06 大空をこいねがう ②
今日はのんびり行こうって決めてたのに、塔が見えてくるとついつい早足になってしまう。みんなは不気味な塔だって言って近付かないし『悲しみに呑まれてしまう』って言う、あの不思議なウワサも本気で信じられてるみたいだけど、僕にはそんなに怖いとも不気味だとも感じられない。まあ、夏場なんかは黒い塔なんて暑くないのかなって思ったりするけど、問題はそういう事じゃないのは分かってる。
塔には本当にリアと彼女の父親である魔法使いしか住んでいない。近くに建てられた小さな小屋には羊と山羊が数匹飼われていて、ごくたまに犬の鳴き声が聞こえたりするけど、それは夕方に羊と山羊が放牧から戻って来る時だけ。そんな時にしか鳴かない牧羊犬なんているのかなって思うけど、リアに聞いたらウサギを差し出された。まだ犬とウサギの区別はつかないのかもしれない。
ただ、とにかく静かな場所だ。いっそのこと、そう、さびしいくらいに。それが心地良いと思っているんだから、僕は確かに少しおかしいのかもしれない。ただ、他の人がこの塔を恐れて、僕が好んで寄りつく違いは分かるような気がする。
きっと、最初から悲しみに呑まれているからだ。
そこにいつだって楽しそうなリアが笑ってくれているから、この場所はどこか安心するのかもしれない。ちょっと大げさに言うなら、この世界にも救いがあったんだ、みたいな。
丘を上りきると、黒の塔と地面が接している姿がようやく見えてくる。いつもはリアがウサギと一緒に遊んでいるか、誰もいないかのどっちかだけど、今日は珍しく違う人がいてビクリとする。アッシュブラウンの髪と瞳の背が高いおじさん……お兄さん、かな。その人が剣の素振りをしていて、その動きに思わず見とれてしまう。
こんな辺境の村じゃまずお目にかかれない、剣の鋭さと素早さ。僕はもちろん鍬の振り方しか知らないけど、そんな僕が見てもこれは洗練された動きなんだろうってくらいに、突き出された手足も剣も狙った位置でピタリと止まっているように見える。だけど、どこかが止まっている時は必ずどこかが動いていて、決して完全に静止してしまうことがない掴みどころがない感じの印象を受けた。
見とれているうちに、ああ昨日会った人かと今更のように気付く。昨日は髭がぼうぼうだったけど、剃って清潔にしてるとすごく印象が違う。何ていうか、モテそうだ。
リアが前に『ライ』って人だって言ってたっけ。何度か村を通ってこの塔に歩いていく姿は見た事があるし、むしろ他に塔の魔法使いを訪ねる人なんていないから印象には残ってたけど、実際に近くで見たのは昨日が初めてだ。人目を避けているのか、あんまり僕達が外に出ないような時間に動いてるみたいだから。
彼の痕跡は、彼が訪れた後は羊だの山羊だのが増えたり減ったり毛が刈られていたり、リアの靴が変わっていたりする事で残されていたから、行商人とかそう言う感じの人なのかなと(行商人が羊の毛を刈るかは分からないけど)思ってた。でも、昨日は泊まったらしい所を見ると、それだけじゃないらしい。あの魔法使いとも、仲が良さそうに見えたし。
「っと、驚いたな」
不意に振り返って目を丸くした彼が、一瞬だけ剣を向けようとしたのを僕は見逃さなかった。ただ、僕の姿には見覚えがあったからなのかどうなのか、ぶわりと膨れ上がった寒気みたいなものは一瞬で消えてしまった……あれが、殺気?みたいなやつなのかな。
「すみません、邪魔してしまったみたいで。なんか、カッコ良かったから」
僕の感想に彼は目を瞬かせて、少しだけ笑った。
「……そう?僕の剣は地味だって良く言われるんだけど。でも、ありがとう」
落ち着いた微笑みを見せる彼に、ああ、大人ってこういう感じだよね、と思う。間違っても仕事終わりにエールを喉に叩き込んで、赤ら顔で酔っ払って歌ってる親父達みたいにはなりたくないと僕は思う。
「ユーリカです」
「うん、リアとネイト……ナサニエルから話は聞いてるよ。君も僕の話を聞かされてるかもしれないけど。ライナスです」
ライナスだから『ライ』かと納得しながら手を差し出せば、律儀に彼がはめていた手袋を取って握り返されて、その手がひどく冷たかったから少し動揺した。さっきの素振り、運動量とか凄そうに見えたのに。
「ああ、ごめん。昔から体温低くて驚かれるんだよね。握手なんてしたの、久し振りだったから忘れてたよ……それで、リアに会いに来たのかな」
「あ、はい。昼寝中とかですか?それともこの時間なら、どこかに遊びに行ってるかな」
出来れば寝ていてくれる事を祈った。あの森に行かれたら、探しに行くのは正直に言って無理だ。塔の背後に広がる森は、こちらは迷信とかウワサでもなくて、本当に子供が足を踏み入れたら帰って来れない場所だ。それが、リアはあんなに小さいのにホイホイ遊びに行っても無事に帰ってくるし、父親であるはずの魔法使いは止めるどころか当たり前の事だと思ってるらしい。
前に彼女が森で眠ってしまったのか、グッタリとして(実際はスヤスヤ寝てただけだったんだけど)巨大なオオカミにくわえられて来た時には、本気で心臓が止まるかと思った。彼女をこんな人里まで送り届けたあのオオカミが、伝説のダイアウルフかもしれないなんて考えただけで目まいがする。




