03 いつかの記憶と託した願い ⑦
「いや、フィニアス……貴方を信用していない、と言うよりも個人のプライバシーに関わる案件だからな。呪い絡みのものは、どれもそうなるが。それ故に、私が触れる他なかった」
「呪言を口にしたり呪術を行使するどころか、触れているだけで侵食されるヤワな君が、これ以上その領域に手を出そうと言うならば、第四次魔法大戦を勃発させてでも止めて差し上げますよ」
彼が言うと、かなり洒落にならない。そもそもフィニアスが極大魔法などを本気で展開させれば、一瞬のうちに一つは国が消し飛んで、丸一日もかけずに世界を滅亡させてしまえるのではないだろうか。そんな事を真面目に考えつつ、私は首を横に振った。
「この先は私ではなく、リアが引き継ぐ」
「……はい?」
その返しは想定外であったのか、珍しく冷静な表情を崩して剣呑な雰囲気が滲み出る。
「それは、この子が望んでいるのですか」
「そもそもリアが望まなければ、呪いに手出しなどしなかった」
彼は『どうだか』とでも言いた気に腕を組むと、冷ややかな瞳で私を見据えた。それがフィニアスの『一言物申したい』もとい『説教してやりたい』と言う表情であることを知っていた私は、彼が何かを言うよりも前に口を開いた。
「この子を、貴方の弟子にしてやってくれないか。フィニアス」
「……私に子守りをしろと?」
辛辣に言い放つフィニアスの瞳が、本気で言っているのではないと語っていたから、私は退く事なく淡々と告げた。
「今更これが、そう言う子供では無いことくらい、貴方は重々承知していたと思ったが」
彼は少し考え込むように脚を組んで、暫く中空を見つめていた。
「……君はあの場所を、イゾルデを嫌っているのかと思っていました」
ポツリと落とされた言葉に、今度は私が戸惑わされる番だった。それでも、この人にいつもそうして来たように、馬鹿正直に嘘偽りのない言葉を告げる以外に術はなかった。
「好いては、いない。ただ、学ぶべき事はあの場所にあると言う事実を、否定するつもりもない。この子には、私の偏見を挟まずに、己の眼で判断して欲しいと願っている」
それが、私に言える全てだった。後はフィニアスが彼女を弟子にしたいと思うかどうかの問題だろう、と腹を括って腕を組む。正直に言えば、フィニアスがリアを好いているか否かは私にも良く分からなかった。あまり二人が会話を交わす事はないし、ライやシアに比べればリアもフィニアスとは少し距離を置いているように感じた。
それでも、ライが傍に居るにもかかわらず、私が倒れた時にリアが助けを求めたのはフィニアスだった。そして彼も、こうしてその声に応えてやって来た。つまりは、そう言う事なのではないか、と考える私はあまりに楽天的なのだろうか。
ただ、以前二人が肩を並べて空を見上げている姿を見かけた時、この二人は大丈夫だと直感した。それは気難しい祖父と孫が、不器用に並んでいるようにしか見えなかったと言えば、この人は烈火の如く怒るだろう……尤も、フィニアスの容姿は実を言えば、私よりも余程若く見える年齢不詳振りなのだが。
「……面倒は見て差し上げられませんよ」
「あの子をイゾルデまで連れて行ってやってくれれば、それでいい。私はここから出る事が叶わない故」
フィニアスは私の瞳を覗き込むようにしてアイスブルーの瞳を細めると、深々と溜め息を吐いて頷いた。
「私もこの子を憎からず思っておりますし、むしろ願ってもいない申し出ですが、本当に良いのですね?返しませんよ?」
「いや、帰って来ないのは困るが……リアが望んだ事だ」
片眉を器用に跳ね上げて、フィニアスは複雑そうにリアを見下ろした。
「この子が、ねぇ。本当にその意味を、分かっているんでしょうか。まあ、周囲が魔法使いだらけなのですから、無理もありませんが」
「魔法使いになるべくして生まれてきた、と。そう言った」
その言葉を、子供の戯言と切り捨てるか、生きる道を見出した者の持つ覚悟か、さすがの彼も咄嗟には判断しかねたに相違ない。珍しくフィニアスは困ったような表情を浮かべると、不器用な手付きでリアの髪を撫でた。
「……君も、難儀な人生を送るようですね」
その声が、想像していたよりもずっと優しいものであったから、私は内心驚きながら彼の横顔を見つめていた。フィニアスは私が思っていた以上に、リアを大切にしようとしているのかもしれなかった。
(……まあ、娘を預ける身としては、大切にしてくれた方が良いに決まっている)
だが、それを口にすれば天の邪鬼なこの人は手の平を返しかねないため、黙っておく事にする。代わりに私は、しかとその瞳を見据えて告げた。
「娘を頼んだ、フィニアス」
「……頼まれました」
フィニアスがそう頷くと、部屋には沈黙が落ちた。階下からはライが食事の支度でもしているのか、生活感のある音と香ばしい匂いが扉の隙間から忍び込んで来る。
気付けば、握ったままのリアの手から伝わる温もりは、私の体温と溶け合ってもなおそれを塗り替える程に熱く、指先から私の全身を温め始めていた。その場所だけが、春の陽だまりのように優しく。
「また、雪が降ってきましたね」
窓のない部屋で、そっと目を閉じながらフィニアスは呟いた。
「……ああ」
私も結界の内に張り巡らせた意識に、舞い降る冷たい静けさを感じた。
雪が降っているうちは、旅立つ事は出来まい。だがこの雪が止めば、フィニアスは迷いなくリアの手を取って発つだろう。そうしてリアも、きっと振り返らずに去って行く。
これは、彼女が待ち望んだ長い旅路の始まりそのものではないのだろう。それでも、ほんの小旅行と言う訳にも行かない道行きだ。自ら手放すと決めたはずが、この温もりを離したくないと内心で叫ぶ己を感じていた。
(……私は、こんなにも『人間』だったか)
こみ上げた感情は、皮肉と呼ぶにはどうにも据わりが悪く、あまりに脆くて頼りないもののように思えた。
(あと、少しだけ)
今少し、こうしていよう。雪が止むまで……それだけの間で良い。この手の温もりを、離さずにいよう。それくらいの事は許されたいと、穏やかな静寂の中でもう一度目を閉じた。
粉雪の夜が、更けて行く。
長い冬の終わりは、もうすぐそこまで来ていた。
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