01 灼熱の都へ ⑯
壁を、翔ける。
積まれた石造りの壁に、僅かなとっかかりが手に吸いついて、次の瞬間には景色が変わっている。気持ちいい。
リィンの手にかかれば、壁も塀もないようなもので、するすると屋根の上に登ってしまう。屋根から屋根の上に飛び移れば、ぐんぐんと元の世界が遠ざかって、次第に街の中の一番高い場所へと近付いていく。
剥がれかけた裏路地のポスター、猫の溜まり場、リィンの鍵開けの才能をもってしても開かない扉。普段なら気にも留めないような路地や、屋根の上の景色が今まで見ていた世界を塗り替えてくれる。
「はい、到着」
平たい屋根の上に腰掛けて、二人で落ちていく夕陽を眺める。こんな時は、群れの仲間とは違う何かを感じる。森の中で、時間はただ過ぎゆくもので、夕陽は夜の訪れを知らせるだけのものだった。
「きれい……」
ほぅ、と溜め息を吐きながら呟けば、リィンが頷いて口を開いた。
「夕陽とか朝日とか、そういうのがキレイに感じるのは、自分が満ち足りてるときだけなんだってザザが言ってた」
そうかもしれない、と思う。衣食住が足りていなければ、そのことしか考えられなくなるし、何か不安や悩み事があれば夕陽なんて目に入らない。
「あたしね、こうやって夕陽を見るのが好きなんだ。タンジマールに拾われるまでは、ずっと一人でスリとかかっぱらいとか、大声では言えないようなことで生きててさ。太陽があろうがなかろうが、自分の腹が膨れてることだけが大事だった。それこそザザが言うように、今は満ち足りてるってことを確認出来るから、好きになったのかも」
「そっか」
そうとだけ呟いて寄り添えば、リィンはくすぐったそうな表情で私を見つめた。
「そういうところ、だよね」
「うん?」
首を傾げれば、リィンは気恥ずかしそうに口を尖らせたけれど、結局は私の視線に根負けして言葉を続けた。
「リアが来てからさ、こうやって夕陽を見るのがもっと好きになったの。きっとあたしが知らなかったのは、いつどこで見るのかよりも、誰と見るのかが大事なんだってこと」
「私も、リィンのこと大好きだよ」
そう返せば、彼女は顔を真っ赤にして絶句した。
「えっと……そういう話じゃなかった?」
「だ、か、ら、そういうところだってば! あたし達のちょっと重い過去には、ただ黙って寄り添ってくれて、でも踏み込んでこない冷たい人間ってわけじゃない。大事なことはちゃんと真っすぐ口にしてくれる……一座のみんな、リアのこと気に入ってるよ。もちろん、あたしも」
「大好き?」
「っ、そうよっ、大好き! 悪い?」
彼女を見ていると、ついからかいたくなってしまう。私もよくからかわれるから、お互い様だと思うのだけれど、ユミルには『ますます先輩に似てきましたね』と、ものすごく嫌そうな顔で言われたりする。
「男達だって、みんなアンタに花を贈りたがるわ。ザザとか……」
「ザザだけだよ」
「ウソ。この前、見たんだから。ライに花冠を贈られてたでしょ」
よく見てるなあ、と感心すれば、リィンはどこか呆れたような表情で私を見つめた。
「ユミルにだって大事にされてるし、その花飾りだってどうせ『いい人』からもらったんでしょ」
「良い人……良い人かなぁ。根っこのところでは優しい人だけど」
「そういう意味じゃないわよ。アンタを好きな人ってこと」
それについては自信を持って頷ける、と私は笑みを浮かべた。
「フィニアス師は、なんだかんだ言って私のこと好いてくれてると思うよ。大事な師匠で、家族なの。これも、学院に出立する時にくれたもので……」
「ああ、もう。そういう意味じゃないってば! 恋だの愛だの、そういう話! ずっとそばにいて、相手を自分のものにしたいくらい好きかって話!」
私はようやく意味を理解して、ウッと喉を詰まらせた。
「えっと……まだ私、そういうの分からないかなって」
「まだ、って言った。本当は分かってるのに、逃げてるだけ。分からないフリをしてるの」
そうなんだろうか、と真剣に考えてみても、分からないものは分からない。ただ一つだけ言えるのは、シエロについてきて欲しいと手を差し出された時に、その手を選べなかったということだけで。
「ああもう、そんな顔しないで。アンタを困らせたかったわけじゃないの……せっかく女の子の友達ができたから、内緒話がしたかっただけ」
「内緒話?」
リィンは私の耳元に口を寄せると、小さな秘密を囁いた。
「あたしね、クインシーのことが好きなの」
「それは、ずっとそばにいて、相手を自分のものにしたいって意味で?」
「そんなハッキリ言わないでってば……まあ、そうだけど」
自分のものにする、という意味が私には良く分かっていなかったけれど、リィンの頬の赤さを見れば大層なことなのだろうと思った。
「クインシーも、リィンのこと好きだと思うけど」
「……リアって、もしかして本当に分かってない? クインシーのあれは、あたしのことを妹だと思ってるの。頭撫でたり、抱き締めたりはしてくれるし、大事には思ってくれてるけど……それだけ。あたしの求めてる『好き』じゃないの」




