04 ひとつの旅立ち ③
「ヒューィッ!ヒューィッ!」
イヌワシ達と呼び合う時とはまた違う、ごく近い範囲に鋭く響く指笛を鳴らした。
バサリ、と。
風を切る音が聞こえて、艷やかな黒の翼が眩しい朝日を受けて透けるように輝く。
《おはよう、ナジーク》
《ウム。呼んだカ、リア》
いつものように私の肩へと舞い降りて、オロケウやメクトゥシ達とはまるで違う、不思議なイントネーションで言葉を落とすワタリガラス。気付けば森に住み着いていて、あちこち旅をしてきたって言う彼の言葉の端々からは、私よりずっと長生きしているみたいな感じを匂わせてくる不思議な雰囲気を持ったカラスだ。
ワタリガラスは他の鳥に比べれば大きいけれど、それでもダイアウルフやイヌワシの近くに寄って来るカラスなんて、ナジークに出会うまでは見たことがなかった。ナジークは、ちょっと我が家のラスにも見習って欲しい、なんて思うくらいにロロ兄さんが傍にいても気にしない。彼曰く『理に従ッテ生きる相手ナラバ、過度な恐れハ時間の浪費ダナ』とのこと。
《この前は、フィニアス師に手紙を届けてくれてありがとう。本当に助かったよ》
《アレならバ、既に報酬ハ受け取っているゾ。冬に食す新鮮ナ木の実ほどの贅沢はナイ》
機嫌が良さそうに軽く喉を鳴らしている姿を見ると、こういうところは本当にカラスなんだけどなぁ、と少し笑ってしまう。
《ソレで、こんな時間からダイアウルフを引き連れテ物々(モノモノ)しいことダガ、何事カネ?》
《その話なんだけど、この前ナジークに行ってもらったイゾルデに、私も行くことになって。メクトゥシから勧められたんだけど、ナジークも一緒に来てくれる?》
《フム……構わナイ。あの都市ならバ、私にとってハ住み良い街ダ。メクトゥシにハ借りがあることダシ、お前にも興味ガある。暫く付き合っテやろう……代わりに道中ハ、その肩ヲ貸スんだナ》
気持ちよく鳴いて快諾をくれたナジークに、感謝の気持ちをこめて背中を撫でれば、喉元の羽毛をかすかに震わせて静かに私の手を受け入れる。
《了解よ、ナジーク》
《契約成立ダ》
いつだってナジークは、契約って言葉と関係を使いたがるから冷たくて頭の固いカラスだって思われがちだけど、ナジークが私にとって損になる『契約』を持ちかけてきたことは一度もない。きっと彼なりの、他人との関わり方なんだろうなと思ってる。
《別に俺の肩でも構わんが》
前々から、ナジークとどこか反りの合わない兄さんが軽く唸る。
《却下ダ。そもそもリアは、キミの背に乗ルのだろウ。それならバ同じコトだね》
どこかツンと澄ました感じで言葉を返すナジークに、鳥とダイアウルフはどこまでも分かり合えないのかもしれない、と苦笑いするしかなかった。
《そう言えば兄さん、私のこと乗せて行ってくれるの?》
《当然だ。お前をどこの馬の骨とも知れない奴の背中に預けられるか》
馬の骨って言うか馬そのものだと思うけど、私も馬には乗ったことがないし、たまにライが乗ってくる馬を見たことくらいしかない。
《兄さんの背中なら、安心だね》
《だが、長時間の移動にはお前の身体が耐えられないだろう》
《うん、慣れてはいるけど、身体痛くなっちゃいそう。そのあたりは、エルかフィニアス師に相談してみようかな》
塔までの雪原を兄さんと並んで駆け抜けると、塔のふもとに佇む黒い影が見えた。すぐにエルだと気付いて、いつもみたいに大きい声で呼びかけようと思ったのに、どうしてか声は喉奥で消えてしまったみたいに出てこなくて。
空模様を読むのでもなく、久々の晴れ間を喜び太陽に目を細めるのでもなく、ただ宙を見つめる瞳はひどく空っぽに見えた。見慣れているはずの黒く柔らかなローブは、それが暖かく優しい香りをまとっていることを知っているのに、今はただ死や静寂を運ぶ闇のようで。
(……私の知らない、エルだ)
あの顔を見るのは、決して初めてじゃなかった。ふとした瞬間に顔を覗かせる、エルの瞳の奥に息づく感情の名前を、私は知らない。
ただ、その横顔を見た瞬間に、私は生まれて初めてエルの手を離れることになるのだと、今更のように気付いてしまった。
『ここではないどこか』に、エルはいない。もしかしなくても、オロケウやメクトゥシ……森の家族の方が、ずっと長い時間を一緒に過ごしてきた。それでも、綺麗なものを見つけた時、狩りで褒められた時、楽しいことがあった時、真っ先に教えたいと思うのはいつだってエルだった。
一緒にごはんを食べて、話をして……おはようも、おやすみも、愛してるも、全部エルだから意味のあるものだったはずで。これから先の歩いていく道に、この旅のずっと先に覚悟している長い旅路の中、そのどこにもエルはいないんだって……それがどういうことなのか、本当に私は理解していた?
ふと、私の姿に気付いたのか、エルが顔をあげた。何もない場所で視線がぶつかって、その瞬間、ぐちゃぐちゃになった感情が全身を駆け巡った。声も出ないまま、全身をつき動かしてる冷たい熱だけでメチャクチャに地面を蹴って、その腕の中に飛び込んだ。
「リア」
心臓の奥まで届くみたいな落ち着いた低い声と、ほんの少しの温もり。何度だってエルには抱き締められたことがあるはずなのに、どうしてか今日は『あの日』のことを思い出す。伝えたいことは数え切れないくらいあるのに、言葉どころか呼吸の仕方すら忘れてしまって。
私の何もかもを知っている手の平は何も言わずに、ただそっと背中を撫でてくれた。この世界のどんな場所より安全な腕の中で、ゆるゆると息を吐き出せば、全身の感覚が戻ってくる感じがした。この居場所を……『いつも通り』を守るために、私は行くんだ。




