08 祭灯と静寂 ⑪
目が覚めると、見慣れた家の天井があって、今までの全ては夢だったんじゃないかなんて都合のいいことを考えそうになる。でも、全身に刻まれた『あの』底なしの闇への恐怖が、あれは現実なのだと告げている。そして、何よりも
「っ、ユーリ……」
彼を弔わなければならない、と。
不意にこみあげてきた使命感だけが、私をつき動かしていた。葬式、というものに出たことはないけれど、誰かが死んだ次の日の朝にその家で静かに別れを告げて、日が昇る前には埋めてしまうのだと聞いた。悲しみを長引かせないために。
まだ夜は明けない。私は寝床からすべり降りると、ひやりとした空気の中に足をおろした。すぐ近くの小さなテーブルの上には、昨日エルが結んでくれたリボンに寄り添うようにして、あの青いカンパニュラが息を引き取ろうとしていた。
こぼれそうになった何かをグッと引き止めて、私は部屋を出て階段を駆け下りた。駆けながら、欠け落ちていた昨日の記憶が一気に私の中に戻ってきて、頭の中がグチャグチャにかき乱される。
眠れない私のそばについて、髪をほどいていつまでも傍についていてくれたエルの姿。ふるえの止まらない私を抱き締めて、一歩ずつ階段を登っていく。ベールの外の異変を察して、私を探しに丘の下まで駆けてくる。一歩も動けなくなってしまった私に、いつの間にかやって来たメクトゥシが寄り添っている。私はうわ言のように呟き続けている……
『ユーリが死んだ』
そう告げた時の、エマおばさんの表情だけが、どうしても思い出せない。そもそも、見ることすら出来なかったのかもしれない。私は逃げたのかもしれない。
だって、どうして、何が言えるだろう。
例えば、お前の命はユーリの命を投げ出すほどの価値があったのか、なんて。そんなことを言うような人じゃないのは分かっていても、きっと怖かったんだ。
それでも、行かなくちゃいけない。私は、私が失ったものを確認しなくちゃいけない。
まだ闇夜に包まれていても、何度も通った村までの道を間違えるはずもなかった。駆け通しに駆けてたどり着いたその場所は、夜明け前なのに沢山の人が出歩いていた。眠らない村は、今までになく死の匂いに満ちていた。
誰もが何かを信じられないと言うような、悪い夢でも見ているかのような表情で、ひとつひとつの家の中を確認してはまた一つ何かを失ったみたいな足取りで出て来る。私が想像していたよりもずっと沢山の『送り花』が家の前に掲げられていて、それだけ沢山の人が死んでしまったのだと言う実感が、どうしてか湧かなかった。
目指して来た家も、他の送り花を掲げている家と同じように開け放たれていて、何人かの人が出入りしていた。ぐっと手を握りしめて、その家の戸をくぐった瞬間、誰もが凍りついたような表情で私を見た。一瞬だけしか耐えられなかったその視線の中に、何人かの村の人と、この家の家族が全員がいて、ユーリだけがいなかった。
「っ……」
白い布に、沢山の花。その上に死者を横たえるのだと聞いていた、その場所には何もなかった。
何、ひとつ。
頭の奥に、ユーリが灰になって消えていった瞬間の記憶が戻ってくる。
ああ、ほんとうに、何もなくなってしまったんだ。
「お前の所為だっ」
叩きつけるように吐き出された言葉に、私はハッとして顔を挙げた。一番最初にエマおばさんから飛んで来ると覚悟していた言葉は、私も顔を知っている村のおじさんが発したものだった。
「呪い持ちのお前なんかと遊んでいたから、あんな災厄を村に持ち込んで、自分も死んじまったんだ。だから、あれほど俺達が言ったというのに……」
「のろ、い?」
意味が分からなくて私がつぶやくと、他の村の人が馬鹿にしたような声で言った。
「そいつは何も知らないんだ。ユーリの奴が必死にこいつには聞かせないようにしてたからな。お前のその、薄気味悪い白髪のことだよ。それを持ってる奴は、生まれつき呪われてるんだ。だから捨てられるってのに、あの忌々しい魔法使いがわざわざ拾って来やがったのよ」
「どうして、お前が生きてるんだ……どうして、ユーリが死ななくちゃいけなかった。お前なんて、元々死んでるみたいなものじゃないか」
何一つ、本当に何一つ知らなかった私は、浴びせられる言葉をただ受け止めることしか出来なかった。村の人達が私をジロジロ見るのは、私が魔法使いの子で、私の髪が単に珍しいからだと思っていた。ユーリが悪く言われるのは、大きくなったのに女の子と遊んでいるからだと思ってた。それだけなんだと、思わされていたんだ。
「……なあ、アンタ何しに来たんだい」
低く問う声に、ハッとしたように他の全ての声がやんだ。のろのろと顔をあげると、エマおばさんがゾッとするような無表情で私の前に立っていた。
「ここは、私達『家族』が静かにユーリカを弔う場所だよ。アンタ、ウチの子だったことが一度でもあるのかい」
私は何も答えられなかった。ただ少なくとも、私がユーリの『家族』でも何でもない、ただの他人なのだという現実が突きつけられたことだけは確かだった。
「見りゃ分かるだろ。ここには『何もない』よ……出てっとくれ」
言葉を失った私は、ぐっと頭を下げると静かにその家を出た。
最初はまだ地面を踏みしめて歩くことが出来ていた。いつの間にか、早足になって一秒だってこの場所に留まっていたくないと、逃げるように駆け出した。
駄目だ、私の足じゃ『逃げ切れない』んだ。追いかけてくる何もかもから、逃げることができない。
「ピィーイ、ピィーイッ!」
つき動かされるようにして鳴らした指笛は、悲鳴のように響き渡って、私は自分の鳴らしたそれに耳をふさいで走り続けた。
はやく。はやく、はやくはやくきてっ、メクトゥシっ。
バサリ、と。目の前に舞い降りた姿に、喉奥から悲鳴が漏れそうになる。昨夜見た、あの黒く禍々しい翼の光景が、記憶の浅瀬で弾けて傷をえぐる。




