04 ひとつの旅立ち ⑦
「ユーリの、魂」
私は、心臓の上をギュッと握りしめて、その言葉を記憶の底から引きずり出した。私の終着点。スプリガルの剣……あの日見た底なしの闇に、ユーリはまだ、生きている。
「あの子は……ユーリカは、家族と同じか、それ以上にアンタを大事にしてた。アンタも、そうだったんだろうって、分かっちゃいるさ。だから、あの子の魂とか心ってもんが本当にあるなら……それはきっと、アンタの『ここ』にあるんだろ」
トンっ、と。
柔らかい仕草で、指先が私の心臓を突く。ただ、それだけのことで、何かが私の中で崩れるのを感じた。
「っ、あぁ……ユー、リっ……」
ここで泣くのは、卑怯者のすることだと分かってた。それでも、崩れてしまった何かは、私の涙を止めてはくれなくて。そんな私を、おばさんは怒りもせずに、ただ静かに見つめていた。やがてボヤける視界の中で、何かを決めたかのような表情が見えたかと思うと、部屋の奥へと引っこんでしまった。
(私、なにやってるんだろ……)
そもそも、エマおばさんに何を伝えたかったんだろう。伝えたいと思っていたことは沢山あったはずなのに、自分の中でもきちんと整理できていなかったことに、いまさら気付いてももう遅い。
どうしたら、と唇を噛んだところで、奥の部屋からおばさんが戻ってきた。
「手、出しな」
「え……」
言われるまま差し出した手に、熱い手の平の感触と、びっくりして涙も止まるくらいヒヤリとした感覚が同時に落とされた。私が目を見開いて手の中を覗き込むと、そこには茶色い革紐の通された、涙型をした緑色の石があった。
「きれい……」
森の緑が、私を覗き込んでいる。見た瞬間に、そう感じた。
「森の川で拾ったって、あの子が大事にしてた石だよ。いつか時が来たら『リアの瞳の色だから、リアにあげるんだ』って、嬉しそうな顔して磨いてた」
「私の、色?」
とろりとした深い蒼の中に、芽吹く若葉のように溶け込んだ緑。私の瞳は、こんなに綺麗なものと同じだって、ユーリの目には見えてたの?
「アンタの石だ……アンタが持って行きな」
「えっ、でも」
これはユーリの遺品に違いなくて、そんなものを私がもらってもいいのかと、戸惑う。
「これは、アンタが持ってなくちゃ意味がないものだから。それで、いいんだよ」
「あり、がとう」
どこか優しい声で落とされた言葉に、なんとか震える声で一言を返して、恐る恐る首にかける。胸元できらめく森の緑に、また涙がこぼれそうになって、服の下にそっとしまいこむ。痛いくらいに冷たかった石が、私の心臓の熱に溶かされるみたいにして、少しずつ馴染むのを感じた。
思わず唇から細い息がこぼれて、さっきよりもずっと落ち着いた心で見上げたエマおばさんは『それでいい』と、どこか寂しそうな顔で頷いていた。
「ここはアンタの家じゃないけど、どうしても行き場がなくなったら、ウチを頼ってきな。まあ、アンタの父親がいる限り、そんな心配はないだろうけど」
「エマおばさん……」
「ほら、情けない顔するんじゃないよ。外の世界とやらを見て、もうちょいマシな顔になったら、顔でも見せな……ほら、行った行った」
シッシッ、と追い払うような仕草をするおばさんに、私は思わず笑ってしまいながら頷いた。
「ありがとう。行ってきます!」
その言葉に返事はなかったけど、閉じられたたドアは、開いた時よりもずっと優しい音をしていた。胸に手を当てれば、そこにある緑の宝石が心臓と同じリズムで脈打っているように感じる。
(ここにも、ユーリはいたんだ)
何もかも失くしてしまったと思ってた……それでも確かに、ここで生きてる。
雪解けの道を踏みしめる足が、叫びだしたくなるくらいの熱をもって、気付けば速度がついて走り出していた。飛ぶように流れる景色の中で、置き去りにしていくつもりだった全てを、まとめて抱き締めるみたいに拾い上げていく。
景色の全てに、記憶の中に、ユーリを感じてる。
やがて辿り着いた村の果ては、あの日に二人で越えた姿のまま、言葉も色も持たない壁として立ちはだかっていた。律儀にその境界で待っていてくれたフィニアス師とロロ兄さん達は、私の姿を見てどこか安心したような表情を見せた。
「ようやく来ましたか。待ち草臥れて、日が暮れるのではないかと」
いつもの調子で淡々と皮肉を言うフィニアス師だけれど、珍しく横顔が柔らかい表情を浮かべていたから、そこからこぼれた感情を拾い上げて私は笑った。
「ありがとう。もう大丈夫っ!」
とびきりの笑顔で告げれば、フィニアス師は不意をつかれたみたいに目を見開いて、そして『仕方のない子ですね』とでも言いたそうな表情で苦笑した。
「それでは、参りましょうか」
そう言って、フィニアス師が馴れた仕草で馬の手綱を引いて歩き出す。歩いてこの結界を越えたいと言う、私のワガママに付き合ってくれるらしい、と気付いて胸の奥がじわりと温かくなる。
目の前の、色のないベールにそっと触れる。この一年で、ようやく感じ取れるようになった魔力の流れを、肌で感じる。雪解け水みたいにパキリとしていて、それでいて『護りたい』という心が溶け込んだ、強く柔らかな魔法。エルの、力だ。
振り返ると、丘の上にそびえ立つ塔のたもと、あの黒い影が見えたような気がして。
「行ってきます」
もう一度、口の中で呟いて、世界の終わりと始まりの場所に向き直る。目を閉じれば、右手にユーリの手の温もりを感じて、胸の奥からこみあげたものを大事に大事に箱へと詰めた。ようやく、始まる。
旅立とう……何回でも、ここから二人で。
湧き上がる心の、全てを抱き締めて。その線を、越えた。
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