01 不完全な狩人達 ②
地面に沈み込み、光を失っていく鹿の腹に触れればまだ暖かかった。冷え切った指先にその熱を感じると、そこからじわりと、この獣を自分がこの手で狩ったのだと。命を勝ち取ったのだと、そう言う実感が湧き上がって来て。
何もない冷たい場所から不意に噴き出した熱と興奮が、私を内側から食い破るみたいに暴れまわって、本能のままに私は吠えた。
「オオオォォオンッ」
兄弟、兄弟、私はやったよ。やり遂げたよ。
そう言う想いを遠吠えに乗せて、満足した私はナイフを持ち直して目の前の鹿の解体に取りかかった。兄さん達の牙のようにはいかないけれど、私もようやくこのナイフを思った通りに扱えるようになってきた。まだまだこの細腕じゃ、力が足りなくてどうにもならない事もいっぱいあるけど。
別に約束をしていたワケじゃなかったから、暫くはかかるだろうと思っていたら意外とすぐに地面を蹴って駆ける力強い音が聴こえてきて、手は動かしながらも下処理は少し待っていたら良かったかもしれないとボンヤリ考えた。私が食べない部分だって、兄さん達なら食べるかもしれない……いや、きっと食べるよね。
「アッフ」
柔らかく呼びかけられて振り返れば、そこには想像した通りの姿があった。気付けば朝陽は昇り始めていて、白い光に照らされたダイアウルフ特有の銀色の毛並みが静かに波打っていた。
一度ナイフをしまって歩み寄り、彼と額を合わせて挨拶すれば、いつもの温かい感情が流れ込んでくる。
《ロロ兄さん》
この数日は、一人で狩りをするために群れからは離れて行動していたから、顔を合わせるのはひどく久し振りな感じがした。
《朝から勝利の雄叫びを挙げているから何事かと思えば……こういうことか。お前が一人で狩ったのか?》
《うん。兄さん達の力を借りないでも、ちゃんと出来るようにしなくちゃって思って》
私の言葉に、兄さんは私の頭を撫で回すように頬を擦りつけた。
《正直、俺もオロケウもお前がここまで早く、これほど大きな獲物を狩ってくるようになるとは想像していなかった。群れの仲間でも、たった一匹で牡鹿を仕留められる者など殆どいまい。それをこの細腕で……大したものだ》
私はちょっとだけ照れくさく思いながら、少しだけ後ろめたく思っていることを、気付けば弱音のように零していた。
《でも私は、兄さん達みたいに自分の牙と爪だけで戦ってるワケじゃないもの。いつもみたいに『言葉』で後押ししなかったら、放った矢がちゃんと刺さるかすら分からないよ》
そっと呟くように感情を伝えて、私はまた解体作業に戻った。一部はいつものように持ち帰り、残りは兄さん達に食べてもらうためだ。
私の腕ではまだ弱すぎて、例え真っ直ぐに矢を射て狙った場所に当てることが出来たとしても、深々と致命傷になるほど刺すことは出来ない。さっきみたいに、矢と心臓が結びつくようにという思いをこめて言葉に魔力を乗せなければ、到底この巨大な牡鹿を一撃で仕留めるなんてことは出来なかったはずだ。
こうして『力』を使うたびに、後ろめたい気持ちになるし、そんな自分がイヤだと思う。まだこのナイフとか弓矢なら、兄さん達ダイアウルフの牙だったり母さん達イヌワシの鉤爪の代わりだと思って納得できる。でも、みんなが自分の武器である牙と鉤爪だけで戦っているのに、私だけ違う力を使っているのは何だかズルをしてるみたいな気分になる。
それはきっと、ずっと間近で憧れのように見ていた狩りというものを、実際に自分で……それもたった一人で挑むようになって、その大変さを身にしみて理解し始めているからなのかもしれない。自分の生まれ持った武器だけで戦う勇猛さを、美しさを、今まで以上に眩しく感じてしまうから。私だけが一人ぼっちで『違う』ような気がしてしまうから。
ふ、と。背中に優しく触れる感触がした。
《我らが父……オロケウが、かつてお前に言っただろう。誰しも違う武器を持っていると。お前の場合はそれが牙や爪のように目に見える形でなかった、それだけの話だ》
緩やかに流れ込んでくる感情に、私は自分の卑屈な感情が少しずつ洗い流されていくのを感じていた。ロロは、いつも優しい。こうして人の子である私と狼の違いを良く分かっていて、その間で揺れ動き始めている私が、何を抱えているのか知っているしその上で寄り添ってくれる。私にはもったいないくらいの兄さんだ。
《そもそも、お前は姿形も生まれも違うが群れの仲間だ。今更、少しばかり不思議な力の一つや二つ増えた所で誰もおかしいとは思わん。種族が違えば、成長の仕方も異なるのは当然の事……一匹狼になってもこれだけの獲物が仕留められると証明したお前は、群れの誇りだ。オロケウも、そう言うだろう》
《うん……ありがとう》
私は兄さんに背を向けたまま、それでも強く感情を伝えた。何だかいま、どうしようもなく泣いてしまいそうだった。
きっと、ずっと寂しかった。いつまでも群れの中でみんなと一緒に狩りをして暮らしているワケにはいかないのだと、自分で心に決めた瞬間から。ここを出て一人で生きていくのだと、そう誓った瞬間から。




