01 灼熱の都へ ⑨
「寂しいのね、ナサニエル」
ポツリ、と。
そう呟かれた言葉が、胸を衝いた。違うと……私は怒っているのだと反射的に口にしかけて、否定できない自分がいることに気付く。
私は寂しかったのかと、そう知った瞬間に生温い涙が頬を伝った。
「……母さんは、死の間際までずっと謝っていた」
こんな風に、こんな世界に、産んでしまってごめんなさいと。独り残していくことを許してね、と。
私はきっと、生まれてきたことを喜んでほしかったのだと、これからの旅路に胸を張って行けと背中を押して欲しかったのだと、ようやく気付いた。
いつもあのひとは、不幸せな顔をしていた。笑ってほしくて、泣かないでほしくて、強くなって、稼いで、それ以上にどうしたら良いのかも分からなくて。
私達はどうしようもない寂しさを抱えて、二人で途方に暮れているしかなくて。
「幸せになって、ほしかった……」
父がそばにいれば、少しは変わったんだろうか。私が生まれて来なければ、二人はまだ幸せでいられたんだろうか。私が、いなければ。
「幸せだったよ。きっと、幸せだった」
私の手を包み込むように握りながら、アリスが囁くように告げた。
「私はナサニエルのお母様じゃないけど、そんな風に自分のことを想ってくれる息子がいて、幸せじゃないわけがない。あなたのお母様は、一度も笑ったことがないの?」
その言葉に思い返せば、ほのかな笑みを浮かべた母の姿が思い起こされた。でもそれはひどくボヤケた姿で……もうずっと、彼女をちゃんと正面から見ようとしていなかったのは、私の方だったのかもしれないと思った。それでも、確かに。
「笑っていた。最期に、母さんは笑ってた」
ありがとうと言って、彼女は逝った。その意味を二度と尋ねることは出来ないけれど。
「あぁ、そうか……俺は、愛されていたんだな」
その意味が、胸の奥へと染み入り、あふれた。
愛されるもの、という言葉の重みを初めて理解したような気がした。
「次は、あなたが愛する番よ。ナサニエル」
私の頬に優しく触れた指先が、そっと涙を拭っていった。
あの時からきっと、私は彼女を愛していた。
「ありがとう、アリス」
そしてそれが、彼女との長い別れになるとは思ってもいなかった。
父の屋敷から迎えが来たのは次の日のことで、私はそこで腐れ縁とも言うべき長い付き合いになる、かの人物との出会いを果たすことになる。
「君が、公の落とし胤とやらですか?」
いやに目立つ白銀の髪に、感情の読めないアイスブルーの瞳。今と少しも変わらない容貌の、年齢不詳な魔法使い。
じろじろと頭からつま先までを眺められても、その純粋な好奇心を隠そうともしない姿に、不思議と不快感は湧かなかったことを覚えている。
「公よ、なぜもっと早くこの子を呼び戻さなかったのです」
正直に言えば、この時に主役であったはずの父の姿がまるで思い出せないのは、どう考えてもあの男の所為であるに違いなくて。
「見ての通り、私は魔法使いです。君にとっては修羅の道かもしれませんが……私と一緒に、来ますか?」
「マスター、いかにあなたの言葉であっても勝手なことをされては!」
声を荒げる父に、男が冷たい瞳で睥睨すれば、この国の公爵であるはずの父が青褪めて黙り込んだ。
「良いでしょう、別に。あなたの元には『ご嫡男』がいらっしゃるのですし……何より、この屋敷で飼い殺しにするよりも、私に預けた方が後々の益になると思いますがね」
その言葉で完全に沈黙した父を鼻で笑って、男は私に手を差し出した。
「力が欲しいなら、あげましょう……私はフィニアス。あなたは?」
問われて、迷わず私はその手を取り、告げた。
「ナサニエル」
初めて自ら口にしたその名に、フィニアスは少し驚いたように目を見張り、そして彼にしては珍しく柔らかな笑みをこぼしたことを覚えている。
「良い名ですね」
それがきっと社交辞令ではなく、本心だったからこそ、彼のことを信じようと心に決めた。そんな決断が大きな間違いであったことを、その時の私は無邪気にも想像すらしていなかった。
地獄を見た。
それからの数年間のことは、思い出すだけでも苦痛を伴う。彼は私を連れ出した張本人であるにもかかわらず面倒見の悪い男で、特に魔法魔術のことに関しては自分の研究に精一杯なのか私に構うことなど滅多となく、代わりに『実験』などと称して様々な無理難題を私に吹っかけた。
曰く、空が飛びたいなどと言って崖から飛び降りさせたり。曰く、失敗の味を知ることは大事だなどと宣って明らかに失敗した錬金薬を飲ませたり。曰く、天気が良いからピクニックだと笑顔で戦場に叩き出したり。
一応、我々にとっての師匠はマスター・ガイウスであって、フィニアスは兄弟子という立ち位置であったものの、マスターもフィニアスには一目置いていることもあって、実際にはフィニアスが私の師匠のような位置付けだった。最低最悪の師匠だったが。
己の運命と定めた錬金術の研究に没頭した日々。そんな私を無理矢理に研究室から引っ張り出すフィニアス。大変な数年間だった……それでも。人生最良の時を問われれば、この学院生活をあげるのだろう。




