07 約束が果たされる時 ③
目の前の光景から逃避気味にそんな事を考えていると、不意にリアが私の腕の中でもぞもぞとし始めるものだから、そっと床に降ろしてやれば腕を組んでこう言い放った。
「ちゃんと、おかたづけ!」
「……はい」
他に返す言葉もなかった。これでは完全に形無しではないか、と肩を落としながら粛々と片付けに移行する。別段、片付けそのものは好きでも嫌いでもない。むしろ、何かが散らかっている状態、というものには我慢のならない性質である。あるべきものが、あるべき場所に収まっている状態、と言うのが最も望ましい。それ故に、ここまで荒れ放題に荒れた部屋などを見ると目を背けたくなる。いつかは掃除せねばならない事は、分かってはいるのだが。
まずは分かりやすいものから、ということで床に散らばった本から元に戻していく。これに関して言えば、棚のどこに在ったのかは憶えているし、そこに向かって投げるだけで自分の位置を覚えこまされている本達が勝手に棚へと吸い込まれてくれるのだから楽でいい。無心で片端から本を投げ込んでいると、足元でモゾモゾとリアが何やら動いているのが見えて手を止める。見ると、リアはあちこちに散乱した薬草を一本ずつ拾っているようだった。
「手伝ってくれるのか?」
「あい!」
「……ありがとう」
頭を撫でると、満面の笑みを浮かべてまた次の薬草の元へと駆けていく。見渡す限り、特に触れるだけでも危険な草などは落ちていない故に、問題はないだろうと思いつつ、念のため彼女が口に入れたりはしないかどうかを目の端で追いながら片付けを続行した。
リアの手伝いもあって、想像よりは早く床が片付くと、一気に机の上も片付けてしまおうと伸ばした手がピタリと止まる。それは、ルーンの持つ力や詳しい意味が記された、魔法陣を描く際の基礎となる書であり、もちろん内容は全て頭に入っている。しかし、昨日私が最初に開いたのはこの本であった。
「ダエグ……」
かつて幾度となく手繰り、古びたページをそっとなぞりながら、そのルーンの名を呟く。ただそれだけで、全身が熱を持ったように『言葉』に反応する。強い、言葉だ。
ルーンはたった一つで様々な意味を持つ特別な文字だが、このダエグというルーンは一つだけでも力を持つ三角形を繋ぎ合わせ、循環させる事で無限の意味を持たせる。始まりと終わり……無限に絶えない『光』の力。それが、ダエグの持つ力の根幹を成す意味となる。
今回のこの部屋の惨状、昨日を丸一日調薬に費やした理由はこのルーン……正確に言えば、いま拾い集めた薬草を手に取っては首を捻っているリアにある。
ライは生まれつき、彼の一族において直系の男子に稀ではあるが発現するとされている、呪いにも似た病に苦しめられて来た。彼がこの塔に通い続ける理由の一つでもあり、腕を失ったのもそのためである。呪いは心臓に巣食い、やがて全身へと巡って行く。彼の左腕はその所為で潰え、既に左目も殆ど見えていない状況だ。死ぬのは時間の問題だと、とうの昔に自分の人生を捨てていた本人は笑っていたが、私はどうしてもその命を諦める事が出来なかった。
私は数年前から彼に痛み止めと、病の進行を食い止めるための魔法薬を処方してはいるが、残念ながら気休め程度にしかなっていないと言うのが現状で、彼が来る度に改良を重ねた薬を試してはいるものの病の治癒までは遥か遠い場所に居る。
(それでも……生きていて欲しいと、確かに願った)
本当は、何度も迷いがあった。友の腕を機関にするなどと冒涜的な真似までして命を繋げて、そこまでして生き長らえる事でライは本当に救われるのかと。それでも、あの時そして今に至るまで何度でも、ライの命を繋ぎ止める選択をしたからこその『今』がある。
(そうでもなければ、あの男は何度でも死んでいる)
そう言う奴だ。昔から、自分の人生など完全に捨てていて、それで騎士などと言う職に就いて自分から死にに行くような任務ばかりを選ぶ。そうしてそれが本当に生業になってしまった今、片腕を失くしでもすれば確実に死へと近付く。そんな生と死との瀬戸際を踊るような戦い方しか出来ない男だ。
それが、ここに来てリアと過ごしている時は、外での血生臭さを一切感じさせることのない穏やかな表情をしているのだから不思議なものだと思う。それが一昨日の晩『発作』を起こした。腕のメンテナンスを終え、身体に馴染ませている最中は特に発作を起こしやすいのだが、最近は私が最初に目の当たりにしたものに比べれば、大分軽いものにはなって来ている。
ただ、いつも早く寝てしまうリアが、一昨日はユーリカと共に昼寝をしたからか少し遅くまで起きていて、いつもは夜更けに起きるライの発作が少し早めに起こった事で、初めてリアはその姿を目の当たりにする事になった。ついさっきまで穏やかな表情で自分と話していた人間が、唐突に心臓を掻きむしるようにして苦しみ出す。その光景は、幼い彼女にとって相当に衝撃を受けるものであったに違いない、と今ならば分かる。




