02 雪の夜、絶望と覚悟 ①
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02 雪の夜、絶望と覚悟
遠く暮れなずむ丘の果て
忘れられた街に夜を告げる鐘
鳴り止まぬ音に耳を閉じ
ひとり嘆きの森を駆けてゆく
時のなぎさ取り残され
星降る水辺 交わした約束
呼び覚ませ彼方の記憶
輝きよ 自由よ 名もなき過去よ
風の声きこえるこの場所で
愛しき鳥の帰りを待とう
星の音がまた明日を告げる
ヴァーレ・ラ・レムナント……
*
柔らかなランプの灯りだけが照らす部屋で、低く穏やかな歌声が静かに響く。白くピンと張られた幾つもの弦の上を、長く美しい指が魔法のように踊る。弓のように曲がった竪琴の背の、つややかな木肌に添えられているだけのように見える左手は、かすかに動いて指先で何本もの弦の端を正確に押さえていた。
いつも多くを語らない口から、こんなにも美しく複雑な旋律がこぼれてくるのは、かなり意外な感じがしたけれど、今まで歌っている姿を見たことがなかったのが不思議なくらいに『しっくり』来ていた。優雅に竪琴を爪弾く指先は、いつも薬を調合している時みたいに無駄がなく、同時に流れるような動きで。エルの調薬が『きれいだ』と感じる秘密はここにあったのかもしれないと、柔らかな音色に耳を澄ませながらそう思った。
いつだってエルは、自分の中に鳴り響いている音に従って、全ての動作が律されているみたいに見える。それなのにどこか息苦しくなくて、そのリズムに馴染みきって自分の一部に……ううん、それが自分の全てになっているから美しく見えるのかもしれない。
(……きれいな、歌)
何かに、誰かに捧げた音だと、どうしてかそう感じた。それはきっと、黒曜石のような瞳の奥に映るランプの光が、ここではないどこかを見つめている気がしたから。
ヴァーレ・ラ・レムナント……意味は『眠れ、我が記憶よ』
それは、ただの歌詞であるはずなのに、エル自身のことを歌っているような気がして。
音が止んでも、歌が絶えても、まだ耳の奥で鳴り止まないエルの『過去』が胸の中をざわめかせていた。こんなにも綺麗な音を、エルに教えた人がいる。こんなにも叫び出したくなるほど強く切ない感情を、エルの心の全てを、捧げた人がこの世界にいるんだ。
それはどこか遥か遠くの世界の出来事みたいで、それなのにこれだけの想いがつめられた音を抱き締めたエルは、いま私の目の前に座っていて。私の知らない彼の旅を、この塔に辿り着くまでの人生のことを思うと、途方にくれそうな気分になった。
「ネイト……君、こんな特技を隠し持ってたなんて聞いてないよ」
「話していないからな」
エルの素っ気ない返事に、どこか涙目になっているライがずかずかと歩み寄って、その肩を思い切り揺さぶった。
「こんな演奏されたら、吟遊詩人の立場がないじゃないか!どうしてくれるの、リアに僕の演奏聴かせて『なんかエルのよりショボい……』なんて思われたら、僕泣くよ?」
既にちょっと半泣きになってるんだけど、そこに関してはきっと言わないでおいた方が良いよね。まあ、エルはなんでも出来ちゃうからな、なんて思いながら見守ってみる。
「喧しい。お前が一曲弾けと煩いから、仕方なく弾いてやったのだろうが。離せ、うざったい」
顔をしかめてライを引き剥がしたエルは、重苦しい溜め息を吐き出しながら押し付けるみたいにして竪琴を返した。抱き締めるようにして竪琴を抱えたライは、すごすごと自分の席に戻ると、がっくりと肩を落としてうなだれた。
「もう、君がリアに教えなよ……僕が教える事なんて何もありませんー」
ふてくされたみたいにライが言うと、エルは読みかけの本を開きながら首を横に振った。
「そもそも、お前が言い出したことだろう。最後まで責任を持て……それに私は、音を奏でる事が好きではない。特に竪琴には」
そこで言葉を切ったエルは、何かを飲み込むみたいに黙ってしまった。こういう時、ライは決まって言葉の空白を読み取って、何かを納得したようにその先を求めなくなる。きっと二人だけの共有する過去があるんだろうけど、それが少しだけ羨ましいような寂しいような気分にさせる。
でも、無理に踏み込もうとは思わないし、その必要もきっとない。いま、この手にあるだけでいい。
「その曲、弾けるようになりたい」
心の中に湧き上がった気持ちを素直に口にすれば、エルは驚いたような表情で私を見た。
「エルが聞くのもイヤって言うなら、やらないけど」
「……いや、私自身が奏でるのでなければ。お前は好きにすると良い」
エルの言葉に頷くと、ライがどこか慌てたような感じで口を挟んだ。
「えっと、初心者にはかなり難しい曲だと思うよ?静かな音楽だから誤魔化しも効かないし、その割には音が多いし、ついでに長い」
「長いの?」
私が首を傾げると、ライの代わりにエルが答えてくれた。
「私が歌った一節は、長い哀歌のほんの始まりに過ぎない。少しずつ過去へと遡り、視点を変え、その度に旋律も形を変えていく複雑な楽曲だ。哀歌と言うだけあって、別段楽しい音楽でもないが」
「うん、それでも。自分の好きな曲をやる方が上達も早いって、ライも言ってたし」
ライは私の言葉を聞いて、困ったように苦笑した。
「それは、確かに言ったけどね……まあ、リアなら何とかなっちゃうような気もするけど。やっぱりネイトが一番なんだよなぁ。僕もいいとこ見せないと」
そう言うと、ライは気を取り直したように竪琴を抱えて、慣れた手付きで爪弾き始めた。
(……やっぱり、同じ楽器のはずなのに全然違う音)
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