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塔の上の錬金術師と光の娘   作者: 雪白楽
第2章―真実の書― 旅立ち篇
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04 ひとつの旅立ち ④

「……準備、してくるね」

「ああ。フィニアスは、馬の様子を見に行った。お前の準備が出来次第、出発すると」


 私はエルの言葉に頷くと、ロロ兄さんとナジークには外で待っていてもらうことにして、塔の中の自分の部屋へと駆け上がった。塔の壁にくり抜くみたいにして作られた、寝るためだけにある小さな部屋。息を吸い込めば、胸の中が染みついた薬草の匂いでいっぱいになる。

 ベッドの上には、ささやかな旅支度(たびじたく)。長い道のりを歩くのにピッタリな、編み上げの革ブーツ。いつもの白いチュニックの上から、今日のためにエルがその手で仕立ててくれた銀鼠(ぎんねず)色のローブを羽織る。革紐のベルトに差すのは、ライが見立ててくれた小振りのナイフ。


 この一年ちょっとですっかり相棒になった弓と、換羽(かんう)で抜け落ちたメクトゥシの羽根をもらって、この森の木で作った矢を矢筒に入れて背負う。後は旅に必要なあれこれを詰めた、小さなカバンが荷物のすべてだ。

 用意した全部を身に着けて、本当に何もなくなってしまった部屋に、すぅと息を吸い込んで背を向ける。部屋を出ようとすると、戸口の隙間から見慣れた小さな影が覗いていることに気付き、私は小さく息を吐いて跪いた。


「おいで」


 両手を差し出すと、小さな小さなフェザーラビットは恐る恐る歩み寄って、私の手の平の上にちょこんと乗った。どこか不安そうな色を浮かべた丸い瞳が、私を見上げる。柔らかな小さい翼を傷つけてしまわないように、そっとフワフワとした存在を抱き締めた。


「エルをお願いね、ラス」


 いつも私の言葉にはあまり応えてくれないラスも、今日ばかりはあのクシャミみたいな吠え声もどきを炸裂(さくれつ)させて、任せろとばかりに耳をピンと立ててみせた。本当に、私がいなくなればこの塔にいるのはエルとラスだけになる。それは私が来るまで当然だったはずの構図で、元に戻るだけのことなのかもしれない。

 ただ、私が感じ続けている心臓を締めつけるみたいな痛みを、もしもエルが少しでも感じているのだとしたら。この冷たい塔に独りきりは、きっととても悲しいことだと思うから。


 一歩ずつ踏みしめるみたいに階段を降りていくと、不意にラスが私の腕を抜け出して、クルリと上の階段へと逆戻りして行ってしまった。もう少し一緒にいたかったのに、と思いながら数段降りたところで、ラスが逃げて行った理由に気付く。


「おはよう、リア」


 昨日も発作で眠れなかったのか、目の下を黒くして土気色(つちけいろ)な顔って感じのライが、部屋から出たところで座り込んでいた。これでも、冬の始めの頃よりはずっとマシな顔色。


「おはよう。ムリしないで、部屋で待っててくれて良かったのに」

「君が旅立つ日に、ベッドで見送りたくなかった男心を察して欲しいな……まあ、床からお見送りになりそうだけど」


 力なく苦笑いするライに、私は階段の途中でしゃがみこんで視線を合わせた。


「全く君もネイトもひどいよね、旅立つ時は僕も一緒だって約束したのに」


 ライが恨みがましい表情で私を見つめるから、今度は私の方が苦笑する番だった。


「その話なら、何回もして納得したでしょ。そもそもこれは『旅のための旅』で、フィニアス師には申し訳ないけど、旅としては練習みたいなものだから」

「でも、何年もイゾルデにいることになるかもしれないじゃないか……あの都市は推薦状を持った学者じゃないと門すら潜れないんだ。そんなに長い間リアに会えないなんて耐えられないっ」


 普段の理知的な姿はどこへ消えたのか、髪を振り乱して涙目になるライに、私はそっとその手を取った。


「絶対に、そんな時間は待たせないから。必ずライの病気を治す方法を見つけて、ここに戻ってくるよ。ライだってあと少ししたら、お仕事に出かけなくちゃいけないんでしょう?私だって、そんな状態のライをここから出したくなんかないわ」

「そう、だけど」

「おあいこ、ね?」


 私が首を傾げて笑ってみせると、ライは降参するみたいに両手をあげて、そのまま私に向かってその手を広げた。ずっと私に触れようとしなかったライが、珍しいと思いながらも、素直にその腕に飛びこんだ。

 見た目じゃ分かりにくいけど、エルよりずっとガッシリしてて、私なんて片腕ですっぽり包みこめるくらいで。でも、私がもっと小さかった時よりずっと、ほっそりしてしまった気がする。ただでさえ体温の低いエルよりも冷たい腕に、なんだか泣きそうな気分にさせられた。砂時計の砂が、こぼれてくみたいで。


「本当に、行くんだね」

「もう、決めたことだもの。ライのためじゃなくて、私のために行くの。だから、信じて待ってて?」

「大きく、なっちゃったなぁ……」


 頭の上から降ってきた声に、ライがどんな表情をしているのか想像もつかなかった。ただ、私の頭を撫でてくれる手は、相変わらず花やガラス細工に触れるみたいに優しくて。


「手紙を書くよ。君も書いてくれる?」

「そういうの、エルのセリフだと思うわ」

「ネイトがそんなこと、自分からすると思う?きっと手紙なんて概念そのものが、アイツの世界には存在してないと思うな」


 私はライの言葉にちょっと考えて、唸るしかなかった。残念だけど、手紙なんて書いてるエルが、これっぽっちも想像できなかった。返事が来るかも、怪しいくらい。


「……ライにも、ちゃんと送るね」

「そうして……さて、そろそろフィニアス様が待たせすぎでイライラしてくる頃だろうし、名残(なごり)惜しいけど君を手放さないと」


 パッ、と腕を解いてライは爽やかにニコリと笑った。よかった、いつものライだと、息を吐き出しながら立ち上がる。


「ここで、お別れ?」

「僕だって、ネイトに遠慮することはあるんだよ。永遠の別れじゃないしね」


 おどけて肩をすくめてみせるライに、私は思わず吹き出した。そうだ、永遠に帰って来れない旅じゃない。外に出る、ってことに過敏になりすぎてたのかもしれない。



 私は小さく息を吸い込むと、ニッコリと笑ってみせた。



「いってきます、ライ」



 昔、ライがしてくれていたように、小さく額にキスを。


 不意打ちに目を見開いたライは、くしゃりと笑って私の頬にそっと触れた。





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