04 ひとつの旅立ち ⑥
「行ってきなさい、リア……お前に、星の加護があるように」
ライは『神』で、エルは『星』で。言葉は違うけれど、こめてくれた想いはきっとちゃんと受け止めてる。声が、瞳が、温もりが伝えてくる。この心を、返したい。
「行ってきます」
最後にギュッと握った手を、スルリと解いた。エルに背を向ければ、ロロ兄さんとナジークが私達のお別れが済むのをずっと待ってくれていたみたいに、カンペキなタイミングで私の元に歩み寄って来た。兄さんの背中に触れれば、こちらを心配するような感情が流れ込んできた。いつも兄さんには、心配ばかりさせているような気がする。
《お待たせ、兄さん》
《……良いのか》
今度こそ、私は迷わずに頷いた。私の感情が伝わったのか、兄さんは納得したように唸ると、静かに瞳を瞬かせた。
《もう、乗っていくか?》
《ううん。村を出るまでは、私の脚で歩かせて》
私が頼むと、ゆったりと私に寄り添うようにして歩いてくれる。今、全力で甘やかされてるなと思いながら、思う存分に甘えて私のペースで歩き出す。
もう大分、雪の溶け始めた雪原を越えれば、フィニアス師が珍しくボンヤリとした表情で馬の背中を撫でながら立ち尽くしていた。
「ごめんなさい、遅くなって」
「さすがの私も、今日と言う日に幼子を急かすほど野暮ではありませんよ。あまり君を虐めすぎると、ナサニエルに刺されそうですし」
エルって、そんなに物騒な人じゃないと思うんだけどなぁ、と苦笑しながらフィニアス師を見上げた。今日も、何を考えているのか分からない瞳が、私を覗き込んでいる。でも、昔ほど無闇に怖いと思わなくなったのは、いつからなんだろう。
「では、出立してよろしいのですか?」
何かを確認するような視線に、私は『本当に、これでいいのか』と自分で自分に問いかけた。これまで、逃げ続けていた場所がある。会わなくちゃいけない、人がいる。
「あと、一か所だけ」
*
一年ぶりに足を踏み入れた村は、何一つ変わってはいなかった。既に雪かきは終わってしまって、今は畑の方に行っているのか、男衆の姿はない。まだ寒さそのものは続いていることもあって、子供達でさえ家に閉じこもっているのか、村の中はガランとして見えた。
何の用事があったのか、腰の曲がったお爺さんが小さな広場を横切っていく。ふと私に目を止めたその人は見覚えのある顔で、私の髪に視線を走らせて顔を歪めた。不吉なものを見たように、顔を背けて家の中へと入ってしまった背中を見送って、これから訪ねようと思っている人のことを考えて思わず溜め息がこぼれた。
ただ、一年間この村を避け続けてきたにもかかわらず、想像していたよりも落ち着いている私がいた。覚悟が決まった、というよりも、後がなくなったって言うべきかもしれない。
小さく息を吸い込んで、目的の家のドアを叩いた。
「誰だい、全く……」
不機嫌そうな声と同時に、ガチャリと眼の前のドアが開く。顔を覗かせた目当ての人は、面倒くさそうだった表情を、私の顔を見た瞬間に息を呑んで驚きで染め上げた。
「……エマおばさん」
「……リア」
私はしばらく息もできないまま、彼女の顔を見上げていた。森の母さんであるメクトゥシが、人間になったらこんな感じかもしれないって思わせる、ガッシリした村のおかみ。でも、私の記憶よりも少しやせてしまったような気がするその顔は、どこか疲れたような表情で私を見下ろした。
「何しに、来たんだい」
ズキリと、心臓が痛む。最後に会った時も、似たようなことを言われた記憶があった。喉が引きつれる痛みをこらえて、全身全霊で震える声を絞り出す。
「今日、旅に出ることになって」
私の言葉に小さく目を見開いたおばさんは、複雑そうな表情を浮かべた。
「……そうかい」
ぽつり、と呟いた一言には、想像してたほどのトゲがなくて。私はギュッと拳を握りしめると、覚悟を決めて顔をあげた。
「ユーリのお墓参りが、したくて」
「っ……アンタに、その権利があるのかい」
言葉が、私を突き刺して、消えない傷をつくる。でもきっと、この人はもっと痛かったはずだ。ユーリは私に命をくれた……でもそれは、エマおばさんから見れば、私がユーリから奪ったのと同じことだから。私だって、心の底では今も、私自身を許せずにいるから。
「約束、したから」
地面を踏みしめて、声を張る。意味が分からないと顰められた顔に、躊躇わず言葉を続けた。
「ここを出て、二人で旅に出ようって……エルフの住む白銀の都。ドワーフの宝石と黄金の地下都市。果てしない水の広がる海を渡って、誰も見たことのない国へ」
「もう、やめとくれっ!」
初めて聞いた、エマおばさんの泣きそうな怒鳴り声に、私はビクリと肩を跳ね上げた。それでも、私は止めない。ここで止めたら、きっと永遠に伝わらない。
「だから、私は行かなくちゃいけない。ううん、ユーリと約束したから、きっと外に行きたいと思った。二人だから、外の世界を見て、旅をしたいと思った。だから、一緒に行かなくちゃ意味がない……これは、二人の夢だから」
「っ……」
おばさんは、私の言葉に息を呑んだ。目元を抑える力強い手は、何かを恐れるみたいに震えていた。
「まだ、遠い旅には行けないけど、これが初めて外に出る一歩目だから……だから、ユーリのお墓参りに」
「……あの場所には、何もないよ」
ポツリと、空っぽな声が部屋に響く。
ああ、その言葉を前にも聞いた気がする、と。恐る恐る彼女の顔を見つめれば、目元を赤くしたおばさんが、痛みを堪えるように眉を寄せて立っていた。
「骨も入っちゃいない墓だ。タダの石ころ……生きてる人間の、自己満足ってやつだよ。そんな場所に、あの子の魂があるもんか」




