ。
「っ、クソっ!」
勢い良く振り向いてギリリと弓を引き絞った私に、木の陰からこちらに飛び掛かって来ようとしていた最後の一人が、斧を構えた姿のままギシリと固まった。
残るは、この一人だけ。もう、焦る必要はない……ここからは、慎重になるべきだ。追い詰められた獣は、何をするか分からないものだから。
「のっ、呪い持ち?ひぃっ……化け物っ」
その言葉に、思わず足がピタリと止まる。気付けば、深々とかぶっていたはずのフードが、いつの間にか取れていた。立ち止まってしまった私に、兄さんも何かを察したように止まると、肩を怒らせていつでも飛びかかれるような姿勢を取った。
「ま、待ってくれっ。襲ったのは悪かった、でも飯の種に困ってて、仕方なかったんだっ!お願いだから、殺さないでくれ……!」
なんだろう、これは。
私は生まれて初めて感じる、名前のつけられない感情に戸惑った。だって、野生の獣を仕留める時に、こんな風に泣き叫ばれたことなんてなかった。死はいつだってそこにあるもので、喰らう側も喰われる側もハッキリしていて。迷う必要なんて、どこにもなかった。
食べるためじゃなくて、身を守るために殺したのだって、きっと初めてだった。これが動物相手なら、死ぬまで立ち向かってくることなんて、まずない。その前で踏みとどまって、自分と相手の『格』を嗅ぎ分けたら、黙って逃げて行くのが普通だ。




