01 灼熱の都へ ⑫
しばらく私を睨みつけていた少年は、やがて唾を吐くと路地の奥へと駆けて行った。
「……お嬢なら、何かあげようとするかと思いましたけどね」
「それじゃ、何の解決にもならないから」
私の答えに、ユミルは意外そうな表情を浮かべて頷いた。
「アンタは正しいですよ」
そう呟くと、また先に立って歩き始めたユミルの後を追いかける。さっきの少年が何かの試金石だったのか、それからは不自然なほどに人の姿を見かけなくなって。それでも。
「見られてる」
「お嬢、意外とスラムで生きてくのに向いてるかもしれませんね。切り捨てる非情さも、自分で生きていく術も、身に迫る危険を察知する力も持っている」
ひゅう、と軽く口笛を吹く真似をしてみせるユミルの、振り返った瞳はどこか昏く冷たかった。
「でも、脇が甘い……って言いたいんでしょ」
「それも正解。お嬢の欠点は、根っこのところで優しすぎる点です。結局は人の善性ってもんを心の底では信じてる。これは先輩が心配するワケですね」
肩を竦めたユミルは、まるで道が分かっているかのように迷いない足取りで路地の奥へ、奥へと歩んで行く。私を騙すつもりなら、これまでにいくらでも機会はあったはずだし、ユミルのことを信じていないわけではないけれど、さすがに不安を感じ始めた頃。
「ほら、ここじゃないですか。手記にあったナサニエル様……お嬢の父君と、アリステア姫様が出会った場所」
ユミルが脇にずれて、私が見えるように前へと押し出した瞬間。
「あ……」
薄暗い路地に、光が射した。
壁に囲まれて行き止まりの、どこか小さな庭を思わせる場所に、誰かの家の裏口か色褪せた緑色のドアがある。そこには数段の階段がついていて、壁から伝う蔦が巻き付き始めていた。
「聴こえる?」
「……生憎、俺には聞こえませんけどね」
苦笑するユミルは、それでも分かってくれた。
竪琴の音が、聴こえる。優しく、天から降り注ぐような。
ここだ、と……何の確証もないのに、そうと分かった。ユミルもそう思ったから、ここに連れて来てくれたのかもしれなかった。
都の雑踏から離れ、ここだけが静かで暖かかった。
「まさか、姫様と『厄災』のラブロマンスを聞かされると俺も思ってませんでしたし、こんな場所に二人がいたってことも驚きなんですがね」
「らぶ、ろまんす?」
「恋物語ってことですよ。お嬢も興味のあるお年頃じゃないんですか」
恋、それは私がまだ整理のつけられていない言葉だった。ユミルの言うことにあまり実感の湧かないまま、曖昧に笑みを返して光を見上げる。
そして、どうしてか伝えたくなった。
「……私の、お母さんなの」
「……は?」
何もかも抜け落ちて、意味が分からないという顔で聞き返したユミルに、私は苦笑してもう一度繰り返した。
「アリステア姫様はね、私のお母さんなんだって」
「なんだって、って……そんな話どこから。いや、お嬢を疑うわけじゃないですけど」
真実の書のことを、どこまで話せば良いのだろうと考えて、やめた。
「ごめん、それは言えない。私もまだ、整理がついていないし」
「そりゃ、そうですよね……ナサニエル様と、姫様の子だなんて……」
深々と何かを考え始めたユミルに、私は首を傾げた。
「えっと、私はエルの子どもじゃないよ。森で拾われた『精霊の拾い子』だし」
「その話、手記を読んだ後でも本気で信じてます?」
訝しげなユミルの視線にも、私は「うん」と頷いた。
「エマおばさんが、良く言ってたの……あ、村のおかみさんなんだけど。ある日、急にエルが子守りをするようになって、男手一つでてんてこ舞いだったって」
「そう、なんですか……まあ、まだ読み進めてないページは沢山ありますからね」
私達は頷き合って、それでも私の出生について謎は深まるばかりだった。
「それにしても、とんだ暴露話を俺に押し付けてくれましたね」
「あっ、その話……実はまだ、エルにもライにもしてなくて。秘密にしてくれる?」
私の言葉に絶句したユミルは、引きつった表情で首を縦に振った。
「そんな大事な話、先輩よりも先に聞いたなんて知られたら……考えただけでも恐ろしい」
そう呟いて、恨みがましそうな目で私を見つめる。
「なんでそんな話、俺なんかに?」
「知っておいて欲しくなったから。ユミルがまだ遠くにいるうちに」
「なんだそりゃ」
そう言いながらも、私の言わんとしてることが分かったのか、少しだけ優しい表情でユミルは切り取られた空を見上げた。
「じゃあ俺も、アンタが『遠くにいるうちに』話しておきますけどね……俺はここ出身なんですよ。スラム生まれ、スラム育ちってわけです」
「……あんまり、そうは見えないね」
まだ私はスラムの人にほとんど会ってはいないけれど、この薄暗くじめじめとした空気がユミルに合っているとは思えなかったし、さっき会った少年のような飢えや怒りを宿した瞳を彼に想像することも出来なかった。




